ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

山の神仏

2014-04-28 05:00:00 | 展覧会

先週後半からは良い天気が続き、何処かへ行きたいとは思いつつも、電車や車に乗って遠くへ行きたいとは思わず、手軽に行けるところは無いかと考えていたら、ふと野球観戦に行った時に地下鉄で大阪市立美術館のポスターを見たことを思い出したのですが、いったい何の催しだったかは思い出せず、ただ「行かなアカン」と思ったことだけが頭にあったのを思い出したのでした。早速、ネットで何を催しているのか探ってみると、『山の神仏』という特別展をやっていました。サブタイトルは『紀伊山地の霊場と参詣道』世界遺産登録10周年記念というもの、確かに行ってみなけりゃなりません。



自転車を漕いで天王寺まで行ったのですが、自転車を停めておく所が無いので、新世界まで降りて、初めて動物園側のゲートからの入場しました。動物園を跨ぐブリッジを渡っていると右手にあべのハルカスが見えます。ブリッジを渡り終えて券売機で入場料を払ったのですが、電車の切符、食堂の食券みたいなものが出てきたのでガッカリ、展覧会のチケットってこんなんじゃないと文句を言ったら、係りの女の人が何か言ってました。



吉野・熊野・高野と三つの区域に分けて、紀伊山地の霊場を紹介しようと言う試みのようです。熊野はあっちこっちと行っていますが、高野山と吉野は何度か行ったことがあるものの、大峰山方面には行ったことがないし、高野山手前のこの展覧会でよく出てくる丹生というところにも行ったことがありません。



館内は撮影禁止なので、ここからは2300円も出して買った図録の写真を撮ったものです。一つ目は奈良の如意輪寺にある重文・蔵王権現立像、二番目は熊野速玉大神坐像で国宝ですが、速玉大社に行っても見たことがありません。三番目が藤白神社の薬師如来坐像、四番目は金峰山寺にある役行者坐像です。



奈良の喜蔵院にある天狗立像、背中にある羽根の形は何処かで見たような・・・南海ホークスの球団旗の鷹の羽根に似てると思ったのは私だけでしょうか。

          

左の写真はいずれも速玉大社のもの、右側が伊邪那美神坐像、左が伊邪那岐神坐像、伊邪那美神の方が少し早い年代のものらしい。真ん中が空海を高野山へ導いたと言う狩場明神像、丹生狩場神社に有ります。右の絵は那智参詣曼荼羅図で、速玉大社所蔵ですが、似たような曼荼羅図が他の寺社にも保管されています。全景を写せたわけではありませんが、右上から流れ落ちる那智の滝、下部の鳥居(上段しか写っていませんが)が浜の宮、ですからその辺りに補陀落山寺、左上に阿弥陀寺が描かれているようです。



受付で貰ったパンフレットの中身、吉野・大峰地域では厨子に入った蔵王権現や役行者に仕えた前鬼・後鬼が、熊野三山では那智参詣曼荼羅図の他に那智大社の女神坐像、どう勘定しても13体ある熊野十二社権現懸仏、熊野本地仏曼荼羅図、藤白神社の阿弥陀如来坐像が、高野山では狩場明神像の他に重文の弥勒菩薩像、高野山参詣曼荼羅図、金剛峯寺所蔵の
重文・不動明王立像が紹介されています。この不動明王は合体不動と言われ、空海が半身まで仕上げると春日大社からもたらされた半身と合体するとピタリと合ったという説明がありましたが、どんなに見ても接合したような部分が見つかりませんでした。

           

山の神仏とは関係ありませんが、この手拭いが美しかったので、ロビーで図録と一緒に買いました。太刀魚をデザインしていますが、“紀州てぬぐい”と書かれていると思ったのに、よく見ると“てめぐい”ではありませんか。



パンフレットの表紙、国宝の熊野速玉大神坐像の他に和歌山の三谷薬師堂というお寺の女神坐像と、奈良の櫻本坊というお寺の重文・役行者坐像が載っています。美術館の受付であの切符や食券みたいな入場券を渡すと、正式なチケットの半券をくれました。この半券でハルカスの東大寺展の入場が割引になるようです。ところで気になってるのですが、奈良の櫻本坊って何処に有るんですか、一度尋ねてみたいと思っています。

マンガのちから

2014-02-12 05:00:00 | 展覧会

退院してから1週間目の金曜日、K川君から退院したら飲みに行こうと約束していたので、朝から電話が有り、「今日は馬場町で待ち合わせしよう」と、また飲みに行くには辺鄙なところへ行くもんやと思いながら、「ええよ」と答えてしまいました。K川君が言うには歴史博物館で催しがあるから、それを見物してから飲もうという訳です。私は歴史博物館で『マンガのちから』と題した手塚治虫と石ノ森章太郎の原画展を催しているのを知っていましたが、K川君がマンガに興味があるとは思ってもいませんでした。

                       

