ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

滝の拝の鯉のぼり

2008-04-30 05:30:00 | 田舎
月並みですが、ここ滝の拝にも鯉のぼりが渡してありました。

       

何時の頃からか、何処の川にもこうして鯉のぼりを渡している所が増え、古座川もお前もかという思いです。(ここは支流の小川ですが)

            

ここは川面一面に水がある訳ではないので、あまり鯉のぼりは映えないように思います。
私には黒い鯉のぼりが何故かめざしのように見えます。

       

奥の民宿の藤棚の花はきれいに咲いているようです。

ところで藤棚の右手に赤い前掛けをした人が立っているのが判りますか?
真ん中の黒い鯉のぼりの右横です。

          

この人です。最初の写真の拡大です。
肉眼では判らなかったのですが、写真を見ていると写っていたのです。

                 

これは2枚目の写真の拡大。
時間が経っているのに同じポーズです。
どうもおかしい。

          

4枚目の写真の拡大、これで判りました。どうやら人形のようです。
でも何故・・・意図がよく解りません。

            

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宇筒井川の藤の花 Ⅱ

2008-04-29 05:30:00 | 田舎
楽しみにしていた藤の花を観ようと、七川ダムから滝の拝へ車を走らしました。

ところが今は全く花が咲いていません。どうしたことでしょう。

木が枯れてしまったのでしょうか。それとも何年かに1度しか咲かないのでしょうか?

            

仕方がないので対面に咲いていた藤の花を撮りましたが、全然見劣りしてしまいます。この藤は去年は咲いていたのかな?

去年ここに咲く藤は見事に咲いていました。

藤の花について少し考えたことがあります。
ここでいう藤の木と言うのは古墳のことではありません、春に咲くきれいな花のことです。

藤は藤棚や他の木に巻きついて、宿木のように養分を摂ってるわけでは無いのでしょうが、自らの力で咲き誇る木ではありません。

天智天皇は自分に尽くしてくれた中臣鎌足が病気で亡くなる直前に見舞いに行き、大織冠内大臣の職と藤原の姓を賜っています。
そして藤原家の家紋は藤です。

この不思議な所以・・・藤原家は初代鎌足・不比等・仲麻呂・・・を初めとして代々、決して天皇に取って代ろうという欲は無く、だけどその地位を利用して代々権力を咲き誇らせてきました。

全く藤の木のありようとそっくりなのです。
天智天皇はそこのことを解っていて、藤原の姓を与えたのではないと思うのですが・・・。


去年は咲き誇ってる藤の花を観てたので、こちらの花には気が付かなかったのかも知れません。

       

もし去年の記事を覚えてられて、今年行ってみようと思っておられましたら、今年はキャンセルした方が無難です。

これから先、GWのうちに咲くことはないでしょう。

その代わり目と鼻の先に滝を見つけました。

            

結構上のほうから落ちてきています。




この源流は何処なのか、また研究課題が一つ増えました。

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露天神社 Ⅱ

2008-04-28 21:30:00 | 大阪にて
あまり広くもない神社ですが、キタの中心街にあるためか人がひっきりなしに通ります。

       

こちらは南側の入口、正面だそうです。
するとJR大阪駅から来る人はみんな裏口(北口)から入ることになります。

       

こちらは金毘羅さんと水神宮です。
こんな所で金毘羅さん?と思いますが、昔はこの地は難波の津と呼ばれていたんですね。水神宮があっても不思議ではありません。

あの水という字は、水神宮と関係あったのかも知れませんね。

       

もうサクラの季節も終わってしまい、葉桜になってしまっていますが、吾ながらなかなかいい構図だと思います。もう少しワイドに撮れればいうこと無しなんですが・・・

            

こちらは東の出口、夜は繁華街です。

       

献灯の堤燈の下に僅かにお初・徳兵衛の像が見えますが、この奥にお稲荷さんがあります。

            

この細い道を通ってお百度参りをするんですね。
でもこんな都会でお百度を踏む人っているのですかね。

       

お稲荷さんを左に曽根崎商店街へと抜けていく北口です。

            

右にはとてつもなくでかい灯篭がありました。

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露天神社

2008-04-25 05:20:00 | 大阪にて
露天神社の境内内にあるこれ、標柱<しめばしら>というそうです。

よく見るとこんな紙が貼ってありました。

       

グラマンの機銃掃射の弾痕が残っているそうですが、今まで全然気が付きませんでした。
大阪駅方面からとありますから、この写真では手前左から飛んできたことになります。

鳥居の左の標柱に『人咸蒙○頼』とあり、○の字が恩なのか思なのか判り辛いのです。

       

