ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

エバグリーン

2013-06-28 05:00:00 | 田舎

今回の帰省は11日の火曜日に大阪を発ち、19日水曜日には大阪に着かなければなりませんでした。いつもより短い滞在は釣りにも、大辺路歩きにも出かけられず、あまり収穫(ネタ集め)の多い日々ではありませんでした。19日に帰らなければならなかったのは、ソフトボールのユニホームを新調するために業者と交渉することでしたが、何も私が参加しなくてもいいのにと思っています。大阪に着くころに降り出した雨は業者との面会時には土砂降りとなり、出ていくのが億劫なくらいでした。

標題のエバグリーン、英語でEVER GREENと書きますから、エバーグリーンだと思うのですが、三男はエバグリーンだと言います。地元の人はエバと呼びますが、店の中の放送ではエバグリと言っているようです。

             

私の家のお米は福島県や山形県の農民連からの購入を常としているのですが、時々予約した分では足らない時があり、近くの米屋で仕入れることもしばしば、今回もきっと足らないだろうと思い、エバグリーンで山形のお米が安かったので、買って帰りました。

店内では2480円と表示されていたこのお米、レジを通れば2980円に値上がりしています。どういうことでしょう?レジ店員の打ち間違いではありません。今はPOSレジと言ってバーコードを読み込むことで単価は店の思惑通りに表示され、在庫管理も出来てしまうというもの、店員のミスや恣意ではどうにもならないようになっているのです。なので、これは店の戦略なのか、でもそれはあまりにも酷い戦略でしょう、詐欺になりますよね。だいたいこの店はこういうことが多い、来た時に買った焼酎『よかいち』も店内では1150円と表示されていたのにレシートには1230円と打たれていました。それなら僅か80円違いですが、今回のお米は500円も違うのです。僅か1週間の間に私が買っただけで2種目も騙されています。他にもどれだけこの手口が横行しているのか、こういうことをしているとこの店も長くありますまい。

             

さて船の話、先に止めてあった港には倉庫があるのですが、今回沖の波止場に係留する前に盗まれそうな大きな荷物を陸揚げし、その倉庫に入れるようにしました。船の売主はタッパと言っていましたが、私たちが思っているタッパではありません。一人では持てないような大きくて重い釣った魚を入れる容器でした。

             

倉庫の中はタモや竿や仕掛け、船に塗るペンキの類まで入っていて、一旦整理しなければ大きな物は入りません。ボケと言う訳の解らない仕掛けもありましたが、何をするものなのか全く分かりません。リールが付いたままの竿も数本あり、糸が絡まっていてこの3本の竿が波止場ではどうしても離れません。

             

なので後日、竿を家に持って帰って庭で絡まりを何とか解きました。糸が太いので解けたのですが、私が磯釣りで使っているような細い糸なら解くことは出来なかったでしょう。ついでに使っても洗ってそうも無かったので、竿も洗っておきました。

赤い竿はリールと共に新品ですが安物です。後の2本の竿には電動リールが付いています。このような高価なリールを使ったことが無いので、どのように操作するのかよく分かっていません。

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潮岬の宅地

2013-06-27 05:00:00 | 田舎

三男は将来串本に移り住むつもりらしいのですが、姫の家は次に襲ってくる南海地震に伴う大津波には耐えられないと思っているらしく、高台に家を建て直せと言うのです。実は私も危ないとは思っているものの、今更ローンを組むわけにもいかず、退職金を全部叩いてしまうわけにもいかず、姫の家など幾らの価値があろうはずも無く、さりとて大阪のマンションを売ってしまうのも、そのうち長男か二男が住むかもしれないと考えると手放すわけにもいかず、八方塞り途方に暮れているのです。

近大マグロ丼を食べて、潮岬観光タワーを後にした私は、周遊道路を西へと向かい、潮岬中学校の立札を右折しました。中学校近辺には分譲中の土地が有り、新しい家がたくさん建っています。

             

これは新しい家ではありません。潮岬中学の校舎とグランドです。やはり土地に困らない田舎、グランドも広いですね。大阪など狭い土地に多くの生徒で一人あたりの専有面積は、広い土地に少ない生徒、こちらの10分の一にもなりますまい。

             

中学校の丁度まん前に“好評分譲中”の看板が立っています。後ろには新築の家がポツリ、ポツリと建ち並び、話し声や赤ちゃんの泣き声が聞こえてきます。80坪から50坪ぐらいの広さが中心です。この辺りで一坪いくらぐらいするのでしょうか?