歴史博物館へ来るのは2回目です。6時15分の待ち合わせでしたが、私はヒマなので5時半ごろには到着し、「先に入場したらアカンで」と言われていたので、外周やエントランスをウロウロして時間を潰しました。

             

博物館に行くと言われた瞬間には、先に入場してゆっくり見物をしようと思いついたのですが、K川君が言うには障碍者手帳を持ってるので、付添人も1人含めてタダで入場できるのだそうです。外見からは障碍者には見えませんが、体内に管を入れているからだと言いますが、それなら私も今は管が入ってますが、障碍者手帳など貰っていません。まぁ次に病院へ行った時には取り外すらしいのですが。

               

3年ほど前に来た時とは周囲の様子が少し変わっています。日本最古の官道と言われる竹内街道についての案内板やこの地に建設されていたと言う5世紀後半の高床式倉庫が再現されています。一番右の写真で倉庫の奥に見えているビルは私が勤めていた会社の本社です。

               

北西方向には大坂城を見ることが出来ます。金曜日だけ夜8時まで開館しています。右の写真は博物館側から見たNHKのエントランス。

             

この日はスマホを家に忘れ、K川君と出合えなかったら連絡の取り様がないと思っていましたが、時間通りに発券場所に来てくれました。特別展内では写真を撮ってはいけませんが、2ヵ所だけ撮影許可のあるところが有りました。一つがこのトキワ荘の模型、手塚や石森や赤塚さん達はこのトキワ荘の住人だったのです。反対側は部屋になっていましたが、写真は撮れません。4畳半の部屋にマンガを描くための机が置かれていると、もう他には何も置けないような狭さでした。

             

もう一つの撮影OK場所、『リボンの騎士』のサファイア王子と『サイボーグ009』の003、どちらの作者も亡くなっているので、誰か他の人が描いたのでしょうね。私は中学生頃までマンガを描いていた時期があり、K川君は私の描いたマンガを持っていると言います。そのままマンガの世界へ入って有名になってくれたら良かったのにと言いますが、そうなっておれば彼の持っている絵は高く売れたのかも知れません。

             

K川君が来る前にホールの売店で常設展の参考になる本を買いました。1冊100円ですが、未だ読んでいません。

ところで昨日は建国記念の日でしたが、その前身は紀元節、紀元節は神武天皇が紀元前660年元日に即位したことを意味するのですが、太陽暦に直すと2月11日になるのだそうです。でも何も書いたものが残ってないし(日本書紀に書かれているのですが、それより以前の書物と言う意味)、そのような昔に暦など有ったわけがないので、神武の話は作り話です。休みを増やしてくれるのは有難いのですが、ウソをまことしやかに言うのは如何なものか、私は天皇を政治利用し、主権者とは認めたくありません。

日本美術の至宝

2013-06-11 05:00:00 | 展覧会

ボストン美術館所蔵の日本から流失した至宝を観に行って、美術館周辺の話題ばかりでは「何じゃ!それだけか」と叱られそうですから、昨日に続いて今日は内容を少し紹介しておきます。勿論館内は撮影禁止ですから、2000円も出して買った図録の写真を写真に撮っての再掲です。

             

大枚1000円札を2枚も出費して買った図録、もちろん消費税別です。図録の表紙、チケットのデザイン、案内のリーフレット、館内にあった記念撮影用のディスプレイとどれもが同じ作品、龍の頭が描かれています。これは曽我蕭白という人の描いたもの、私はこの曽我蕭白という人を習った覚えがありません。でも因みに“そがしょうはく”と打ってみると曽我蕭白に変換します。“蕭”などややこしい字なのに変換するということは結構有名な人なのですね。

                       

展示室に入場するとやけに暗いのです。“仏のかたち 神のすがた”という副題が付いています。この絵には『馬頭観音菩薩』というタイトルが付いています。顔が三つ、手が八本有りますが、足は二つしか有りません。古来の神仏画は左右対称とは言いませんが、ややシンメトリー的な構図の絵が多いようです。

                       

こちらは海外に絵画に対して流出した量が少ないと言われる仏像の一つ、弥勒菩薩立像。快慶の初期のころの作品だとか、日本国にあれば国宝級です。文治5年の銘が入った弥勒上生経が納入されていました。

             

次は“海を渡った二大絵巻”のコーナー、まずは『吉備大臣入唐絵巻』です。吉備真備が遣唐使として唐に渡り、そこで役人からの数々の難問に、唐で客死した阿倍仲麻呂の霊(幽鬼)に助けられて立ち向かったお話し、この場面は役人たちが眠りこけている隙に試験問題を盗み聞きする真備と幽鬼、顔の白い方が真備で赤いのが幽鬼です。

                       

こちらは『平治物語絵巻』の一部、平清盛が熊野詣に出かけた隙を狙って、後白河法皇を三条殿から連れ出し内裏へと連れ出す藤原信頼と源義朝が三条殿に火をかけるシーン、昨年の大河ドラマ放映中にこの絵巻が公開されていたら、もう少し視聴率が上がっていたのかも知れませんね。

