昆陽池の北に沿う道を東に向かって歩いていくと瑞ヶ池があり、その先に伊丹廃寺(いたみはいじ)跡という国の史跡があります。
昔伊丹寺というお寺があって、無くなったので伊丹廃寺と名付けられたのか、それなら跡と付くのはおかしい。
元々伊丹廃寺という妙な名前の寺だったのか、そこらのことが判りません。
伊丹の廃寺跡と読むのが妥当なのかも知れません。
何重の塔かは判りませんが、とにかく塔が建っていたのです。
それは出土品から判ったようです。
上が水煙、下が九輪で、塔の上に乗っかってる奴です。
修復した際に金メッキが施されていたことが判明しています。
こちらは金堂跡、出土した時から瓦と丸石で土台が作られていたようです。
この寺は飛鳥時代に法隆寺を真似て造られ、平安時代に焼けてしまいましたが再建され、鎌倉時代末まであったと言われています。
柱台の跡なんでしょうね。
五重塔が描かれていますが、何故判ったのでしょう?
出土した水煙や九輪の大きさから想定したのかな・・・専門家は凄い。
これは廻廊跡、何故廻廊だけなのか解りませんが、復元してあるところが2ヶ所ありました。
ちゃんと博物館まで行って調べて来たんですよ。
この文を読んでる限り、ここにあった寺の名前は判っていないみたいですね。
これが前述の瑞ヶ池、北東の角から撮りました。
伊丹を廻るようになってから『みずがいけ』と思っていたのですが、交差点やバスの停留所は『ずがいけ』となっていました。
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明日から年末・年始休暇です。
今日が本年最後の書き込みになると思います。
読んでいただいた皆様、ありがとうございました。
よいお年をお迎えになられますよう、お祈りしております。
昔伊丹寺というお寺があって、無くなったので伊丹廃寺と名付けられたのか、それなら跡と付くのはおかしい。
元々伊丹廃寺という妙な名前の寺だったのか、そこらのことが判りません。
伊丹の廃寺跡と読むのが妥当なのかも知れません。
何重の塔かは判りませんが、とにかく塔が建っていたのです。
それは出土品から判ったようです。
上が水煙、下が九輪で、塔の上に乗っかってる奴です。
修復した際に金メッキが施されていたことが判明しています。
こちらは金堂跡、出土した時から瓦と丸石で土台が作られていたようです。
この寺は飛鳥時代に法隆寺を真似て造られ、平安時代に焼けてしまいましたが再建され、鎌倉時代末まであったと言われています。
柱台の跡なんでしょうね。
五重塔が描かれていますが、何故判ったのでしょう?
出土した水煙や九輪の大きさから想定したのかな・・・専門家は凄い。
これは廻廊跡、何故廻廊だけなのか解りませんが、復元してあるところが2ヶ所ありました。
ちゃんと博物館まで行って調べて来たんですよ。
この文を読んでる限り、ここにあった寺の名前は判っていないみたいですね。
これが前述の瑞ヶ池、北東の角から撮りました。
伊丹を廻るようになってから『みずがいけ』と思っていたのですが、交差点やバスの停留所は『ずがいけ』となっていました。
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明日から年末・年始休暇です。
今日が本年最後の書き込みになると思います。
読んでいただいた皆様、ありがとうございました。
よいお年をお迎えになられますよう、お祈りしております。