で、近寄って撮ってみると恩でした。

右の標柱には『定医薬禁厭』とあり、私には読めないのですが、どうやら片方づつに意味があるのではなく、両方読んで意味を為すらしい。

この地に座します大神は医学・薬学・除災のご神徳を持たれており、人々は皆恩恵を受けているというような意味だそうです。

       

境内には近松門左衛門の『曽根崎心中』、お初・徳兵衛の像が建てられていました。
以前は見なかったので、最近出来たものだと思います。

            

人形浄瑠璃の立看板も何枚も見かけました。

この神社がお初天神と呼ばれるのは、上記の所以があるのだろうと思うのですが、天神さんなら菅原道真と思われるのは私だけではないと思うのですが、公の像はありません。

だけど「露と散る 涙に袖は朽ちにけり 都のことを思いだすれば」という道真公の句からこの神社を露天神社と呼んでいます。

       

こちらが本社です。
境内図を見ると本殿とか拝殿とかいう表示はしてありませんでした。

       

ここは馬ではなくて牛が祀られています。馬はえべっさんでよく見かけますから、祀ってある神によって異なるのですね。

       

難波(夕日)神明社というそうで、夕日が見える西向きに建っています。

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ごて地蔵とお初天神

2008-04-24 05:40:00 | 大阪にて
突然ですが、曽根崎商店街を歩いていると『ごて地蔵』なる矢印があり、従って行ってみることに。

曽根崎商店街と御堂筋の間に佇んでいました。

       

何故『ごて』なのか知りたかったのですが、このようなありきたりの説明では『ごて』の意味が解りません。

『こてこて』所謂べったりという意味と同義に使う『ごてごて』の『ごて』でしょうか?誰が名付けたか判らんという説明は良くない、せっかく訪れた人の気持ちを台無しにしてしまいます。

            

だいたい「当地を来訪される多くの人々の厚い信仰を受けてる」って、私も40年位前からここら辺りをウロウロした経緯がありますが、今の今までこんな地蔵さんがあるのさえ知らなかったくらいの存在です。

ウソというのか大袈裟に言うのもいい加減にしてほしくなります。

商店街を南へ下るとお初天神があります。

       

ここがお初天神の北側の入口にあたります。


            

いくらキタの中心街と言えども、由緒ある神社をコンクリート街が囲むのはどういうものでしょう。

       

よく見ると、こんなところに注連縄が張ってありました。

            

南側の出口(正面)の方向ですが、向こう側に私が曽根崎で勤めていた頃(5年くらい前)には無かったビルが建っています。

       

こちらは西方向、御堂筋を越えれば大阪駅前第1ビル~第4ビル等が建ち並んでいる一帯です。

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大池

2008-04-23 05:00:00 | 大阪にて
満池谷斎場の前から北方面です。

甲山は真ん中に見えていますが、未だかなりあるようです。

       

ここは甲陽園本庄町という辺り、しばらく歩くと池が見えてきました。
地図では大池と書いてありました。

未だ木々には緑がありませんが、このところの陽気のせいか釣り人が繰り出しています。

       

釣りは『ヘラに始まり、ヘラに終わる』と言われています。
私は小さい頃マブナを釣って始まりましたが、ヘラブナは釣りに行ったこともないし、未だ終わってはいません。

       

ポイントもいくつかあるようで、あっちこっちに散らばっています。

       

ここは一人で独占しているようです。
池に臨んで釣座が作ってあるように見えますが、個人のものでしょうか?

私が何故この池でこの人たちを撮っているのかと言うと、この掲示があるからなのです。

       

市当局はここでの水遊び・魚釣りを禁止しているのです。
いかに令を守らない人々がいるものか、人間の自由と令はどちらが重いのか、考えさせられます。
おそらくこの人たちは自由の方が貴いと思っているのでしょう。私もです。

       

しかし当局としても、この池に至る階段などを作ってしまっているのですから、本気になって遊んではいけないとも思っていないのでしょうね。

当局としては事故が起きては責任が問われるし、絶対禁止などにしてしまえば政権が保てないと思っているのでしょうか。

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満池谷

2008-04-22 04:30:00 | 大阪にて
JRさくら夙川駅から北へ新甲陽町という町を目指して歩いていくと、神原小学校という学校の手前で東へ曲がる道があり、きっとそちらの方が近道だと思い進んでみました。

     

すると植物遺体包含層という案内板が立っているところがありました。

どれ位前の地層に包含されていたのかは明らかではありません。

シラビソ・グイマツ・イラモミ・シラカンバ・ネズコ・チョウセンマツ・・・知らん木ばっかり、シラカンバは白樺のことでしょうか?
サワラって魚やん。

でも県指定の天然記念物です。

       

ところがここに困ったものが・・・

       

堂々と立て札の前に停めてあるのは、鹿児島ナンバー・三菱の軽車両です。

       