             

ここなんかとても広い土地、一軒だけ建てるのではないのでしょうね。

       

潮岬の中を走る道路もややこしい道ですが、この辺りの道も何処をどちらに向かって歩いているのかさっぱり分かりません。全く違う道を歩いているのに周遊道路に出たこともありました。どの土地を見ても雑草が生えており、買うとなると建てる前に雑草を根絶やしにしなければなりません。人生の残りの貴重な時間を草引きなどにのうのうと使っている場合ではありませんよね。それにしても家は新しいのですが、あまり高級感がありません。

             

まぁ、私の人生は残り少ないので、南海大地震や大津波に遭遇する可能性は少ないのですが、三男などはまだまだこれからの人生、串本に住むならこの辺りなら安心でしょう。周遊道路よりまだ一段高くなっているので、海抜50mぐらいはあるでしょう。

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6月16日の大島港

2013-06-26 05:00:00 | 田舎

結果として今回の串本滞在では釣りに出かけませんでした。なかなか釣りに行こうと言うチャンスが無かったのです。係留している船の備品が盗まれると言うので、計器類は外したり、計器の下には結構ゴミが溜まっていたので掃除をしたり、未だ乗れもしない船に時間を費やされます。日曜日に船を見た後、大島港ではどの位釣れているのかと様子を見に行って来ました。私は土日は大島港では釣りをしないように心掛けています。私のようにいつでも釣りが出来る人間は、たまの休みに釣りを楽しみにやって来る人に場所を譲ってあげようという気持ちが必要だと思っているです。

             

いつも通りの駐車場に行くと車は満杯、ずっと先の曲がり角まで行って、その周辺に停めないと停めるところが無い有様、日曜なので沢山の人が釣りに来ているようです。この写真だけ見たら、手前のトラックと軽バンの間に入れられそうですが、奥に車が停まっていて、私が停めるとその車が出られないのです。

             

遠い所に車を停めたので、海側の通路を通って波止場へ、時間は10時半ごろで満潮です。

             

波止場に着いてみると5月23日に釣りに来ていた夫婦が居ましたが、私は気付いたものの向こうは気が付かなかったみたいです。誰かのスカリには30cmぐらいのグレが3~4匹入っていました。30分ほど見ていたのですが誰も大物をかけません。時合は終わっていたのか、暑いのもあって日陰で休んでいる人もいました。

帰ろうと思っていると灯台の下で釣っていた人が大物をかけ、タモで掬ってもらっているのを見ているとマダイでした。次に夫婦で来ていた奥さんの方の竿も曲がります。ちょっと女の人にはしんどいかと思っていましたが、旦那にタモを入れて貰い、釣り上げたのもマダイでした。旦那の方は「前に俺が釣ったのと同じぐらいや」などと負け惜しみを言っていました。

             

昼ご飯を潮岬観光タワーまで食べに行きました。なんでも近大マグロ丼が美味しいとか、なので一度賞味しようという魂胆です。2階の窓際の席に案内されたので景色を一枚、近大マグロ丼が来たら写そうと思っていたのに、「これこれこうやって食べるんですよ」という説明に「そういうもんか」と思いながら手を動かしていたら、写真に撮るのを忘れてしまい、半分ぐらい食べてしまってから思い出しても遅いというものです。

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朝市

2013-06-25 05:00:00 | 田舎

東京都議選で過半数を目指していた維新の会はたったの2議席に留まり、惨敗という結果になりましたが、都議選の結果次第では代表を辞任すると言っていた橋下大阪市長は、その舌の根も乾かないうちに続投を表明すると言う、自分の発言に全く責任を持たない人物だということが鮮明になりました。元々人権感覚の乏しい独裁者だと報道されていましたが、慰安婦問題で本音を曝け出し、国連や各国から非難が相次ぐなかでさえ持論を擁護し続け、その報道が間違っているというようなすり替え発言をしているようでは、その人気も地に落ちたというほかはありません。今後、大阪市長選挙が行われた場合、橋下氏のような人間を当選させるような市民であってはならないと思うのですが、大阪市民はそういう思いでいるのでしょうか。

