ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

徳房神社

2009-01-30 05:00:00 | 神戸にて
新在家南町という街に来ていますが、3丁目と4丁目の境にこんな小さな鳥居が見えました。

       

取り立てて取材するようなものでもないのでしょうが、まぁ不足気味なものですから、立ち寄ってみました。

『徳房神社』と銘があります。

       

聞き慣れない命名ですが、何か意味があるのでしょうか?
説明らしきものは何もありません。検索しても何もひっかかるものはありません。

       

正面にある祠、左にお稲荷さんが座しています。

       

正面の祠の前を左に曲がると、すぐに又小さな祠がありました。
こちらにもお稲荷さんが座していますが、顔だけをこちらを向けていました。

       

存在の意味・意義が解らないものを載せて申し訳ありませんでした。

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西郷

2009-01-29 05:00:00 | 神戸にて
神戸市の灘区、国道43号線より南の新在家という町に来ています。
ここは西宮の酒蔵通りと同じように清酒のメーカーが沢山あります。

ここは都賀川沿いにある『沢の鶴』の工場です。

       

こちらは『富久娘』、どちらも工場はそうでもないようですが、酒蔵がどんどん住宅に変っていっています。

       

『白鶴』に『忠勇』、ここには工場は無いようです。どうも西宮の酒蔵通りより寂れていってる感が強いのです。

       

『西郷酒蔵の道』と銘打った道まであるのですが、蔵は他の会社や住宅に変ってしまっています。大震災で壊滅したというより、経営難から土地を手放したのではないかと思われます。

            

寒いせいもあると思うのですが、歩いている人も見受けられません。
『西郷』は『さいごう』と読むのではありません。『にしごう』と読みます。

       

整備されていてきれいなのですが、寂しいですね。

       

遠くから看板を見ると、後ろの六甲の山並みが美しく連なっていました。

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春日神社

2009-01-28 05:00:00 | 神戸にて
都賀川沿いに阪神電車の大石駅を超えて北に向かって歩いて、JRを超えたので適当な道を東にとりました。JRの六甲道の駅を目指したのです。

閑静な住宅街の一角にこんもりと緑の一角があり、何だろうと思って行ってみると、以前来た事のある神社でした。

       

ここのクスノキの幹の太さには感嘆させられます。神社はこじんまりとした小さなものなので、その対比が面白いのかも知れません。

       

もともと2株あったものが癒着してこのような太い幹になったそうですが、幹の周りは17mにもなるそうで、高さが18mとありますから正方形っぽいのです。

       

樹齢500年と記されていて、室町末期に芽を吹いたクスノキがこの地にそのまま育ち続けたのでしょうが、2本のクスノキは癒着してしまうほど近くに植えられたのですね。

       

横に伸びた枝を支えている支柱は、金属で出来ています。前来たときは気付きませんでしたから、それ以降に新しくなったものかも知れません。

            

このクスノキは社殿に向かって左側にありましたが、右側にも枯れたクスノキがあります。

       

こちらの幹も相当太いのですが、どなたかの寄贈によるものらしく、ここに元々生えていたのではないのかも知れません。

            

枯れていると書きましたが、幹の下の部分を残して枝が繁殖しないようにしているだけで、未だ生きているのかも知れませんね。

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都賀川

2009-01-27 05:00:00 | 神戸にて
覚えていますか?昨年7月の下旬、一瞬の豪雨に濁流が生じ、学童保育の子供が数人流されて亡くなりました。

       

この都賀川の上流、灘区の篠原という街にあった学童保育の子供だったと覚えています。

ここは国道2号線より南側ですが、事故があったのは阪急電車の六甲駅より北側だったと思います。

            

この辺りでもあの鉄砲水は流れたのだろうか?この川は蛇行することなく真っ直ぐに流れてますから、この辺りにも鉄砲水は押し寄せたのでしょうね。

       

ここは国道43号線より南側なので、海はもうすぐです。あと300mもないかも知れません。奈良時代に敏馬神社のあるところまで海が迫っていたのですから、当時より1Kmも埋め立てられたわけでもないのです。

       

この川原を歩く方をよく見かけるのですが、阪神高速神戸線と国道43号線が上下に重なって走っている道を渡れるところが少ないので、そのために川原を歩いている方も居るんじゃないかと推察するところです。

       

