ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

オーロラ

2006-07-31 05:16:40 | 大阪にて
先週の土曜日の夕方、家の扉を開けた途端、この風景です。
まるでオーロラのようで、あわててカメラを取りにUターン。

扉は西向き、大阪湾の方を臨んでいます。

          

望遠で撮ると港大橋が写っていました。

雲が低く立ち込めて、恐ろしいような風景です。

          

右隅は弁天町辺りの高層ビルですね。

          

もう少し北側に目を向けると京セラドーム(旧大阪ドーム)が見えます。
こちらはあまり雲もかかっていません。

はるか彼方に見える山はどの辺りの山になるのでしょうか・・・?

この後、少しして雨が降り出しました。

あま湯

2006-07-28 07:30:44 | 大阪にて
昨日の線路跡より尼崎駅に近づくと、ビールを造るのに使っていたという容器が飾ってありました。

でもあまり人通りがなく、人目にはつかないでしょう。

          

尼崎駅の南側に『あま湯』なる温泉があります。
夏なら営業に出て、汗ビッショリになった体を温泉でサッパリしたいものです。
冬なら、営業からの帰りに寒くて凍える体を温泉で温めたいものです。

この『あま湯』の駐車場を斜めに横断すると会社への近道になるのです。

          

この温泉の片隅に先ほどのビールの碑が建っていて、誰も入っていないようなレストランがありますが、いつも『営業中』になっています。



キリンビールは

2006-07-27 05:40:37 | 大阪にて
ようやく晴れ間が続くようになり、大阪の梅雨明けもそろそろでしょうか。

JRの尼崎駅から今度の職場まで歩いていくのですが、まぁ幾通りものコースがあります。
多分一番近いコースだろうと思われる道程にこんなものがありました。
JRと阪神電車の中間に会社があるので、ここはJRの南側にあたります。

          

もう・・・ずっと前からこんな状態だそうです。

これは以前JR尼崎駅の北側にキリンビールの工場があって、出来たビールを運ぶのに使われた路線の跡という話です。

南に延びているので尼崎港まで線路があったのではないでしょうか?
キリンビールだけのために・・・???

一番上の写真は東向きに撮ったものです。

          

これは西側を見たものです。

残そうとしてるのか、ただ単に潰してしまう費用が無いだけなのか・・・私には解りません。
 

法善寺

2006-07-26 05:51:45 | 大阪にて
難波に寄ったついでに昼飯を食うことに・・・

さすがミナミの繁華街ですから、飯食う店は五万とあります。

法善寺横町の近くに昔からやってる天丼屋さんがあります。
昔から500円でした。今はちょっと折れて550円になっていました。

それでも赤だしが50円ですから、600円で昔ながらの美味しい天丼が食べれます。

          

店は5人しか入れません。12歳以下の子供は入店禁止です。
でもアダルト指定とかのいかがわしい店ではありません。

          

天丼屋さんを撮ったところから反対側(西側)が法善寺に通じる通りです。
この奥に法善寺があります。

♪包丁い~っぽん・晒しに巻いて~♪と法善寺横町を唄った藤島恒夫は、どうやら我が社の前身に在籍していたことがあるらしく、それも我が家の近くの局で・・・知人(亡くなりましたが)が言うには「金を貸したのに返しよらんかった」らしい。

          

観光客や地元の方が沢山お参りに来られていますが、誰もいない時を見計らうのはなかなか至難の技ですよ。

南海HAWKS

2006-07-25 05:48:34 | スポーツ
昨日は朝からgooのBlogのメンテナンスがあり、投稿できませんでした。
迷惑この上ない。

尼崎に職場が移って以来、自分の意思で外に出ることも出来ず、いろいろ予定がこなせず困っています。
例えば本屋にも行けないし、銀行にも行けません。

そんなことで休みの日に銀行に行く羽目に・・・
私のMyBankは労金なので、難波に行きました。

その昔、大阪球場のあった所は『難波パークス』という商業施設になってしまっています。
ここをそのまま野球場で残し、ドームに改装していたら・・・そして事業主はダイエーであれソフトバンクであれ、Hawksが本拠地にしていたら、週一は通うでしょうね。

京セラドーム(大阪ドーム)にせよ、東京ドーム・ナゴヤドーム・甲子園球場にせよ、市の中心地より妙に遠く交通の便が至極悪い、これは大阪球場のあった難波のように交通の便の良い所に野球場を作っても、儲かるのは一部野球関係者だけやというスポーツを楽しむことを二の次においた、利潤しか考えない資本主義の悪癖であるような気がします。

上の写真は元大阪球場のホームベースのあった所です。
一応、歴史は残しておいてくれているのですね。

          

影の向こうにピッチャーズプレートがあります。
写真で見ると遠いようですが、18メートルですから近いですよ。

そこを150Kmの球が走ると一瞬なのですが・・・

          

その大阪球場が取り壊しになる前に一般公開があったのですが、その日は長男と一緒に出かけました。
そんなことがあるので、長男もHawksファンなのでしょうね。

あの日は、南海ホークスの最盛期の杉浦投手や皆川投手も来ていました。
何故か野村克也捕手が来られてなかったのが残念でしたが・・・
両投手とももうお亡くなりになり、寂しい限りです。
ご両人ともとても紳士で、人間的にも立派な方だったと思います。

          

