ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

浄源寺と伊丹空港

2008-01-31 05:10:00 | 大阪にて
猪名川を越えて西国街道の続きです。と言っても川の浅い所を通ったのではありません。
国道171号線上の軍行橋を渡ったのです。

実はこの写真は伊丹廃寺跡の続きです。
ですからイチョウの樹もまだ葉が少し残っています。

       

西国街道を東から下ってきた参勤交代の一行は、遠くから見えるこのイチョウの樹を伊丹への目印にしていたと旧岡田家酒蔵で貰った地図に書いてありました。

       

伊丹市指定の天然記念物だそうです。

       

樹齢推定300年・・・参勤交代が始まった頃には未だこの樹は無かったということになります。
1700年ごろにこのイチョウの苗木が植えられたとして、遠くからこの樹を目印に出来るほど成長したのは、もう幕末も近かったのではありませんか。

昆陽の地を出て、この寺のイチョウが一里塚としての目印だったというこの説明の方が納得できます。

            

せっかく猪名川を越えたので、飛行機を撮ろうと少し歩いてみました。

     

伊丹空港は大阪空港とか豊中空港とも呼ばれています。
豊中側から着陸してきて、こちら伊丹側から飛び立っていきます。
宝塚・尼崎の上空を回って東へ飛んでいくのです。

仕事でインターホンを鳴らす時に、飛行機が飛んでくると喧しくて声が聞き取れません。
最近は鳴らすタイミングを考えるようになりました。




やってきたのはプロペラ機でしたが、迫力あるかな?

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当たったかな?

2008-01-30 05:00:00 | 大阪にて
賞品の当せん番号決まる お年玉付き年賀はがき(共同通信) - goo ニュース

古紙含有率などで偽装が発覚している年賀はがきですが、今年から当選番号の抽選が27日になりましたね。1月の第4週の日曜ということでしょうか。

これは遅いと思う。もうお年玉と呼べるような時期ではありません。
去年までは旧成人の日前後の日曜日に発表だったのです。


年賀はがきの売り上げを伸ばすために、はがきの販売期間を長くしたためだとか言っているのですが、たいていの年賀はがきは15日までには出し尽くされていると思うのです。

これは郵政公社という民営化路線の賜物なのでしょう。

       

去年までは確か4つあった切手の当選番号が2つになっていました。
これで切手に当選する人が半分になったというより、当選した切手を払い出すのが半分になった・・・郵政の手間が半分になったということでしょう。

もう郵政公社は労働者を減らす目論見をしています。

私宛に来ていた年賀状の束ですが、100枚位はあると思います。
切手が当たってたのは唯の1枚だけでした。

去年も確か下二桁の当選番号は四捨五入すると100番に近い数字ばかりで、50番より下の数が多かった私宛の年賀状は皆目当たっていませんでした。
だけどそれは運と思って諦めていました。

       

あまねく公平を原則としていた我社や郵政は、民営化になっても公平と言う原則を守らねばなりません。

このように当選できる年賀はがきの数が減り、高価なものが一部の人にだけ当たるようにするような考え方は、民営化と言うものがどんな意図でなされたのかを早くも物語っているのです。

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今日は私の56回目の誕生日でした。
年賀はがきの当選数と同じように、あまり嬉しくもありません。

日米友好の花水木

2008-01-29 05:20:00 | 大阪にて
このあいだ正月を迎えたと思ったら、もう1月も終わろうとしています。
歳をとると月日の経つのが早いものです。

今は伊丹市の中野西という所を回っていますが、寒いせいなのでしょう、インターホンを鳴らしてもなかなか出てきてくれません。

            

中野西の4丁目と2丁目の境を天王寺川という川が流れていますが、4丁目の北角にこんな顕彰碑が建っていました。

新田中野村は「しん・たなか・のむら」ではありません。「しんでん・なかのむら」であります。

         

裏には説明文が長々と書かれています。

            

この弱々しく見える木はハナミズキ。
私はこう見えてても花や木の名前は判りません(判らんことを自慢しているわけではありません)。

       