ここは阪神電車の大石駅のすぐ南側、駅には『都賀川を美しく』の文字が見えます。

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龍泉寺

2009-01-26 05:00:00 | 神戸にて
敏馬神社から、北に向かわなければなりません。少し東側にある北への道を上がって行くと、すぐにお寺がありました。

       

臨済宗のお寺です。禅宗ですから、臭い酒を持って入ってはいけないというような文言が書いてあるのかと探しましたが、そういうものはありません。
建物だけだとつい見過ごしてしまいそうな佇まいなのですが、道沿いに置いてあるものを見て、引き寄せられてしまいました。

       

どう贔屓目に見ても、これらの像はこのお寺が造らせたものとは思えません。どっかから拾ってきたようなものに見えます。

       

一番右にある像、これなどは完全に仏教のものではなく、道士でしょう。
面白いことは面白いのですがね。

       

これは達磨さんなのでしょうね。胸のところで割れてしまってますね。

       

敏馬山・龍泉禅寺と言うんですね。この掲示板を見てもらいたくて載せたのではありません。
昔の橋の欄干には左端のような擬宝珠(ぎぼし)がありましたね。橋の名前も書かれていますが、どこから拾ってきたのでしょうね。

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敏馬神社

2009-01-23 05:00:00 | 神戸にて
敏馬と書いて『みぬめ』と読むそうです。古来『美奴売』と書かれていたようですが、何故『敏馬』と書くようになったのかの説明はありません。

ここは神戸市灘区、国道2号線沿い、阪神電車の岩屋駅の近くです。

       

鈴蘭台近辺での仕事を終えて、灘区に来ています。ここのところ、寒さが遠のいて仕事が楽です。

       

国道2号線に面した鳥居から、階段を登って境内に行くのですが、境内がある高台は、飛鳥・奈良時代は敏馬埼という岬であったらしく、ここより南側は海だったと言うのです。
その東側は敏馬泊と呼ばれた神戸最初の港があったらしく、万葉集にも詠われていて、柿本人麻呂もこの地で和歌を詠んでいます。

       

句碑がありました。
『たまもかる 敏馬をすぎて なつくさの 野島のさきに 舟ちかづきぬ』と、この句碑を見て私が読めたわけではありません。

       

ちゃんと如何に読むのか、解説してくれている碑もあるのでした。

平安時代の延喜式にもこの神社が出てくるようで、延喜式に登場する神社を式内社と呼ぶのだそうです。

       

戦火で焼けて、昭和27年に再建とありますから、この社は私が生きてきたのと同じ年数建ち続けているわけです。

            

もう一つ歌碑がありました。奈良時代の役人・田辺福麻呂(たなべのさきまろ)のもの。

       

「百代の後もこの白砂は賞美されていくことだろう」と詠っているのですが、百代どころか1300年も経たぬうちに、その面影も無くなってしまいました。

       
       
国道2号線に面している鳥居、すごく新しいのですが、どうやら阪神大震災の後建て替えられたようです。

       

そして境内の隅には古い鳥居の残骸が・・・何故早く始末しないのでしょうか。

ところで、ここの神様は縁切りの神様だそうです。妙なものにご利益があるものですね。

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焼餅地蔵

2009-01-22 05:00:00 | 神戸にて
さて、ここが『やきもち地蔵』ですが、旗とは裏腹に『焼餅地蔵』と書かれていて、嫉妬することに対してどないかしてくれる地蔵さんではないようです。

願い事の一つぐらいは叶えてくれるというお地蔵さんなのですが、お百度参りを頑張ってる方も数人おられました。

       

正面から見る限り、お地蔵さんの姿は見えません。これはフラッシュを焚いていますから明るいのですが、人の目で見るともっと暗くてお地蔵さんの像どころではありません。

       

石に願い事を記している方もいるようで、お百度参りされてる方より安易やなぁと思ってしまったのですが、願い事の一つぐらいしか叶えて貰えませんものね。

       

このお堂にの天井にも所狭しと堤燈が吊り下げられていますが、こういう画像はなかなかきれいですよね。

            

右側の山の斜面にもいろんなお地蔵さんが並んでいるのですが、これには『やきもち竜王』と刻まれていました。

       

こうなってくると寄せ集めみたいな感覚になってしまいます。

       

誰も見向きもしませんが、願いを叶えて欲しい人はこのような端緒な所の祠にも願いをかけなくていいのでしょうか?

       

綴っていて思ったのですが、どの祠にもお地蔵さんが見当たらないのです。
お願い事、大丈夫ですか?