その時いただいた皆川投手のサインボールです。
10万円で売ってくれと言われても、よう手放さんでしょうね。

トケイソウ

2006-07-21 05:34:19 | 神戸にて
覚えていますか?須磨寺に出かけた時に見かけた花・・・トケイソウという花だそうでした。

須磨寺

一昨日、川西市の山下という駅で降りて研修もどきをしていたのですが、ふと見るとそのトケイソウが咲いている民家がありました。
さっそく訪れてお話を伺い、写真を撮ることを許していただいたのですが・・・

           

こうして観ると、花は沢山咲いてはいないのですが、大きくしぼんでいるのは咲いた後、小さいのは蕾だそうです。

ちなみに、どれが花びらでどれが額?オシベ・メシベはどれですかとの問いには、「さぁ・・・?」という返事でした。

ちなみに原産国は何処で、今はどの地域によく咲いているのか・・・?
私はついこの間まで見たこともない花でしたから、日本産でないのは確かでしょう。

          


堀川戎

2006-07-20 05:28:13 | 大阪にて
実は、西梅田から南森町に歩いて行くと、大塩平八郎の墓より手前に堀川戎神社がありました。

私にとっては大塩の乱の方が印象に強かったものですから、先にBlogに取り上げたのです。

毎年正月3ヶ日が明けると次の楽しみは十日戎です。
私の家からは前述の今宮戎神社が近いので、毎年今宮戎に引っ張られますが、堀川戎神社はこれが初めての訪れです。

          

大阪の十日戎『えべっさん』は南の今宮、北の堀川と人気を二分している感があります。

私は商売人ではありませんので、十日戎の雰囲気を楽しんでいるだけですが、企業にいる営業の人たちも十日戎に何かを期待している人がいるようです。

堀川戎神社は小さい神社です。
南の今宮戎と比べるとホントに小さい。
でもお祭りになるとすごい人出になるのでしょうね。

          

これは天神橋筋商店街・・・地下鉄で言えば、北は天神橋筋6丁目から扇町を経て、南森町を越えてアーケードはなくなっていきますが、尚且つ商店街が続きます。

もうすぐ天神祭りです。



大塩の乱Ⅱ

2006-07-19 06:13:20 | 大阪にて
大塩の乱があったのが1837年。
この辺りから、幕末に活躍する人々が誕生し始めます。

平八郎は与力であった当時、幕府の機構での賄賂の横行などに大いに腹を立て、それに立ち向かおうとしますが、幕府の高級官僚には咎めなしで、平八郎は落胆し、与力の座を格之助に譲ってしまいます。

その後昨日も書いた、天保の大飢饉があり、庶民を苦しめる政治に対して、平八郎の憤りは大塩の乱につながっていくのでした。

幕府の堕落した自浄能力の無さは、この頃生まれた人たちによって、明治維新へと転換させられていきます。

          

ところで、平八郎の墓があった寺の並びには日蓮宗のお寺がかたまってあり、一番東にあった蓮興寺には大塩家の墓がありました。

中ほどにあったお寺に日蓮の教えでしょうか、『異心同体』『祖風扇揚』『信力不退』『護持山門』と刻まれた碑があります。

私には意味が不明です。


大塩平八郎の乱

2006-07-18 06:08:48 | 大阪にて
天満の研修センターに行くのに、当初は大阪駅から環状線に乗って天満で降りていたのですが、大阪駅から降りてくる客がものすごく多く圧倒されるので、乗り場へなかなか辿り着けませんでした。

それで西梅田から東へ向かって歩いて行くことに・・・

1日目は国道1号線を南森町方面へ歩いていって、天神橋筋商店街を左に曲がって天満に行きました。

2日目は一つ北寄りの道を歩いてみました。
すると、大塩平八郎の墓がありました。
大塩平八郎は1800年当時、大坂東町奉行所の与力で、陽明学の学者でした。

          

日蓮宗・成王寺とあります。
格之助君の墓というのもありました。
格之助は平八郎の養子で、平八郎が37歳で与力の職を辞すと、その職を継ぎ、大塩の乱で戦死しています。

          

『救民・大塩の乱に殉じた人々の碑』というのもありました。
そういう人たちを祀るのも、なかなか出来ることではありません。
しかも大塩平八郎の墓より大きい。庶民第一ということでしょうか?

1832年の天保の大飢饉から大塩の乱につながっていきますが、平八郎は「飢饉は天災ではなく人災である」と言っています。

その後江戸時代が終わるまで、幕府に刃向かったということで、大塩たちの墓は造ることを許されませんでした。


新たな職場

2006-07-15 06:50:35 | 大阪にて
一昨日の昼から尼崎の新しい職場に来ています。

PCも机も電話も新品です。でも安物です。
細々(こまごま)としたものは新しいのですが、大きなものは旧態依然で、トイレなども改修されていません。


場所的にはJRの尼崎駅と阪神の尼崎駅の中間点ぐらいですが、どちらからもバス代が支給されます。半年で4万円程度浮く勘定になります。

歩いて15分程度なので、バスに乗る人はいないでしょう。

阪急電車で来る人は塚口駅でバスに乗るので、ちょっと歩くには無理があるかも知れません。彼らは通勤費を浮かせられません。

神戸で働いていた時も、三宮で降りて15分くらい歩いて職場にたどり着いてたけど、バス代は支給されませんでした。おそらくバスの経路がなかったからでしょう。
私の場合、三宮へ行くより通勤費が高くなっています。