ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

伊丹廃寺跡

2007-12-28 05:00:00 | 大阪にて
昆陽池の北に沿う道を東に向かって歩いていくと瑞ヶ池があり、その先に伊丹廃寺(いたみはいじ)跡という国の史跡があります。

       

昔伊丹寺というお寺があって、無くなったので伊丹廃寺と名付けられたのか、それなら跡と付くのはおかしい。
元々伊丹廃寺という妙な名前の寺だったのか、そこらのことが判りません。

伊丹の廃寺跡と読むのが妥当なのかも知れません。

       

何重の塔かは判りませんが、とにかく塔が建っていたのです。
それは出土品から判ったようです。

           
          

上が水煙、下が九輪で、塔の上に乗っかってる奴です。
修復した際に金メッキが施されていたことが判明しています。

       

こちらは金堂跡、出土した時から瓦と丸石で土台が作られていたようです。

       

この寺は飛鳥時代に法隆寺を真似て造られ、平安時代に焼けてしまいましたが再建され、鎌倉時代末まであったと言われています。

       

柱台の跡なんでしょうね。

       

五重塔が描かれていますが、何故判ったのでしょう?
出土した水煙や九輪の大きさから想定したのかな・・・専門家は凄い。

       

これは廻廊跡、何故廻廊だけなのか解りませんが、復元してあるところが2ヶ所ありました。

          

ちゃんと博物館まで行って調べて来たんですよ。
この文を読んでる限り、ここにあった寺の名前は判っていないみたいですね。

       

これが前述の瑞ヶ池、北東の角から撮りました。
伊丹を廻るようになってから『みずがいけ』と思っていたのですが、交差点やバスの停留所は『ずがいけ』となっていました。

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明日から年末・年始休暇です。
今日が本年最後の書き込みになると思います。
読んでいただいた皆様、ありがとうございました。
よいお年をお迎えになられますよう、お祈りしております。

容住寺

2007-12-27 05:30:00 | 大阪にて
聖徳太子の馬を繋いだ松の木があるという容住寺にやっと辿り着きました。
鴻池神社や慈眼寺より、かなり北へ歩かないといけませんでした。

          

伊丹に唯一の天台宗のお寺だそうです。
そういえば天台宗のお寺はあまり見かけません。滋賀県に行けば沢山あるのでしょうか。

       

雑然としていて、こざっぱりとした印象はありません。

       

聖徳皇太子御腰掛石と彫られていて、左に座りやすそうな石が置いてあります。
何処にそんな証拠があるのだろうと疑ってしまいます。

       

大石と書いてありますが、そんなに大きな石ではありません。

          

門外に駒繋の松と書かれた碑が建っていますが、横の松は大変小さい。

       

いくらなんでも1400年も経た松とは思えません。

       

碑を建てた時に植えたんじゃないんですか?

       

それよりも時を経たイチョウが傍に佇んでいました。
まぁ、光泉寺のイチョウで樹齢400年ですから、比べるとこのイチョウの幹はまだまだ細い。

          

それでも駒繋の松などと呼ばれる松よりも、かなり古いでしょう。

       

案内板に書いてあった天神川の対岸から写したイチョウと容住寺の屋根です。

鴻池神社と慈眼寺

2007-12-26 05:10:00 | 大阪にて
稲荷祠碑は黒池と西池のほとりにあったのですが、池の周りを歩いていくと鴻池神社があります。

       

これが西池です。

       

正面が社務所になっているようで、そういう造りは珍しいですね。
大概は正面には本殿や拝殿です。
ここは鳥居をくぐって右側に本殿がありました。

       

蟇股や木鼻などの用語はよく解りませんが、木で鼻をくくったような・・・などと言うのは、ここから来ているのでしょうか?

       

本殿は覆屋の中に納められているとありますから、じゃぁこれは本殿ではないんですね。
何故わざわざ本殿を隠すようなことをしているのでしょう。

          

表の鳥居の裏側ですが、向かって右の柱です。大正9年に建てたんですね。
下の小さい字は平成7年の阪神大震災で倒れたと書かれています。

          

左の柱には平成9年に再建されたと記されています。
いったいどちらに向かって倒れたんでしょう。

3枚目の写真では手前に木がありますから、おそらく奥へ倒れたんでしょうね。

       

実は西池から来るとこの慈眼寺の方が先にあります。
ここも禅宗のお寺です。例の『不許葷酒入山門』の文字が見られます。

          

境内は広くはないですが、よく手入れがなされています。


       

所々にあるモミジがきれいに紅葉していました。

       

池には水がありません。池ではないのかも知れません。

       

国指定の重要文化財の釈迦如来坐像があるそうですが、拝むことは出来ないようです。

伊丹市は文化財を隠しすぎやと思いませんか?