             

次のコーナーは『静寂と輝き』、鎌倉後期以降に中国から伝わった水墨画がテーマ、当初は禅宗の僧が描いていましたが、応仁の乱以降は狩野派の職業画家が描くようになりました。写真は『韃靼人狩猟図』、韃靼ってモンゴル系の人が住む地域で当時の日本人の画家がそう簡単に行けるところではありません。中国から輸入されたものの模写なのでしょうね。

             

4番目は“華開く近世絵画”、安土桃山から江戸時代前期まで狩野派や長谷川派、琳派など今ではよく知られている画人が登場します。この絵は『十六羅漢図』、伊藤若冲の作ですが、若冲と言えば華麗で緻密な絵を想像します。こんな単純な絵も描いていたのですね。

             

長谷川等伯の『龍虎図屏風』、こんなに向かい合っているのではありません。別々の屏風に描かれています。

串本の無量寺にも龍虎の屏風が有りました。永沢芦雪のものでした。

             

最後のコーナーは“奇才 曽我蕭白”、最初に書いたように私はこの人の名を聞くのも絵を見るのも初めてです。この催しに一役も二役も買っている雲竜図の展示は日本初です。雲竜図はマンガのような絵ですが、この鷹図は緻密です。いずれにせよ鷹を描いてくれていたということはホークスファンの私との縁を感じます。

             

山水画も描いています。至る所に点が散在し、何を表現したいのかと思ってしまいます。しかし曽我蕭白の銘の上に鬼神斉とか蛇足軒とか、ダジャレた名を付けているところが面白い人だったんだろうと想像させます。

ボストン美術館には10万点以上の日本の美術品があるとか、明治維新後の混乱期、戦後の混乱に乗じてかき集められたのだろうと思いますが、本来は日本国にあってしかるべきもの、どのような経緯があったにせよ、返して欲しいものです。

                  gooリサーチモニターに登録!

大阪市立美術館

2013-06-10 05:00:00 | 展覧会

梅雨に入ったその日の夕方、当に甲子園で降られてからは大阪では一切雨が降っていません。空梅雨とでも言うのでしょうか。それにしても私が野球観戦に行った日だけ雨が降ったなんて、私にとっては納得のいかない話です。

この日も良い天気、6月になったら終了すると思っていたボストン美術館に所蔵される『日本美術の至宝』を鑑賞しに行こうと、5月の一番最後の日に大阪市立美術館へ行って来ました。

天王寺へは地下鉄に乗ると大国町駅で乗り換える際にホームの階段を上り下りしなければならず、それが嫌で自転車で行きます。しかし問題は駐輪場、難波も天王寺も(おそらく梅田も)駐輪場をわざわざ設けて、お金を払って停めされられるようになっています。年金暮らしの私は、自転車を停めるだけなのにお金を払うと言う行為が納得できません。自転車で上町筋を東へ登り、登り切るとあべの筋を左折、天王寺駅の手前500mぐらいにベルタの駐輪場が無料であるので、そこで降ります。昨年はひと月に1回はハローワーク通いでしたが、それが修了してからは御無沙汰です。

                 

天王寺駅まで歩くと昨年工事中だった、歩道橋が完成しています。ハルカスも完成していますが、未だ営業はしていません。この交差点は昔から歩行者にとっては非常に困り者で、信号が無いのです。ですからこの歩道橋が無い時は、地下街を通るか、わざわざ四方とも100mほど離れた信号まで歩かなければなりませんでした。でも歩道橋が完成したからと言って、喜んでいるわけではありません。だいたい人間が何故階段を上り下りしなければならないのか、動力のある自動車の方が上り下りは楽なはず、そういう道路に造り変えて欲しいものです。

             

自転車を降りてから1kmほど歩いて、目的の大阪市立美術館、私は昔、天王寺美術館と呼んでいました。途中のチケット屋で入場券を買いましたが、1500円の入場券が1450円、これではたいして割引になっていません。前売り券が1300円でしたから、前売り券を買っておけば良かったと思った次第ですが、普通チケット屋では前売りの値段で売っているものです。

             

玄関まで来て気付いたのですが、この催しは6月14日までやっているのです。慌ててこの日にやって来なくても良かったのでした。それに10時開館だと思っていたら9時半開館です。私は家を10時ごろに出、着いたのが10時半、入場したら人でごった返していました。平日なので空いていると思ったのですが、あてが外れてしまいました。

             

館内は勿論撮影禁止、人が多いので整理員もたくさんいます。目を盗んで写真を撮るどころではありませんし、室内は思ったより暗いのでフラッシュを点けないと何も写らないでしょう。館内に有った記念撮影用のディスプレイ、撮ったのはこれ1枚だけでした。

