ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

三陸海岸大津波

2011-06-03 05:00:00 | 読書
定年後、南紀地方に住むとなると仕事も然ることながら、東南海大地震による大津波による被災が心配のタネです。一旦起きればそれを塞ぐことなど不可能ですから、警戒を深めねばなりません。

“獲らぬタヌキの皮算用”なら獲れればいいなぁぐらいの気持ちでおれるのですが、“来ない津波のナントヤラ”では来てもらっては困ります。大きな津波が来てもいいようにと、三男は高台に家を移すことをしきりに勧めます。

さて津波はどのようにやって来るのか、今回の東北の大津波との相関関係はあるのか、この本の作者・吉村昭は既に亡くなられていますが、取材された明治29年6月、昭和8年3月の大津波がどのようなものであったのかを知りたくて、読んでみることにしました。

             

この二つの津波に共通する前兆は、数日前から漁獲量が格段に増えたということと、井戸の水が枯れたり、濁ったりしたことでした。現在では井戸のある家、あっても使ってる家は殆んど無いでしょうが、漁をしている人は沢山います。この二つの地震・津波の前は特にイワシが沢山獲れたということ、明治29年の四十数年前の安政の大地震の折にもイワシの漁獲量が上がっていたとか、では今回の地震ではどうだったのかって、そういう視点で比べてないからなのか、あまりそんな話は聞いたことがありません。

三陸地方は地震、津波の多いところで、いろんな経験から警戒を強めている場所で、作者が感心しているのは昭和8年の津波以降に造られた田老地区にある大堤防でした。全長1350m、上幅3m、底幅最大25m、海面からの高さ10,6mという巨大なものでしたが、今回の地震はこの規模を嘲笑うかのように田老地区を呑み込んでしまいました。

吉村氏が生きておられたら、この本の地震・津波と今回の地震・津波の共通点から課題を探し出そうとするのだろうけど、もうおられません。そういう仕事をする人はいないのかなぁ・・・。

             

こちらは『おじさんはなぜ時代小説が好きか』という本の中で気になっていた人・佐藤雅美の『官僚川路聖謨(としあきら)の生涯』という面白くもなさそうな小説。何故このような小説を読んだのかと言えば、私の課の課長が描かれた生涯の人と同じ苗字だったからというのは名目で、江戸時代の官僚ってどんな仕事をしていたのか興味を持ったからでした。

『ながい坂』と同じように平侍出身の者が、努力して出世していく話ですが、『ながい坂』は小説ですが、こちらは実在の人物です。

             

平侍の子が出世するために大家の養子になることは当時としてはむしろ当たり前で、そのためには何百両という大金が要りました。主人公は養子に行く前は内藤弥吉という名前で、川路家に養子に行くところからお話が始まります。
当時お目見え以下の者で学問吟味及第者主席の大田直次郎は“歩兵(御徒)還(ま)た禄あり、笑うなかれ、儒と為らざることを”と詩を残してしますが、弥吉の父親は自らの出世を諦め、望みを息子に託すようになります。

川路と名乗った弥助は自分が取り入ってもらうため朝夕著名な屋敷を訪問し続け、そうこうするうちに勘定所が弥助を雇うことに、ここからが弥助の官僚人生の始まりです。

頃は天保、川路が活躍して勘定奉行になったころには、黒船が来るようになり、それらの折衝役を任されるまでになっていきます。殿様の跡取り騒動に巻き込まれるのは『ながい坂』と同じ、そういう騒動に関わりたくない川路も時代の流れの中ではそうもいきません。ついには蟄居を命じられ、それでも復権したりと、なかなか波乱万丈の人生だったようです。しかし最終的にはピストルで自殺という結末でした。

作者は経済的なことに強かったらしく、この当時何にいくら要ったというような記述はかなり詳しかったです。


             

これは『三陸海岸大津波』に着けてもらったカバー、どうやらNHKのBS放送のコマーシャルのようです。フェルメールや岡本太郎、このカバーは美に生きた武将=古田左介というアニメの主人公、後、若冲の絵のものもあったけどGWに姫の家に置いてきたので、写真はありません。

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