       

伊丹の鴻池

2007-12-25 05:30:00 | 大阪にて
3連休の間に冬至を迎え、クリスマスイブも過ぎました。
これから日を追う毎に日照時間が長くなるので嬉しい限りです。

クリスマスだというのに、神道や仏教の話で申し訳ありません。

素盞鳴神社を出て、道はよく判らないけど、北へと向かってるつもりで歩いていくと、鴻池という地にやってきました。
       
          

パッと見て何か判りませんが、入口に墓地公園とあり、お墓であることが判りました。

       

でも普段見慣れているお墓は一切ありません。
この大きな建物?の下にお墓があるのかも知れませんが、どこから入るのかも判らず確認はできませんでした。

          

これは亀の型をした台の上に中国の古代貨幣を模った碑です。
稲荷祠碑と刻まれてあり、文は鴻池家の発展について書かれているようですが一部欠落しています。

      

東大阪に鴻池新田という所があり、鴻池家は代々大阪の人かと思っていましたが、伊丹が発祥の地のようです。

鴻池家は酒造りを始めて、徐々に豊かになっていったようです。
旧岡田家住宅にも、そのようなことが書いてありました。

       

小さな公園の中にあるのですが、鳥居と小さな祠らしきものがあるだけです。

素盞鳴神社

2007-12-21 06:10:00 | 大阪にて
常休寺を少し北東に行くと神社がありました。

       

素盞鳴神社と書いてあります。慣れないと読めないのですが、『スサノオ神社』ですよね。スサノオで変換しても、この字は出てきてくれません。

       

何の変哲もない、そんなに古くもない神社のようです。

          

何の変哲もないと思ってたら、これには驚いた。
砲弾ですよね。

こんなものを奉るから、神=現人神=天皇というおぞましい構図を思い出してしまうのではありませんか。

     

可愛らしい絵馬ですね。子供が描いたような雰囲気です。
でも絶対大人が描いてるぞ。

       



常休寺

2007-12-20 05:00:00 | 大阪にて
旧岡田家住宅で貰った地図をシゲシゲと眺めていると、伊丹の北側に行ってないのに気が付きました。

聖徳太子の馬をつないだイチョウの木があるというので、探してみることに・・・そこまでの間にお寺や神社がいくつかあります。

道自体が詳細ではありませんから、勘を頼りに行ってみることに。

       

おぉ、懐かしい文字が刻んであります。禅寺にはこの句が必須なんですかね。

でも東福寺成就寺には無かったように思う。
京都・和歌山と兵庫の違いか?

       

本堂の横に鬼瓦がたくさん並んでました。屋根を葺き替えたのでしょうか。

       

本堂の屋根は東大寺の屋根に似ていますね。

       

このお墓が有名らしいけど、開墾で多大な功をなした浅野孫左衛門・・・私は知りません。

       

本堂に掛かっていた木魚?・・・こんなんが好きですね。でもこれは木魚じゃありません。魚板というそうです。禅寺専用で合図に打ち鳴らすものらしいのですが、結局木魚はこれから変化したそうな。

       

庭に水槽が数個置いてありましたが、季節になると蓮の花が咲くのでしょうか?
     

       

常に休める寺・・・いいなぁ。

       

本堂から山門を見ると・・・なんかかわいいですね。

       

旧岡田家酒蔵

2007-12-19 05:00:00 | 大阪にて
白雪の長寿蔵があった道の一筋北に国指定重要文化財の『旧岡田家住宅』があります。

元々酒造りをしていた家だそうで、家の中は白鷹の禄水苑と同じように酒造りの用具などを展示しています。

       

看板がやけに新しく違和感を感じますが、入場料は要りません。

       

玄関を入ったところ左の部屋ですが、階段が急で梯子みたいです。

       

菰樽は何処の酒蔵に行っても置いてありますね。

       