入り口付近では混雑していた館内も奥へ行くほどに人が少なくなり、1時間半ほどで全て観て回ることが出来ました。でも作品を身近に見たのは数点、いつも人だかりの後ろ、遠くから眺めていました。

       

12時を回っていましたが、少しだけ北の方へ歩いてみました。古墳だと思った方もおられると思いますが、茶臼山です。大阪冬の陣では徳川家康の冬の陣では真田幸村の本陣となったところ、この山が古墳なのか、そうでないのかは意見が分かれています。手前は堀ではなく、河底池という名の池です。美術館の北出入口がありましたが、通常は使用されていません。美術館の正面から西側、眼下の眺望が良いのですが、逆に美術館の全体像を正面から写すことが出来ません。

             

12時を回ったせいか、人が絶え間なく通ります。木陰で昼食をとっている人も見かけます。私も昼食をとりに駅方向を目指します。

             

来た道ではなく、天王寺公園の中を歩く道を選び、歩道橋から振り返ると美術館の南側を見ることが出来ます。手前は旧黒田藩蔵屋敷の長屋門です。

                  gooリサーチモニターに登録!

北斎展

2012-11-19 00:00:00 | 展覧会

週を跨いでしまいましたが、天王寺公園から大阪市立美術館で開催中の葛飾北斎展へ入館、もちろん館内は撮影できません。この前に行った正倉院展の入館料が1000円、北斎展は1200円、入館料の差から来るものではないのでしょうが、同じ木曜日なのにも拘らずこちらは混雑していません。北斎の作品には重要文化財はあるものの国宝がありませんから、その差なのでしょうか、富嶽三十六景など大したものではないですか、将来国宝に指定されることも十分考えられます。まぁ、現在見に来ている人が生きているうちにそうなることはないでしょうけど、だからこそ余計に見ておかなければならないと私は思ったのですがね。

             

この絵は『足利行道山 くものかけはし』諸国名橋奇覧と名付けられたシリーズ絵の一つ、入館時に受付で貰ったものですが、絵としては5×7、5cmの小さなものでした。でもこうして撮ってみると、そんなに小さいものとは思えないでしょ。本物は25×36,5cmあるようです。

             

今回の企画は風景・美人・奇想という3つのジャンルに分けて、順に展示してあり、最初の風景画などは実際に小さいもので、ほの暗い美術館の部屋ではたいそう見難いものでした。展示してあるのが小さいもの順なのか、年代順なのかよく判らなかったのですが、小さいものを見るのが不得手になったこの齢の人間から言わせてもらえば、展示されたものが見難いというのは、主催者側の手落ちだと指摘されても仕方のないことでしょう。

正倉院展(読売新聞社 特別協力)にしても、北斎展(読売新聞社 主催)にしても、どちらも読売新聞社が絡んでいて、どのように美辞麗句を連ねてもあのナベツネの悪態が絡んでくるので、こういう高齢者に対しての仕打ちも、奈良で食べられた読売新聞紙の片割れに食べたシカに“こんな汚いインク(ナベツネを薄汚れた奴と思っているので)が付いているのに大丈夫か”と心配したことにしても、社主の普段の言動、振る舞いなどに“坊主憎けりゃ袈裟まで”になってしまうのです。

                       

この展覧会では、有名な絵をたくさん残している北斎は、もちろん絵は上手なのですが、本来は漫画家だなと思ったのです。『北斎漫画』という本を残しているからと言う意味では無く、今は全くマンガなど読まなくなっていますからどう変わっているのか知らないのですが、若い頃によく読んだマンガの技法(雨や風の表現など)と酷似しているのです。この考え方は本末転倒です、北斎の手法を現在の漫画家が真似ていると言った方が正解なのでしょうが、要は北斎はマンガを描くべく現れた人のように思ったのです。

風景画にしても殆どの作品には小さいながら人が描かれているのも、何とかしてストーリー的に描きたいと言う漫画家としての特徴なのだと思っているのです。

             

北斎漫画は文庫本で3分冊になって青幻舎という出版社から一冊1500円で売りに出されていますが、所謂ストーリーのあるマンガでは無く、スケッチと言ったところ、欲しいのですが三巻で4500円+税であり、白黒ということも相俟ってなかなか手が出すことが出来ません。他にカラーの大型本として1680円のものもありますが、総て収録されているのでは無さそうですし、初刷り『北斎漫画』という単行本もありますが、12600円もします。“帯に短し、襷に長し”ですね。

             

さて、美人画、奇想画と順に観て思ったのが、名古屋赴任時に長野へ観光に行った際、小布施で見た鳳凰図が無かったこと、北斎が晩年に描いたものですが、天井画なので持っては来れないのでしょうが、非常に迫力のある絵でした。鳳凰図は私が見た小布施の岩松院に描かれたものだけではありませんから、是非展覧会でも見ることが出来たらいいのにと思っています。

             