中野村で育った桜が、アメリカに行ったのはそれはそれでよろしい。

そのお返しが直接この村にではなくて、何処かの街にに行っていたのでしょう。
伊丹市がわざわざ言わん限り、この地に植えることはなかったかも知れないという我が国の意識はとてもおかしい。

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教善寺と芭蕉碑

2008-01-28 05:30:00 | 大阪にて
辻の碑より少し北へ行くと教善寺というお寺があるというので、足を伸ばしてみました。

       

街の一角に足を踏み入れた途端、この竹で作ったプランターがやけにかわいいと、「この家の人センスあるやん」と思ったのですが、どこの家にもこのようなプランターが置いてあり、街としての事業だったようです。

       

家の周りに溝が流れている家は、こうやって溝に架けてありますが、普通の家は壁に沿って置いてありました。

       

教善寺に着きましたが、伊丹にある寺はこうやって門に柵をしてある寺が多いように思います。
横の木戸から入れるようにはなっているようです。

       

境内にこんな碑が・・・将棋の駒を持ってくればよかったですね。
このお寺は将棋にかかわりがあるのでしょうか?

でも大和国へ十里余り、京へ十里とあって、多田院へ7キロって変ですね。
大和国が何処を指すのか判りませんが、奈良なら40Kmではきかないと思います。

       

西国街道に戻って東へ、JRの踏切を越えるとすぐに猪名川の土手に突き当たります。

       

芭蕉碑があるというので探すのですが、なかなか見つかりません。

       

少し北寄りにありました。

       

俳句でも刻んであるのかと思いきや、『芭蕉翁 あゆみの地』と書いてあるだけでした。

左にあった碑は何やら漢文が書いてあって、護国山総国分寺と掘られていたので、ここにお寺があったのでしょうか。

       

上の方に伸びている道が西国街道です。
ここには橋がありません。昔の人は歩いて渡ったのでしょうか?
今は川の水も多くありませんが、昔はもっと多かったに違いありません。

       

交差点の左にあった喫茶店?でしょうか。ひっきりなしに車が出入りしています。有名なのですかね。私は喫茶店には皆目用事がありません。

       

猪名川沿いにJR伊丹駅まで土手の上の道を歩きました。
轟音と共にジェット機が飛び上がります。

もうすぐそこ、伊丹空港は猪名川を渡ったところにあります。

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伝和泉式部の墓と辻の碑

2008-01-25 05:00:00 | 大阪にて
発音寺は伊丹の台地の東の端にあるようで、そこから伊丹緑道という台地に沿った道が東西に造られています。

       

こういう雰囲気の道ですが、かなり古木もあるようです。
僧行基が聖武天皇に猪名川と武庫川に挟まれた台地を開墾することを願い出て許されていますが、その台地の東端がここらということになります。

       

伊丹緑道と西国街道の出合点を少し西へ戻ると、伝和泉式部の墓の案内板があり、それに従って少し坂道を登ると、判りにくい所にありました。

       

この駐車場の左側に目立ったのがこれ、でも八幡神社跡とあり、墓ではありませんでした。

奥の白い車のボンネットとフロントガラスの上辺りに、和泉式部の墓があります。


            

何故こんな所に和泉式部の墓があるのか?
和泉式部の墓は全国至る所にあるといいます。

唯一伊丹に関しては・・・
『津の国の こや(昆陽)とも人をいふへきに ひまこそなけれ 芦の八重葺』という歌があるだけだそうです。

西国街道に戻り、更に道を東へと進めると、西国街道と川西方面へ抜ける多田街道の交差点に出会います。

       

チラッと左側に見える道を北へ進めば、多田神社に着くのでしょうか。

       

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西皇太神社と発音寺

2008-01-24 05:20:00 | 大阪にて
天神社から少し東へ歩いて、一つ北の筋に神社があると言うので行ってみました。

       

左端の松の木と右奥の栢の木が有名だそうです。

       

コントラストが悪くて、何て書いてあるのか判りませんね。
西皇太神社、西が付いているということは東皇太神社も伊丹の何処かにあるということなのでしょう。

西国街道に戻って東へ進みますが、途中で二股に別れていて、どちらが街道なのか判りません。

      

大鹿という街に入ってきているようです。

発音寺というお寺に文化財があるというので、そちらの方へ行ってみました。

       

