徒然にふる里を語る

 一市井の徒として、生まれ育った「ふる里」嬬恋村への思いをつづります。

入学

2020-03-21 08:21:54 | Weblog

 十数年続けてきたホームページ「嬬恋物語」がWEB上から消えた。データは残っているので、その中の「言葉おりおり」から一文をコピーしてみる。私の小学校の入学式の光景だ。

 エナメルの上履入れ

 4月 木々の芽吹きとともに、それぞれの新しい生活が始まる。振り返れば、4月は『希望』の月でもあった。小学校の入学式から始まり、吊るしの背広で、社会人としてのスタートを切ったのも4月。霧の中のような思い出もあれば、鮮明に脳裏によみがえる出来事もある。
 昭和29年4月、私は故郷の小学校に入学した。クラスは「松組」「竹組」の2つ。現在は30名にも満たないクラスが1つのようだが、当時は1クラスが40名を越え、すし詰め状態だったような気がする。戦後の混乱もようやく落ち着きを取り戻し、物は豊富ではなかったが、それでも母親に手を引かれた私は、新調した学生服にランドセル、右手には姉がくれたエナメルの上履入れがあった。
 4月、入学式が近づくと、私はこのエナメルの上履入れを思い出す。数日後に入学式を控えた私は、自分の上履入れが、母親の縫った布製の袋であることを知り、酷くグズをこねた。近所の雑貨屋の店先に、これ見よがしに、鮮やかなエナメルの上履入れが飾ってあり、友達がそれを買ったことを知っていた。私には、それが何とも魅力的に見え、どうしても欲しかったのだ。しかし、学生服とランドセルで手一杯の我が家にはその余裕がなかった。私の願いは叶わず、私はエナメルの上履入れを諦めざるを得なかった。
 ところが、入学式の前夜、姉が黙って私の前に、あのエナメルの上履入れを差し出したのだ。私は飛び上がって喜んだ。早速、ランドセルを背負い、上履入れを吊るし、家の中を歩き回った。ひとしきりして、興奮が鎮まると考えた。姉は100円もする大金をどうしたんだろうと。
 そして、入学式の終わった夜、私は知った。小学6年の姉が、放課後と日曜日に、山からマキ出しの仕事で貯めた金だと。当時マキは生活の必需品で、あちこちの山でマキ束が作られていた。急峻な山での作業で、それを道路まで運び出すのは、人手に頼るしかなく、年長の子供たちの小遣い稼ぎの場であった。確か一束1円かそこらだったような気がする。姉は自分で欲しいものがあったろうに、それを我慢して私にエナメルの上履入れを買ってくれたのだ。
その姉も、今年は5人目の孫の入学式である。そして、母親は満92歳。

2006/4/6