後、無かったものと言えば春画ですね。北斎は春画も多数描いているのです。展覧会に出展するには卑猥度が高いのかも知れませんが、北斎の人生、そして人生観を知る上では貴重な代物だろうと思うのです。春画など出展すると色めきたった輩が大勢詰め寄せるとでも思っているのかも知れません。

             

北斎の浮世絵は非常に斬新なデザインで心を揺すぶるものが多いのですが、昔サッカー部の先輩から頂いて家に飾ってあったパネル、広重の浮世絵『東海道五十三次のうち 日本橋』の方が構図に安定感がありますね。どちらが好きかと言われても困りますが、広重は私が学校で習ったのは安藤姓だったのに、今では歌川姓に替わってしまっていて、替えたんなら教えた奴は責任持って訂正しに来いよなどと思ってしまいます。

             

いずれ何処かで手に入れようと思っている文庫本の北斎漫画、そのカバーにしようと紙製のブックカバーを買いました。北斎の書物を北斎のブックカバーで覆うなんて、なかなか洒落たアイデアです。右の隅に写っているのは美人画を描いた栞、本を買っても栞が付いてないものが多く、特に単行本などは全く本に栞が付いてないし、今は本屋に行かず(本屋で買えばレジの辺りに栞が置いてある)、通販で買うことが多いので困ったもんだと思っていました。美人画より風景画の方が良いのですが、構図上栞には向いていないのですよね。

                       

受付で小さなカード絵を貰ったので、こんなものも買ってしまいました。富嶽三十六景のものを5枚買おうと思ったのですが、気に入ったものは4枚しかなく、北斎と言えばこの絵と言われそうな『凱風 快晴』『神奈川沖 波裏』と『東海道品川 御殿山ノ不二』『隅田川 関屋の里』を選び、もう一つ北斎と言えば、迸る波濤を描いた『千絵の海 総州銚子』を買いました。受付で小さなカードをくれたのは、こういった絵を買わそうという意図があったのかも、それならまんまと引っ掛かってしまった私でした。

                  gooリサーチモニターに登録!

正倉院展

2012-11-07 05:00:00 | 展覧会

10月の終わりごろ、長男から今は何処に居るとか11月1日はヒマかと電話があり、大阪に居てヒマやと答えると正倉院展に行こうという誘いがありました。私は去年初めて行って、もう二度と行かないだろうと思っていたのですが、まぁ子供が歴史に興味を示しつつあるのですから、そういう気持ちを大事にしなければならず、無下に断るわけにもいかないので行くことにしたのですが、去年の記事を見てみると同じ11月1日のお出かけでした。

今回は平城京大極殿の西側の草原がコンクリートで埋め固められる計画があると聞き、近鉄電車内から大極殿の方を見ていると、見事なススキの大群が黄金色にはためいていました。こういう景色を失うのは甚だ勿体ない、どうにかして残して貰えないものかと案じています。

             

10時に近鉄の奈良駅で待ち合わせしました。家を8時半に出たので駅には早く着いてしまい、駅で売っていた正倉院展の入場券を買おうと思ったのですが、暫らく辺りをうろついている間に長男もやってきて、入場券を差し出すのでした。勝手に入場券を買わないで良かったと思った次第です。

でも途中の道ではダフ屋が200円引きや!と言って券を売っていたりもしていました。きっと終了間際の頃にはもっと安くなるのでしょう。

                       


博物館の中では写真が撮れません。この日は同じ去年と同じ11月1日だったのにやけに混んでいました。10時過ぎには入り口に到着しているのに列はなかなか中に入れて貰えず、外で待つばかり。写真は12時ごろに展示場を出てきたところですが、私たちが並んでいた時よりずっと多い長蛇の列になっていました。おそらく昼食は済まされているのでしょうが、この時昼食をとってなかったら3時以降になるのでしょう。

             

正倉院の展示を見た後、地下で繋がっている仏像館も見学に、長男はサッササッサと早足で見て回っており、私が未だ展示を観終わっていないのに、館内では禁止されているケータイで電話をかけてきて「仏像館へ行く」と言います。私も思ったのですが、正倉院の宝物よりも仏像館の仏さんたちの方が迫力もあり、見応え十分の展示でした。

             

“なにもなにも、ちひさきものはみなうつくし”と書いたのは『枕草子』の清少納言、でも宝物の多くはガッカリするほど小さい、小さき物が美しかったのは平安時代の最初の頃の考えだったのか、紹介する写真から私たちが勝手に想像し錯覚した部分もあるとは思うのですがね。

             

私は端から正倉院展には期待していなかったので、行く際には『聖武天皇陵』や『元興寺』『法性寺』などに行こうと思っていたので、おそらく長男は興福寺や東大寺、春日大社に行こうと思っていたに違いないのですが、「それは去年行った」と言うことで、私の意見通り『聖武天皇陵』を目指したのでした。

             

