猪名川を越えて西国街道の続きです。と言っても川の浅い所を通ったのではありません。
国道171号線上の軍行橋を渡ったのです。
実はこの写真は伊丹廃寺跡の続きです。
ですからイチョウの樹もまだ葉が少し残っています。
西国街道を東から下ってきた参勤交代の一行は、遠くから見えるこのイチョウの樹を伊丹への目印にしていたと旧岡田家酒蔵で貰った地図に書いてありました。
伊丹市指定の天然記念物だそうです。
樹齢推定300年・・・参勤交代が始まった頃には未だこの樹は無かったということになります。
1700年ごろにこのイチョウの苗木が植えられたとして、遠くからこの樹を目印に出来るほど成長したのは、もう幕末も近かったのではありませんか。
昆陽の地を出て、この寺のイチョウが一里塚としての目印だったというこの説明の方が納得できます。
せっかく猪名川を越えたので、飛行機を撮ろうと少し歩いてみました。
伊丹空港は大阪空港とか豊中空港とも呼ばれています。
豊中側から着陸してきて、こちら伊丹側から飛び立っていきます。
宝塚・尼崎の上空を回って東へ飛んでいくのです。
仕事でインターホンを鳴らす時に、飛行機が飛んでくると喧しくて声が聞き取れません。
最近は鳴らすタイミングを考えるようになりました。
やってきたのはプロペラ機でしたが、迫力あるかな?
国道171号線上の軍行橋を渡ったのです。
実はこの写真は伊丹廃寺跡の続きです。
ですからイチョウの樹もまだ葉が少し残っています。
西国街道を東から下ってきた参勤交代の一行は、遠くから見えるこのイチョウの樹を伊丹への目印にしていたと旧岡田家酒蔵で貰った地図に書いてありました。
伊丹市指定の天然記念物だそうです。
樹齢推定300年・・・参勤交代が始まった頃には未だこの樹は無かったということになります。
1700年ごろにこのイチョウの苗木が植えられたとして、遠くからこの樹を目印に出来るほど成長したのは、もう幕末も近かったのではありませんか。
昆陽の地を出て、この寺のイチョウが一里塚としての目印だったというこの説明の方が納得できます。
せっかく猪名川を越えたので、飛行機を撮ろうと少し歩いてみました。
伊丹空港は大阪空港とか豊中空港とも呼ばれています。
豊中側から着陸してきて、こちら伊丹側から飛び立っていきます。
宝塚・尼崎の上空を回って東へ飛んでいくのです。
仕事でインターホンを鳴らす時に、飛行機が飛んでくると喧しくて声が聞き取れません。
最近は鳴らすタイミングを考えるようになりました。
やってきたのはプロペラ機でしたが、迫力あるかな?