             

私は第3の土日にソフトボールが無いのでその週に串本に来ていますが、その日曜日にはいつも早朝から町内放送があり、9時から古座駅前で朝市をやっているから行くように言っています。たいがいそんな放送は無視しているのですが、今回は行ってみようと言う気になり、行ってみたのですがテント二つ分だけ、その規模の小ささにガッカリです。朝市と言えば輪島が有名ですが、何時の頃だったかうろ覚えなのですが、もっと大きな規模で店がたくさん並んでいました。

             

いつも第3日曜に恒例でやっているのでしょうが、町内放送まで使って、こんなことで人が集まってくるのか、やり方に疑問を感じます。まぁ人が集まらないから小規模になり、力も入らないのでしょうね。

             

河内さんではオイルフェンス風のブイが張られていましたが、カヌーは営業しているのでしょうか、最近はカヌーを乗りに誰も来ないので確認しようもありませんが、この時は営業しているようには見えませんでした。

             

早々に古座駅を引き上げ、船を見に行きます。ここなら台風が来ても大丈夫という岸壁、土曜日に移転しました。でもこの岸壁は街並みから遠いので、船に積んであるものが頻繁に盗まれるとか、この日は確認したけど、未だ何も盗まれていませんでした。

             

堤防の真ん中付近に停泊中の大きな船、和歌山県のマークが付いていました。いつ行っても見かけますが人は乗っているようで、いつ動かしているのか、海上を走っている姿を見たことがありません。

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庭の雑草

2013-06-24 05:00:00 | 田舎

5月は24日に大阪へ戻り、6月11日に再び姫へと行ったので、その間たったの約2週間余り、帰る際には見えるような雑草は抜いた筈なのに、その2週間の間に生えた草は驚くほど、中には抜き忘れたのかと思うほど長く伸びた草も有りました。やって来た日は驚いただけでしたが、2日目からは雑草を抜く作業をしなければならないという心持ちになり、雨に濡れたり、日差しにさらされて汗で濡れたりしながら、何日かは朝方の時間を費やしました。

             

来た時に撮った写真と比べて見てください。草を抜き始めて3日目ですが、随分きれいになった筈です。それでも全部抜いたわけではありません。もう面倒臭いので小さな芽のようなものは残しておくのですが、いつも翌日になると長い草が残っており、一気に成長したのか、気付かなかったのかと首を傾げる毎日です。

             

抜いた草は段ボール箱に入れていますが、この後も帰るまで少しづつ溜まっていきました。抜いても抜いてもいくらでも生えてくるので、こんなイタチゴッコは勘弁してほしいのですが、抜かないと景観が良くないので仕方ありません。「これがお金だったらなぁ」とついつい思ってしまいます。使っても使ってもいくらでも増えてくるなら嬉しいけど、そんな生活出来たら人間ダメになってしまうだろうと自嘲しているのです。

       

雑草と言っても私にはどれが雑草なのかよく分かっていません。抜いているのは主にエノコログサというネコジャラシが生る草、他にも雑草らしきものがあるのですが、私には種を蒔いたものかどうか分かりません。庭一面に生えているのはきっと雑草だと思うのですが、確信が持てないので抜いていないのです。

エノコログサは食用にもなるようで、それなら雑草でもないとは思うのですが、何も好んで食べようとは思いません。ネコが葉を好物にしているという話を聞いたことがありますが、何処かのネコが食べに来てくれないかと思いますね。

             

去年獲ってきたメダカも随分大きくなりました。卵も孵り、稚魚は別のバケツに入れてあります。

昨年は虫に食い荒らされたのか、病気に罹ったのか分かりませんが、サクランボの葉が全滅だったので、今年は春から薬を散布したのが功を奏したのか葉は茂っています。枝はもう私の首辺りまで伸びていますが、幹はそう高くはなっていません。