横から見る東大寺、去年は工事のために見ることが出来ませんでしたが正倉院を訪れたので、その時にも同じような写真を撮っています。なお今でも工事は続行中と言うことで正倉院に行ってもその姿を見ることは出来ません。

             

奈良国立博物館の入り口前で貰った読売新聞ですが、最初の写真にある漫画を見れば、今回展示された主な宝物が分かるようになっています。でも私としては、もう当時の貴族の生活振りなど見たくも無く、資料などが残っていようのない庶民の生活振りを学んでみたいと思っているのです。

             

この地図の右上に『聖武天皇陵』があります。転害門を通って出ていくというコースが描けます。そしてこの破れた新聞、地図を見ているうちに何かモゾモゾしていると思うと、シカに食べられていたので、びっくりして引っ張ると破れてしまったというわけです。新聞用の安もんのインクがいっぱい付いているのに、毒でっせ!シカの頭数に比べると観光客が少なかったのか、それに比例してせんべいを貰える量が少なかったのかも知れませんね。しかし偉いもんです、シカはせんべいの店に店主が居なくても、店の商品には(正確には口ですが)手を出しません。

             

これが転害門、「てがいもん」と詠みます。鎌倉時代に修復されているそうですが、幾多の戦火にも耐えて残っている奈良時代の建物、東大寺ではこれだけだそうで、国宝に指定されているようです。知らんかったものですから内側からだけしか撮っていません。

             

そのまま西へと10分ほど歩くと、聖武天皇陵が見えてきました。中に入ることは出来ませんから感慨などありませんが、東大寺にゆかりのある場所に来たのだと思えます。5分ほど辺りを見て、池に季節外れのオタマジャクシが居るのを確認、これから冬に入るのにどうなるんだろうと心配です。既に12時40分を回っていました。

             

早く昼食をとらないと晩御飯が美味しくいただけません。でもこの辺りには食堂らしきものは一切ありません。長男がJR奈良駅の近くの知ってるらしきサクラ水産を目指しますが、三条通に入ってもそれらしき店はありません。このまま三条通を東に歩き猿沢池の手前の店に入りました。

             

途中左手に見えていた開化天皇陵、右の建物はホテルフジタ奈良、もう1時15分を回っていました。

                  gooリサーチモニターに登録!

漫画展

2012-10-23 05:00:00 | 展覧会

夏を過ぎようとする頃から、この漫画展が開催されるのを聞いていました。あまりに早く知らされたので忘れてしまうのではないかと危惧していたのですが、忘れることなく行ってくることが出来ました。副題が“中国からの引き揚げ~少年たちの記憶”となっており、少年たちとは戦時中には家族と共に中国(主として満州国)で暮らしていて、終戦と同時に(或いは遅れて)祖国に帰ってきた子供たち、日本国を見てもこれが自分の祖国とは思えないような幼い頃から中国在住だった日本人たちなのでした。その子供たちの名はペンネームですが、『あしたのジョー』のちばてつや、『丸出だめ夫』の森田拳次、『釣りバカ日誌』の北見けんいち、『ダメおやじ』の古谷三敏、『おそ松くん』の赤塚不二夫、『プロゴルファー綾部金次郎』の高井研一郎など12名に及びます。

             

北区芝田にある画廊を目指します。地下鉄を降りて、ヨドバシカメラの横の道へ上がり、まっすぐ北上、中津の手前の阪急電車の鉄橋がすぐそこに見えるところまで来ると、すぐに判りました。

             

私は中学生の頃からのちばてつやファンでして、当時少年マガジンに連載されていた『ハリスの旋風』を夢中になって読んでいました。他には『紫電改のタカ』や『ちかいの魔球』など、実はちばてつやの代表作と言われる『あしたのジョー』は高校生の時だったので読んでいません。そして卒業してからは『おれは鉄兵』『のたり松太郎』『明日天気になぁれ』などを読んでいたのを思い出し、この漫画展に行ってみたいと思っていたのでした。

今は亡きちばてつやの弟・ちばあきおの名前も回想の中で出てきます。ちばあきおの代表作『プレーボール』も愛読していました。

             

画廊に入ってみてビックリしたのは、職場であった尼崎センタで一緒だったH松氏が受付に座っているではありませんか。なんでこんなところで逢うのかと、縁と言うものにつくづく感心させられます。実はこの日、短い時間の間に梅田界隈で以前の職場の人に次々にあと二人も出会ったのでした。

ブログに載せるんで写真撮るわと言うとニコニコして応じてくれます。どうやらこの画廊内は撮影禁止ではないらしい。

             

二言三言、四言五言・・・この人は話し出すと長い・・・雑談をして、絵を見始めます。最初は誰も客が居なかったのに、だんだんと増えていきました。まぁ、タイトルが地味ですから、訪れる人がそんなに多いとは思えません。

             

本人や石子順というマンガ評論家の説明が各絵に添えられていて、それを読んでいるとかなり時間を要します。でも私は1時間以上かけて全部読みました。

             