突き当たりにこのお寺があり、発音寺らしい。
突き当たってしまったと言う事は、街道筋を外れたということですね。
『ほつおんじ』と読むそうです。

            

表にこのような碑が建てられていますが、中には入れないのでしょうか?
門の横の木戸を開けて・・・中に入れました。

            

また、碑だけのようです。
誰かいる気配もありません。

外に出ると壁に案内が・・・

      

三体の市指定文化財があるようですが、写真だけですかね。
重要文化財とは書いてないので、そんなに重要じゃないのかも知れませんが、目にすることは出来ません。
前にも書いたけど、伊丹市は折角の文化財をなかなか見せてくれません

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ただの天神社

2008-01-23 05:10:00 | 大阪にて
以前に西国街道のことに触れたのは、市役所より西の昆陽という街中でした。
そこで西国街道を東へと辿ってみることにしました。

市役所は千僧という街にあります。

少し南へ歩を進めると西国街道に着きますが、遠くからでも高々と茂っている樹が見えたので行ってみると、天神社の鳥居がありました。

       

先の東天神社や西天神社はここより西にあります。

       

昭和45年に4億5000万をこの土地の方々が譲渡したと認めてあります。
この碑にある今池という池を埋め立てて、その土地を供出したのでしょうが、市民団体としては大変な額だと思います。

       

境内の片隅に古いお地蔵さんが集められていましたが、下がセメントなのが気に入りません。

       

流石に伊丹市と思わせるのは、奉納と書かれたモニュメントが酒樽型であったことです。

       

この天神社の前の道が西国街道なのですが、ここから猪名川までの道を西国街道で行ってみたいと思います。

昔の名残を残す家が数軒あります。

道幅が狭いでしょ。大名行列がしきりに通ったとは考えられないのです。
百姓たちが蹲ると、行列は一列になって進まなければならないくらいなので、横の民家から刺客が襲えば簡単に大名籠を突き刺すことが出来たと思うのです。

       

まぁ、江戸時代中期はそのようなことも起こらないくらい平和だったのかも知れません。

何やら手前に祠がありました。

            

お地蔵さんと言うより、小さな御神体ですね。
こちらの方が可愛かったな。

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斑鳩神社

2008-01-22 05:00:00 | 
夢殿と東大門の間に2本の一般道があると昨日書きましたが、東大門の手前の道端にこんな標識がありました。

            

300mなら知れてるし、行ってみようと思ったのが間違いだったというか、この標識の300mがウソだったのです。
300mほど歩いても何もありません。

先に川の土手のようなものがあったので、登ってみると・・・

       

池でした。

対岸に鳥居らしきものが見えるので、歩いていきます。

       

やっとのことで道路に出ると、お地蔵さんが並んでいました。

       

やはりここが斑鳩神社でした。
7~800mは歩いたような気がします。

     

西国街道で見た案内板とよく似た形式です。
共通点は歴史街道のマーク、この辺りは何街道というのでしょう?

ここは天満宮で学問の神様のようです。

       

境内に吊るされた絵馬には、進学祈願の字が・・・聖太君だなんて、この地に所縁の名前を付けられて、親の思いを聞いてみたい。
そう考えてみると、徳子という女子の名前はたまに聞きますが、聖太と併せると聖徳太子になりますね。

            

天井裏です。真下に向かって、『天満宮』の額があります。

       

結構鬱蒼としていて、大阪のキタにあるものを天満宮などと決めつけていると、イメージがかなり違います。

       

階段を降りると池の向こうに法隆寺の五重塔が見えました。
光学3倍のズームです。

       

同じ道を帰ってきて、途中にあった法隆寺寄鹿門です。
鹿が寄ってきた門と言う意味でしょうか。

山背王子初め入鹿によって滅ぼされた中宮家は熱心な仏教徒だったので、肉食をしないので鹿も安心して寄ってきていたのかも知れません。

       

法隆寺の土塀です。北の方角を向いて撮っていますが、あの斑鳩神社への標識から100mほど来ています。200m先に斑鳩神社があれば、その雰囲気が感じられると思うのですが。