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上浦の波止場

2013-06-21 05:00:00 | 田舎

私が潮岬の灯台に行くには42号線の潮岬東入口の信号を左折しますが、大阪方面から来ると潮岬西入口の信号を右折することになります。当然のことながら一周するのですが、潮岬と言う陸繋島を一周すると約11km、東と西の信号の間は300mぐらいでしょうか、要するに潮岬は巾着袋のような形をしているのです。一般的には東入口から入る方、左手に大島を見ながら、出雲、浪の浦を経て潮岬へ辿る方が景色はきれいだと言いますが、どちらにせよ一周するのですから、観るものは同じはずなのです。私はこの須賀の浜の砂と遠浅の海がきれいだと思っているのですが、実はは西入口から馬坂を登って行くと見え難いのです。運転していると後ろ側に見えるから、なので東入口から入って西入口へ降りて来ると、馬坂の展望台の少し手前にチラッと見える景色が絶妙、馬坂の展望台からも見えますがもっときれい、運転していても左前方に見えるのです。

             

なので、大阪方面から来て潮岬を一周するなら西入口を無視して通り過ぎ、東入口から入る方がお薦めです。でも私はこの須賀の浜に降りたことがありません。休日になるとウィンドサーフィンなどをしている若者をよく見かけますが、何処に車を停めるのかよく分かりません。須賀の浜に隣接するように上浦の波止場があり、この波止場ならいくらでも車を停めておくことが出来そうです。

             

台風の後なので他港に避難しなかった船は全て陸に上げられています。

             

この広大なスペースはいったい何のためなのか、まさか須賀の浜にやって来る車のための駐車場ではありますまい。500mも東に行けば串本港が有りますから、わざわざ近くにこのような大きな港は必要ないと思うのですが、まさかゼネコンの儲けの為だけに造ったとは思いたくもありません。いくらゼネコンのためでも、世間が納得するような理由が要るでしょう。

             

波止の上に立てば、西側に砥崎、稲村崎、田の崎などが見えます。西の空はまだ低い雲がかかっていました。

             

船着き場の先端部分、ちょっとした岩場になっていて、何か小物が居るかも知れません。向こう側では実際に釣りをしている人が居ましたが、釣れているようではなさそうでした。

             

一番最初に左側の茶色けた部分が出来、その次に真ん中の黒い部分を足し、最後に右の白い部分を造ったような感じですが、波止は白い部分よりも海側に有るので、そういう順序で造ったのではないことは明らかですが、どうみてもこの順番に造られていったような雰囲気です。

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潮岬灯台下

2013-06-20 05:00:00 | 田舎

台風3号が熱帯高気圧に変わり、東の海上に去っていった木曜日、古座川から津荷に行き、何だか目的が果たせてないような気分で昼食をとり、何処へ行こうかと思って考えていると、黒潮の流れる潮岬の灯台下の海はどんな状況なのか知りたくなりました。姫の海岸、特に弘法の湯の下は未だ波が荒く、火曜日から三日間連続でサーフィンを楽しんでいる人を見かけているので、台風後の潮岬はどうなんだろうと思ったのでした。既に津荷の海はあまり波が無いのを確認しています。

             

眼下では穏やかな海に見えますが、磯にぶつかる波は高く渡礁出来るような状態ではありません。ところがこの写真の真ん中辺りに写っているのですが、もう既に漁を開始している船があったのです。

             

望遠で撮ると船に赤い旗を掲げ、ブイには赤い旗が立っています。船に赤い旗を掲げているのは危険物を運搬する印ですが、ブイに赤い旗が立っているのは刺し網漁を行っている印です。まぁ、私の買った船にもいつも大漁の赤い旗が翻っているので、赤い旗が危険物を表示しているとは限りません。

未だ波は3m以上ありそうで、船に乗っていたら随分揺れると思うのですが、大丈夫だったのしょうか。こんな日でも魚はかかるのか、他の船は休んでいるのに、この船が漁をしていること自体が魚が獲れることの証明なのでしょうか。

             