それぞれの絵はプロが描くものですからそれなりにきれいです。でも子供の頃を思い出しての絵ですから、私が知りたいような戦争自体に関してのものはありません。私にしては少し物足らなさを感じました。ストーリー漫画ではなく、1枚の挿し絵みたいなものですから、自ずと訴える力が弱いのかも知れません。

             

赤塚不二夫はもう既に故人ですから、この展覧会の企画がどう動いてきたのかは知る由もありませんが、どうやら『私の8月15日の会』という団体が森田拳次氏を会長に据えて存在し、この絵画はその会の人たちによって描かれたようです。

これらの絵の内、林静一氏が出品したただ一枚の絵『母に抱かれて』という絵は、『仁淀川』での著者宮尾登美子が娘を抱いて満州から逃げ帰った話と相俟って、胸を打ちます。しかし満州ではソ連軍の猛襲に遭い、集団自決を余儀なくされた人たちも大勢いました。この展覧会では当時子供だった方々の思いですから、そこまでは掘り下げられませんが、もう一つのコーナーがあっても良かったんじゃないかと思う次第です。

                       

日中友好協会主催の漫画展なのでかどうか、引き揚げ者を襲う中国人は描かれてはいませんが、それまでに為した日本軍の非業悪行を思えば、日本鬼子に対する仕返しがあっても当然だろうと私は思う一方、逃げ遅れた子供たちを救ってくれた中国人もたくさん居たわけです。この展覧会のあいさつには、“二度とあってはならない悲惨な戦争”と書かれていましたが、私はやはり二度とあってはならないのは侵略戦争だと思うのです。そんなことはあり得ないのですが、あのまま日本軍が侵略し続けていたら、果たして日本国民は“二度とあってはならない悲惨な戦争”などと思ったでしょうか。反省なのか真実なのか、そこが当に問われると思うのですが・・・

                          gooリサーチモニターに登録!

大阪市立美術館

2012-04-25 05:00:00 | 展覧会

18日は春にしては靄ったところがない快晴で何処かへ行くにはもってこいの日でしたが、あいにく朝からは天王寺でハローワーク、夕方からは京橋で飲み会と重なり、そのしがらみから自転車で行ってないし(自転車で行っていたら紀州街道がイコール熊野街道なのか実証してみようと思っているのに)、何処で時間を潰そうかと悩んだ挙句、今『契丹』展を開催している市立美術館に行ってみようと決めたのでした。

             

契丹とは唐帝国が滅亡した10世紀初め、中国北部の草原地帯を支配した国です。遼とも呼ばれ、中国の南部は宋が支配していた時代です。今回の展覧会は、12世紀当初に女真族に滅ばされるまでの約200年の間、契丹が唐から影響を受けたと思われる美術品を展示していました。

平日だったせいもあったのか、契丹に興味の無い人が多いのか、訪れている人は多くありません。その上各コーナー毎に監視員を配置していて、撮影禁止の館内ではとうとう写真を撮ることが出来ませんでした。

             

余談ですが、遼を滅ばした女真族が建国した金はモンゴルから国を建てた元に滅ばされ、女真族は壊滅的な打撃を受けますが、あちらこちらと服従させられながら満州を根城にして、清国を建国したのでした。浅田次郎氏の『蒼穹の昴』~『中原の虹』はその女真族の誇りをテーマとした小説だったと思います。そういえば浅田次郎氏が会長の日本ペンクラブは、大飯原発の再稼働に対して強く反対する声明を発表しましたね。

             

以前は美術館だけの風景だったものが、余計な物(ハルカス)が顔を出し始めました。こんなところに影響が出るなんて考えもしませんでしたが、設計者は承知の上だったのでしょうか。これより100mぐらいは高いのですから、美術館を今まで見てきた者にとっては完成したら異様な感じがするでしょうね。

             

展示されている室内は暗く、展示品にだけ上部からスポットを浴びせているだけなので、実態がどんなものなのかよく分かりませんし、品数も豊富とは言えません。

主な展示物は契丹国の祖・耶律阿保機の近親のプリンセスが祀られたと言われているトルキ山古墳から出土した文明度の高い品々で、細かい細工が施された鏡箱や彩色木棺などには目を見張らされるものがありました。

いつのどの展覧会を観ても思うのですが、館内を一周すると必ず足が疲れます。そんなに歩いたとは思ってないのに、この疲れは何なんでしょうか。展示品をじっと見るからなのでしょうか?

                     gooリサーチモニターに登録!