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寿福寺

2009-01-21 05:00:00 | 神戸にて
まるで鳥居をくぐるような雰囲気ですが、よく見ると鳥居ではないんですね。
橋の上は雪が凍ってしまっています。

       

道路から朱塗りの階段を降りて、件(くだん)の『やきもち地蔵』に向かいます。
辿り着いてやっと判ったのですが、ここは医王山・寿福寺という真言宗のお寺だったのです。

       

お堂自体は全く派手ではありませんが、あの旗の乱立がいけないのでしょうか。
卍の入った堤燈が並んでなければ、普通の平屋の家です。

曼荼羅を見ても思うのですが、どうも密教の考えていることは、鎌倉以降の仏教と違って派手ですよね。

       

ずっと写真を見てもらっていて、気付いたことはありませんか?
実はこの日デジカメを家に忘れたので、K君に借りて写しているのです。

少し視野が狭いでしょう。私のデジカメは28mmの広角で撮れるので、もう少し広い範囲が写るのです。

       

境内と言うほどのものは無く、十数mも歩けば、抜けてしまうような短く狭い立地です。

       

元の位置に戻って、全体を撮っています。右側が『やきもち地蔵』、百度石が手前に建っています。

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久し振りの雪

2009-01-20 05:00:00 | 神戸にて
大阪・神戸の市街は寒いけど、晴天です。しかし、鈴蘭台付近まで来ると雪が積もって所々アイスバーンのようになっており、気をつけないと滑ってしまいそうで、イヤなことを思い起こさせます。そうでなくても坂の多いこの地です。
まぁ、先週末から暖かくなっていて、今日からは先週明けのお話ですけどね。

小部峠の交差点から有馬道を北へ歩いて行くと、次のバスの停留所付近に『やきもち地蔵』という名のお地蔵さんがあるらしく、どんなものなのか興味を持って行ってみる事にしました。

            

これは『やきもち地蔵』ではありません。
ただの交通安全祈願のお地蔵さんらしい。

       

でも建立の因縁たる文章も刻まれており、読んでみると筒井君という方がここで交通戦争の犠牲となったらしい。その供養と有馬道のこの地点を通る一切の人々への灯明となり、交通安全を永劫に祈るために厄除筒井地蔵尊を建立したとあります。
どこかの偉いお坊さんが綴ったような文章でした。

       

でも、心なき人によってか尊顔が壊されてしまっています。
何ゆえにこのように意味の無い悪戯をするのでしょうね。

            

そこからどんどんと下っていくと『やきもち地蔵』がありそうな所に到着です。
「願いごとの一つは必ずかなう」って・・・わざわざお参りせんでも、願い事の一つや二つは実現するのではありませんかね。

最も困難なことを叶えていただかないと、わざわざここまで来てお願いする価値がありません。

        

地蔵さんを祀ってあるのですからお寺のはずですが、雰囲気は神社の様相を呈しています。

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小部の宝篋印塔

2009-01-19 05:00:00 | 神戸にて
鈴蘭台近辺を回っている昨今、所々切れ切れに山田町小部という街があり、よそ者である私には何故小部(おぶ)という街があちこちに散らばってるのか、よく理解することが出来ません。


鈴蘭台の外れに有馬街道と呼ばれている国道428号線が神戸駅の前から北上しているのですが、大脇台という街へ赴く途中小部峠という交差点があり、その上を仰ぐと何やら立て札が見えたので、ちょっと行ってみることにしました。

       

上がり口にも立て札があり、ここから上がるのだということはすぐに判りました。
宝篋印塔と書いてあるので、そう解るのですが、何も書いてなければ私にはよく解らなかったであろうと思います。

       

下から見えていた立て札は、これだったのですね。

       

宝篋印塔は2基ありましたが、ハテ?こちらが正面なのかどうかは判りません。

       

サンスクリット語で何やら刻まれていますが、私には何のことやらさっぱり解りませんが、見る人が見るとどちらが正面なのか判るのでしょうね。

       

こちらは裏側にあたりますが、石が欠けています。乱世に刀で切り落とされたのかと想像を掻き立てますが、これが裏側にあるので、欠けてない方を正面に持ってきたのではないかとあらぬ想像をしてしまったのです。

       

宝篋印塔ではありませんが、小さなお地蔵さんも側面に並べられていました。

       

これ等はどうみても600年も前のものではありませんね。

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