台風一過のこの日ですが、この港には既に渡船が2隻入っています。台風時には何処かに避難していたのでしょうか、それとも自然の要塞のようなこの港では、ここに係留しておいて大丈夫だったのでしょうか。時化時にはこのように普段通り縦に繋ぐより、横に繋いでおいた方が船にとっては安全です。なので何処かから戻ってきたようにも考えられるし、この港ではこのままでも大丈夫なのだと言うことも考えられます。

             

この海でいつも見られる潮流と潮流がぶつかる現象、狭い海峡ならうず潮になるような状況なのでしょう。こんな場所を自分でも航行することが出来るのか、あまり係わりたくない潮の流れです。

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津荷/荒海渡船

2013-06-19 05:00:00 | 田舎

古座川の状況を見た後、昔よく通った津荷の荒海渡船を尋ねてみようと思い、津荷の港まで車を走らせました。船を係留するのに年間経費を抑えるために漁協の組合員になろうと思っていて、それには漁協の組合員の推薦人が2人要るのです。一人は大島の大裕丸のにいちゃんに了解を得ているのですが、他によく知った人と言えば、若い頃よく通った出雲の谷口渡船のおじいさんか、この津荷の荒海渡船の船頭さんぐらいが顔を覚えていてくれそうです。渡船を利用していたのはもう10年以上前のことであり、谷口渡船のおじいさんはもう亡くなられている可能性があるし、荒海さんならなんとか未だ生きていそうなのです。他によく通った須江のしょらさん渡船の人や樫野の永田渡船のおじさんは、きっともう私のことなど覚えていないでしょう。

             

津荷の港に着くと船は一艘しか係留してありません。未だ動鳴気の漁港にでも避難しているのかも知れません。停めてある漁船は横付けされていたので、避難しなかったのかも知れません。波は漁業に差し支えるほど高くは無く、荒海さんなら漁に出そうなものです。港では誰の姿を見ることはありませんでした。

はたして荒海渡船は未だ津荷に存在するのか、一度姿を確認していますが、もう7年も前のことになります。

             

荒海さんは陸に居る時は親切・丁寧、温和な口をきく人でしたが、一旦沖へ出るとたいそうエラそうで居丈高に物を言う人でした。そのギャップがおかしかったし、客が居ない時は漁に出たり、潜ったり、何よりもあまり釣り人が訪れないのに頑張ってるのが魅力の一つでした。

心配になって荒海渡船を検索すると住所が田原の漁協の近くになっていました。電話番号は変ってなかったので同じ人のものなのは間違いありません。ひょっとすると、田原の宮本渡船が無くなって、それに取って代わったのかと思ったけど、やはり宮本渡船は今でも営業しています。

             

いずれにせよ、津荷の漁港で見つけたのは津荷漁協という文字、串本の和歌山東漁協とは異なった存在なのでした。串本の漁協が和歌山東漁協という名が付いているのも不思議ですが、同じ串本町に有りながら、津荷は津荷漁協、田原は下田原漁協となっているのも不思議です。だからきっと荒海さんを見かけたとしても推薦人になっていただくのは無理な話なのでした。

42号線の下を漁港へと抜けるトンネル、壁には津荷の海の磯の地図が書き込まれていました。

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台風一過

2013-06-18 05:00:00 | 田舎

台風3号がやってくると言うので先週の火曜日に串本にやってきたのですが、台風は紀伊半島の方には来ず、東の方へと逸れていってしまいました。水曜日は一日中細かい雨が降ったり止んだり、お昼頃にはまるで台風の目が通り過ぎた時のように青空が見え、「たいしたこと無かったな」と思っていたら、また細かい雨が降り出し、庭の雑草を抜いていた私は、雨がたいしたことないと思っていたので作業を続けていたら、びしょ濡れになってしまっていたのでした。

             

木曜日は関東ではかなりの雨が降ったようでしたが、串本は朝から晴天、台風が来ると言うから慌てて串本にやってきたのに、当てが外れたと言うか、気合が空回りしたと言うか、まぁそんな感じ、朝から雑草を抜いていたら暑くて、今度は汗で服がびしょ濡れ、これは陽が差す前に作業をしなくてはならないと思ったのでした。この日大阪は35℃を超えたとか、串本は暑いと言っても28℃ぐらいだったと思います。

             