正倉院展

2011-11-11 05:00:00 | 展覧会

今日は’11/11/11で1が並ぶ日です。一瞬ですが昼前の11時11分11秒になる瞬間があり、何と1が12個も並ぶのです。いや、もう過ぎていますが夜中の1時11分11秒なら1が11個並んで徹底してますかね。

今週は毎日出勤していますが、先週は水曜日だけ出勤、その前後4日間づつを休みました。後半は文化の日の関係で1日年休を取ると4連休になるので、人出も多いだろうと思い、一日の火曜日天気も良かったので、正倉院展が開かれている奈良国立博物館へ行ってきました。

             


この日も’11/11/1/11/11/11と1が11並個ぶ瞬間があったのですね。それじゃ1月にもそんな瞬間があったわけで、珍しくもないのかと自省している次第です。

おそらく正倉院展なるものに出向いたのは初めて、そして今回が最後になるのでしょう。火曜日とあって大混雑をしているわけでもなく、比較的スムーズにそしてゆっくりと見て廻ることが出来ました。それでも12時前に入館して出たのは2時前、約2時間も見ていたのです。

             

まぁ、正倉院の遺品を以って歴史を考えるというような催しではなく、正倉院にはこんな物までちゃんと保存されているのだぞという宮内庁のふんぞり返る姿が目にちらつくだけで、私にとっては興味深いと言えるほどのものではありませんでした。

あまりにもつまらないので少し歩いて正倉院そのものを見たく思い、東大寺の裏まで足を延ばしました。

             

普段の正倉院がどういう形で拝観できるのか知らないのですが、この日行くと門は硬く閉ざされていました。どうやら外壁の工事をしているらしい、でも周りを少し歩いてみてもも正倉院の外壁の何処を工事しているのか判りません。

正倉院のことを書いてあるのだろうと思われる案内板、門の手前の柵で阻まれている上に、薄くなってしまった字、遠目には何が書いてあるのか解りません。

             

正倉院は宮内庁の管轄で天皇家のものだろうと思うのですが、屋根瓦の紋は三つ巴、菊ではありません。

             

普段はここから入場できるのかな?鉄扉が重厚に閉ざされています。隙間が無いので中を覗いて窺うことも出来ません。いや左右の扉の合わせ目に少し隙間がありますが、これだけでは見えるところは限られるし、写真も撮れません。

             

半周ほど周囲を歩いてみました。一周すると元の位置に戻れないのは門のところで分っていたので半周です。

             

正倉院の周囲は木々で囲まれていますが、塀はすのこ状で中を窺うことは出来ます。何とか正倉院らしい姿をキャッチ、でも校倉造などは見ることが出来ません。

                  gooリサーチモニターに登録!

大阪歴史博物館

2011-03-07 05:00:00 | 展覧会
随分暖かい2月を過ごしたと思ったら、随分寒い3月になっています。ややこしいこの頃の天候です。

別段考古学が好きと言うわけでもないのですが、こんな展覧会をやっていたので、気になって行ってきました。場所は谷町4丁目にある大阪歴史博物館、10年ぐらい前に建ったそうですが、行くのは初めてです。

『発掘された日本列島2010』とあるタイトルは特別展であるらしく、常設展は大阪の歴史を扱っています。

             

特別展を見たくて来たのですが、いざホールに着くと10階から7階までが常設展で、6階が特別展、どちらも入場料が600円ですが、セットで買えば少し安かったかな・・・中学生以下は無料です。なのでセットで買って、10階から順次下へ降りていけと案内されました。

                  

10階は奈良時代の難波の宮の再現、官吏や女官が出迎えてくれますが、人形です、動くわけではありません。現代人より一回り小さいのですが、背の高さまで再現されているのでしょうか。

             

9階は中近世の大阪の街を再現、1/20の模型が興味を惹きます。これぐらいの模型なら自分でも造ってみたい気がします。人や馬もうまく出来ています。

             

こちらは本願寺の模型、どのような造りになっているのか、内部の構造まで見せてくれています。写真撮影は比較的自由ですが、ダメなところは禁止のマークが貼ってあります。

             

この白い旗を振っている町人は降参しているのではありません。米の相場を合図しているのです。

          

私が知りたかったのは、この大阪湾の変遷です。23000年前って大昔過ぎますし、2100年前も未だ日本の歴史は誕生していません。下の3枚の地図で南から北へと突き出しているのは上町台地です。

つるのはし跡』で仁徳天皇が行幸して津に橋を架けたとかという話を紹介しましたが、これを見てると海ではなくて湖になっています。今の地形から想像すると、上町台地自体がそう高いものでもないので、そんなに深い湖ではなかっただろうと思われます。海側は私の住んでる街までも十数メートル下るので、そこそこ深かったのではないかと思います。

                  

これはもう6階の特別展示、何処かから出た甲冑を着けた埴輪です。記念撮影をどうぞなどと撮影を奨励しています。

             

これは陶器を焼く窯跡、模型ではなく本物でした。常設展の凝りように比べると、特別展の600円は少し高いように思われます。

             

この歴史博物館はNHK大阪放送局と隣接しています。というより入口は一緒です。でも客層が違いますね。博物館は無料では入れる生徒か年寄りが多いのですが、NHK側は若い女性が目立ちます。

              gooリサーチモニターに登録!