階段下の鳥居を潜ったのが1時26分、神社の前に到着したのが44分ですから18分かかった勘定になります。583段もあるというから、どれだけ遠いのかと思ったけど、案外近かったのに疲れたなぁ。こんなことなら前日登っておいても良かったけど、どっちみち阿須賀神社には再度来ないといけませんから、二度手間なのは一緒でした。
この拝殿の上に載っかっているように見える岩がゴトビキ岩、所謂『天磐盾』でしょう。ここに石垣も社殿も無かったとしたら、不思議な光景でしょうね、太古から信仰が集められたのもなんとなく理解できます。
曇っていて眼下の景色はイマイチ、写真中央やや右にあるお椀を伏せたような山が蓬莱山、その手前に阿須賀神社や資料館があるのですが、そこまでは見えません。拝殿前まで登って撮っているのが分かると思いますが、この階段も急です。
山上の境内には女性の二人連れの先客が休憩していました。登ってくる時も女性の二人連れに出会ったし、下る時にも女性の二人連れに出くわしたので、結構この神社は女性に人気があるのか、それともこういったパワースポットが女性に人気があるのか、まぁともかくも観光客らしき男性は私一人でした。
この手水鉢は、新宮第二城主・水野重良が寛永8年に花崗岩の一枚岩を刳り貫いて寄進した阿須賀神社の手水鉢と同様のもの。
私が休憩している時に私より歳をとってるだろう細身の女の人が息一つ切らせずに登ってこられ、お祈りをしてさっさと帰って行かれました。顔色一つ変えずに飄々としていて、私のように汗なんか全然かいていません。
私もすぐに引き返し、一つ下の社殿で見た防火用のバケツ、速玉大社と書かれています。速玉大社の摂社であるにせよ、ちゃんと名前の付いた由緒ある神社なのですから、バケツぐらい他所の神社のお古を貰わずともよいだろうにと思います。
何という木なのか分かりませんが、根っこを囲んで『神州院』と書いたものを四方に貼っています。全く意味不明、何の呪いなのでしょうか。
元の急な階段の手前まで降りてきました。末社の境内には『女坂』と書かれた矢印があり、女性用に迂回路があるのが分かります。
階段の方は先が見えないのですから、怖いですよね、まるで義経の鵯越のようです。
老人が二人登ってきましたが、かなりゆっくり登ってきています。私のように一所懸命、早く登ろうなどと思わなくてもいいのです。
膝が芳しくない私は女坂の方から帰ることにしました。迂回と言ってもほぼ階段の横を通っています。階段を横から眺められるところがあったのですが、こう見るとそんなに急勾配には見えません。
女坂などと言ってもかなり険しい山道ですよ。ハイヒールなんかでは歩けません。
階段の一番下で合流、最初は怖いけど慣れたら何でもないそうですが、2度と行きたくないような気もしていますが、天気の良い日にまた登りたいような気もしています。
鎌倉時代に造られた階段ですから、面も並行でないし、段の高さも幅もまちまちなのが登り降りしにくい原因の一つでしょう。
社務所まで降りてきたのが2時4分、帰りはなかり早いペースで降りてきています。この2月6日にはお灯祭りという勇壮な行事が催されるようです。