台風が去ったので古座川はどうなっているのかと、去年水が出た時に三男が87cmのスズキを釣った場所に行ってみることにしました。未だ帰省時期には早く、誰人っ子一人とて来ていません。でも期待外れで水量はいつもより多いものの、雨が降ったのに全く濁っていません。私はスズキを釣る竿や仕掛けを持っていませんが、これではスズキは釣れなかったでしょう。

川を横断するオイルフェンスのようなブイが張られています。今はカヌーレンタルの営業は行っていないのか、これではカヌーの運航の邪魔になります。

             

清暑島の岩の所々にツツジのような赤い花が咲いていて、珍しいなと思い写してみましたが、何と言う花なのか全く分かりません。目の前が川、暑くて泳ぎたくなる日和でした。

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船を買う

2013-06-17 05:00:00 | 田舎

先週の金曜日に買った船の話が出たのですが、その船を買おうと決めたのは5月のこと、買った船のことでこのブログに一項起こそうと思っていたのですが、なかなかチャンスが無かったので放置しておいたら、台風の襲来となったのでした。台風自体はたいしたことも無く、結果的に言えばそんなに慌てふためくことでも無かったのですが、もし串本を直撃していたらと思うと念には念を入れることは必要だったと思います。

今年の3月に串本へ来た時、古谷魚店で「船を買わん?」と聞かれていたことが有りました。150万円と言われた価格が高いのか、安いのかの判断は難しいのですが、大裕丸のにいちゃんは、古い船は「今時100万もせん(買ってくれん)」と言っていたけど、ネットで中古艇を物色するとかなりの値段が付いています。つまり船を低価格で買い、幾分かの手入れをして高く売るのが業者なのです。その業者の存在を介さなければ、売り手にとっても買い手にとっても好都合なわけなので、100万円という値段を私が決めて交渉したら、一発で決まったのでした。

             

前回来た時にエンジンがかかるかどうかと三男と乗ってみたのですが、どれがスターターのキーなのかよく分からず、取り敢えずそれらしきキーを回してみてもエンジンはかかりません。おそらくバッテリーが上がってるのだろうと思って、交換してくれる店は何処にあるんだろうと思いながら、そのままにしておいたら10年に一度という6月の台風がやってきたのでした。

船を買った時点では私も三男も免許を持っていませんから、船を操縦することは出来ません。三男は早速免許を取りに行き、このブログがアップされた今日の時点では、もう実技の講習も終えて、後は免許が届くのを待つだけでしょう。私はそんなに遠くまで船で出ることもないと思うので、小型船舶2級免許の講習を7月8日から受けに行くことにしています。

             

三男の持ち帰った学科教本や例題集を読むと、2級の免許を取るというのは簡単そうで、いわば常識問題が多く、問題などはひっかけで間違わさせようという意図が丸見えです。ただやたらと専門用語が横文字(カタカナ)なのが厄介です。何故日本語で言わんのやろと思ってしまいます。

1級になると専門知識の理解が必要であるらしく、コンパスや三角定規なども使った海図の読み取りが難しそう、でも三男でも合格したのですから、きっとそう難しくは無かったんだろうと思っています。

             

写真は船を避難させた通称船溜まり、大島に向かって2重の防波堤が有ります。太平洋から見ると先ず大島と言う大きな防波堤が有りますから、その内側に2重の防波堤があれば、内湾は非常に静かです。でも風はなかなか防ぐことが出来ませんから厳重に係留しておかなければなりません。

             

東側の岸壁には多くの船が避難しています。私の船は写真右側、大島向きの岸壁に係留されています。ここは3重目の防波堤になります。

買った船は全長11,75m、幅2,87m、深さ0,98m、総トン数8,01トン、100馬力で進水年月日は昭和57(1982)年5月27日となっていました。30年近くも使用された船ですから、100万円は妥当かも知れません。

             

東側の岸壁ににひしめく漁船、2重・3重に係留されていますが、もっと空いている所もあるのに何故なのか、そういう所が未だ私には解りません。

             

私が船を見ている限り、古座や出雲の船が入って来ています。有田港も避難港になっているらしく、田並から和深の船は有田港へ避難しているということでした。

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