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法隆寺 Ⅱ

2008-01-21 05:30:00 | 
西院伽藍を出て、東院伽藍に向かう途中に大宝蔵院があります。
ここは外から撮影禁止と書いてあり、観光客も係員も多いのでカメラを使うことは出来ません。

       

でも隙を狙って、外からパチリ!
なんぼなんでも、こんな風景撮ったらアカンことはないでしょう。

厩戸王子の摂政時代、親交の深かった百済の観音像を見ることが出来ました。
イヤにひょろ長い仏さんやなぁと思ったもんですが、写真に撮ることは出来ません。

       

東大門です。

       

東大門の内側です。いやどちらが表か裏なのか私には判りません。
東大門と夢殿の前の四脚門の間には一般道が2本南北に走っていました。

       

東大門を経て、四脚門の向こうに見える夢殿です。

       

古来中国では八角形は縁起が良いとされ、重要な建物にも八角形が用いられました。
聖徳太子(厩戸王子)が築いた斑鳩の宮は、その子山背王子の時、蘇我入鹿によって焼き尽くされてしまいますが、その跡に天平の頃、行信僧都という高僧が建てた伽藍の中心がこの夢殿だと言われています。

       

ここにも老木が息絶え絶えに立っていますが、こちらは枝垂れ桜でしょう。
きっと春には花を咲かせるのでしょうね。

       

東院伽藍の廻廊、夢殿の周りに枝垂桜が並んでいます。

       

奥まで行くと中宮寺がありましたが、また拝観料が要るので入場はしませんでした。

       

戻ってきて、宝蔵院の南に位置する辺りです。
巨大な楠を見つけました。

       

幹が劣化しているのか、巨大な瘤みたいになったのが数個あります。

       

落雷でもあったのでしょうか、裏側は木質が殆ど失われています。

            

それでも上部は葉が茂っています。

       

これは鏡池と呼ばれている池、見る方向が違うと五重塔が映るのかも知れません。

       

配置図を見るとシンメトリーに池があります。

       

こちらは弁天池、夏になると蓮の花が咲きそうです。

       

もう疲れたけど、南も東も大門を観たので、西大門も観なくては勿体ない。

西院伽藍の前を通過して西大門まで行きました。

       

外側からの西大門です。

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法隆寺

2008-01-18 05:00:00 | 
正月三箇日を過した私は4日は出勤し、5・6日と又連休でした。
5日の土曜日、余りにヒマなので法隆寺に行ってきました。
法隆寺に行った訳は、後々解ることとなるでしょう。

       

1枚目の写真は南大門です。
南大門をくぐり、まっすぐに北に向かって歩くと中門があり、その向こうに金堂と五重塔が見えてきます。
中門と廻廊で囲まれた部分を西院伽藍と言うそうです。

       

中門です。これも国指定の文化財、ただで見れますが、金堂と五重塔はこの中に入らなければ見れず(上部は見えますが)、つまり西院伽藍を見ようと思えば入場料が要るのです。
なんと1000円、それを買えば宝蔵院と夢殿のある東院伽藍も入れます。

この中門の写真の左下に石塔が1本建っているでしょう。

            

それがこれなのですが、養老年間行基菩薩作と彫ってあります。
左(西)に行くと西円堂があるのですが、その西円堂が行基の造ったものだそうです。

       

これが西円堂です。これは鎌倉時代に再建されたものです。

       

西円堂から眺めた五重塔、こちらからただで入っていけそうな気がします。
正月でなかったら入ってみたかも知れません。

            

入場料を払って、西院の境内に入りました。
五重塔です。法隆寺の象徴と言えば夢殿とこの五重塔ですね。

            

屋根の裏側です。

       



金堂です。伽藍が狭いので建物の幅が広いと単体で写すことが困難です。

            

伽藍の片隅に老いた樹があり、そこから五重塔を狙ってみました。

       

樹は梅かなと思ったのですが、意外やモミジでした。       

       

西院伽藍の廻廊です。
この廻廊も国の文化財です。

       

大講堂です。

       

金堂と五重塔の間から大講堂を撮ってみました。
正月のせいか、団体旅行の一団はいませんが、家族連れが結構沢山来られてました。

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