停めてあったのはこの車だけではありませんが、立て札の前に停めるなんて挑発的だと言われても仕方がないような気がします。




神原小学校の前で右折せず、まっすぐ阪急甲陽線に沿って上がっていくと、丁度さっきの天然記念物のある辺りの裏側にこのような案内板がありました。

       

約70万年前に火山灰が広範囲に降り、その時の凝灰岩があずき色をしていたのでこの名前が付いたのだと説明があり、このような地層は『鍵層』と言われて年代を決める手がかりになり易いので貴重だとしています。

電電公社の厚意により・・・という文からして、かなり古い案内板です。

       

あずき凝灰岩層の案内板のあった地点より、手前に神原小学校と並んで大社中学校という学校がありまして、その中学校が新しい実力者を生みました。

       

この前の名古屋国際マラソンで優勝して北京オリンピック出場を果たした子やね。
なんだか雲行きの怪しい北京五輪ですが、ここで知ったからにはオリンピックでも頑張ってもらいたいものです。

       

結局の所、小学校の手前を曲がってもまっすぐ来ても、ここ満池谷斎場の入口で合流しました。

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廣田神社 Ⅲ

2008-04-21 05:00:00 | 大阪にて
2年前にも訪れた廣田神社でしたが、北東部にこんな碑がありました。

     

兜麓底績碑(中村治部紋左衛門の水利功績の碑)とあり、説明が続きます。

寛永18年の干ばつで灌漑用の水も生活用水も無く、この西宮地域の一帯が困難に陥っているとき、仁川の水利権を主張した中村治部が60mの岩盤をトンネル状に刳り貫いて水を引いたとあり、完成が2年後の寛永20年とあります。

       

もう干ばつは無くなっていたのでしょうが、その後も水利は続いたのでしょう。

兜麓は甲山の麓という意味ですね。

       

廣田神社の参道は松並木が続く、昔ながらの地道です。

       

横にマンションやコンクリートの道路が無ければ、時代劇の撮影にもってこいの場所だと思います。

武庫川にしても夙川にしても、そしてここでも大きな松が沢山残っています。

       

参道の入口付近ですが、何故か廣田神社のものは社殿にしても鳥居にしても新しいものが多い。参道に比べると時代を感じさせないのです。

       

これも平成11年建立です。阪神大震災で崩れて再建されたのかも知れません。

       

こういう写真ではなくて、実物が残っていて欲しいものです。

       

ここは阪急神戸本線の高架下です。参道の入口から南東に1km弱あります。

ここに古い廣田神社の道標がありますから、昔はこの辺りからが参道だったのではないでしょうか。

            

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お花見

2008-04-18 05:00:00 | 大阪にて
先日の日曜日、かなり曇っていましたがソフトボールの練習の後、万代池で恒例の花見を行いました。

       

一週間前に満開を迎えたサクラ、この日はさすがに人出も少なく、場所取りは楽でしたが、物凄く寂しい雰囲気です。

       

それでも何組かは来ていて、いろんな物を飲んだり食べたりしていました。
しかし、生ギターのセッションも民謡もブラスバンドもありません。

       

池の中央にある橋に鳥居がありました。

            

このサクラは未だ沢山の花を残しています。

       

横向きに伸び出しているのに、やはり天に向かって伸びています。
少し雨が降ってきたので、あまり飲まないうちに退散しました。

帰途、土曜日に徳島へ鯛を釣りに行っていたお友達の家に呼ばれました。

       

釣った鯛はカスカスだったそうで食べません。
これは石鯛、磯釣りの王者です。

       

だけどこれは釣ったものではありません。
1匹2500円で売られてたものだそうです。

それにしても安い、そして旨い!
お造り、鍋も、寄せ鍋とチリ鍋にして氷見のブリ以来、美味しい魚を満喫しました。

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廣田神社 Ⅱ

2008-04-17 05:20:00 | 大阪にて
サクラではありません。

ツツジです。

       

このピンク、サクラよりずっと濃くてきれいです。
廣田神社の境内の中にあちこちと咲いていました。

       

兵庫県指定の天然記念物だそうです。

『コバノミツバツツジ』という名前だそうです。

       

これでミツバツツジというのは解ります。

でもコバノという意味が解りません。

       

花は全くツツジです。
先の13日の日曜日にはツツジ祭りが催されたようです。

       

メーデーの頃に咲くツツジよりかなり早く咲いています。

       

同じ日ですが、陽の当たらないところは未だ蕾ばかり、でもこの形状が素敵ですね。

       

蝋燭のようにみんながみんな上を向いているのが面白いです。

       

こんな所に名前を残そうと思うなんて、名誉欲なんでしょうね。
こういう知事は県民に対して、何か残してくれたものはあるのでしょうか?

この碑の周りのツツジは全然咲いていませんでした。

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