オット、白虎です。唸ってたら怖いけど、動きません。
安心です。

       

大きな釜の後ろの絵は、寛政11年の日本山海名産図会の伊丹酒造・米洗いの図で、絵と釜はあまり関係ありません。

       

こちらは竈、明治時代に作り直されたものだそうです。

       

常滑にあった窯を思い起こさせます。

       

別の大部屋に置いてあった馬・・・と思いきや、角があるのでユニコーンでしょうね。

       

この家で貰った地図、伊丹の文化を知る上で重宝ですが、A2版なので大きすぎる感があります。

師直塚

2007-12-18 05:10:00 | 大阪にて
室町幕府を打ち立てた足利尊氏の側近で執事であった高師直(こうのもろなお)の塚が171号線沿いにあるというので、探しました。

尼崎から阪神バスで伊丹や宝塚に向かう道を尼宝線と呼んでいますが、171号線と尼宝線との交差する西側だと聞いていました。

       

ちょっと西へ行き過ぎ、尼崎市内に入ってしまいました。尼崎市にも昆陽のつく地名があったのですね。
尼崎市内であるのに、矢印の方向が尼崎っていうのもヘンです。

       

戻ってくると、交差点のすぐ傍にありました。
あまり目立ったものではありません。

師直は南北朝の動乱の際、堺で北畠顕家を、四条畷で楠正行を討ち、軍事面で尊氏を助けた武将でした。
しかし塩冶高貞の妻に横恋慕し、兼好法師に恋文を書かせ、無視されると塩冶高貞に謀反の罪を着せ、一族を根絶やしにしてしまいました。
江戸時代の『仮名手本忠臣蔵』では、赤穂事件で塩冶高貞を浅野内匠頭、師直を吉良上野介に置き換えて描かれています。

       

そういった悪人のイメージが強く、こうやって塚もあまり目立たなくしてあるのかも知れません。

下野の国(栃木県)生まれの師直の塚が、何故伊丹の地にあるのか・・・観応の擾乱で尊氏と妾の子・直冬の争いが、再び幕府vs南朝の戦いに発展し、紆余曲折を経て幕府側が勝利するのですが、ある時師直は直冬を討つために播磨の国へ出陣し、摂津打出浜で敗走します。尊氏は師直の出家を条件に和睦するのですが、師直を京へ護送する途中この辺りで上杉能憲の手で殺害されたのでした。

           

裏に刻まれている文字は高師直についてではなく、山田村の何某がこの塚を再建した云々を綴っているものと思われます。

       

交差点の角から見たものですが、ここに道を切ってあるので、この切り口を通る人や自転車が案外多く、危ないのに何故こんな所を通れるようにしてあるのか、とても正気の沙汰とは思えません。

清荒神

2007-12-17 05:10:00 | 大阪にて
宝塚で仕事をしていた頃、清荒神に寄っていたのにUPするのを忘れていました。

清荒神よく耳にする名前なのですが、寺なのか神社なのか・・・荒神ですから神社ですよね。

     

写真に入り切らない大きな鳥居、完全に神社です。

     

狛犬もあります。

     

同じ境内です。これはお寺ではありませんか?

     

富岡鉄斎の絵や筆跡の複製が展示されていました。

     

帰りは参道を使って下りました。
途中まで土産物屋さんが軒を並べていましたが、平日だったので休みの店が多かったです。

          

こうなれば完全に神仏融合ですね。

有岡城址の紅葉

2007-12-14 05:20:00 | 大阪にて
JR伊丹駅から有岡城址を眺めるとイチョウとモミジが1本づつ、きれいに紅葉しています。

        

大阪では(尼崎も伊丹も同じようなもの)、「おぉ、きれいに紅葉してる!」と思っても、すぐに排気ガスやスモッグで汚れが目立ってくすんでしまいます。

        

伊丹駅をバックに撮ってみました。

        

天気は良かったのですが、時間が4時前だったのでもう影が濃くなっています。

        

2枚目の写真とよく似ていますが、違う写真です。
丸い切り取りと、四角い切り取りの違いも感じられると思います。

          

イチョウの樹も黄色がきれいです。
まだ落ち葉はそんなに多くありませんでした。

          

光泉寺のイチョウとは比べ物にはなりませんが、大阪のイチョウは今だいたいこれ位の紅葉振りでしょうか。