平城京の航空写真が続きますが、同じようなものばかりになりました。
地図をアップしていると、ここはどこで、あそこはここでとかつい眼が探しています。
見晴台に上がった時にも、自分の家はどこにあるか、と探したりしてしまいます。
遷都1300年祭で、多くの場所がリニューアルされます。
プロットした中で、昨年と変わらないところは、朱雀門と二つのお寺だけですよ。残りはすべて現在工事中です。
法華寺は、ご存知、光明皇后の建てた国分尼寺で、第一番です。
写真で見ても、かなり広い邸宅であることが判ります。コンクリートで埋められて、もう遺跡復元も出来なくなりました。
調査に基づいて、模型が展示されています。大極殿にも匹敵するかと思うほどの、広大な屋敷です。天皇位に就くことが期待されていた長屋王でした。(資料館)
上の模型を、横から(北から)見たものです。これは大極殿の方向に開いていました。
この邸宅の東の溝から延べ35000点もの木簡が出てきました。
それらを代表する「長屋王」の名のある木簡です。あわびの干物を糸で繋いだものを10本贈られたものです。両端のくぼみは、縄を通してくくりつけていたのでしょう。
木簡が役所の中で使われています。当時の役人は、車馬を使えない者は遠くの自宅から夜の明けぬうちに家を出て、徒歩で出勤したといいます。
悲劇の長屋王の生涯です。彼が中国に袈裟を千着と直筆の経文を送ったことに応えて鑑真和上が来朝したとも言われています。
当「昆布ブログ」で、過去によく似たテーマをアップしています。よければご覧ください。
2008.11/24, と 2010.1/11, です。
地図をアップしていると、ここはどこで、あそこはここでとかつい眼が探しています。
見晴台に上がった時にも、自分の家はどこにあるか、と探したりしてしまいます。
遷都1300年祭で、多くの場所がリニューアルされます。
プロットした中で、昨年と変わらないところは、朱雀門と二つのお寺だけですよ。残りはすべて現在工事中です。
法華寺は、ご存知、光明皇后の建てた国分尼寺で、第一番です。
写真で見ても、かなり広い邸宅であることが判ります。コンクリートで埋められて、もう遺跡復元も出来なくなりました。
調査に基づいて、模型が展示されています。大極殿にも匹敵するかと思うほどの、広大な屋敷です。天皇位に就くことが期待されていた長屋王でした。(資料館)
上の模型を、横から(北から)見たものです。これは大極殿の方向に開いていました。
この邸宅の東の溝から延べ35000点もの木簡が出てきました。
それらを代表する「長屋王」の名のある木簡です。あわびの干物を糸で繋いだものを10本贈られたものです。両端のくぼみは、縄を通してくくりつけていたのでしょう。
木簡が役所の中で使われています。当時の役人は、車馬を使えない者は遠くの自宅から夜の明けぬうちに家を出て、徒歩で出勤したといいます。
悲劇の長屋王の生涯です。彼が中国に袈裟を千着と直筆の経文を送ったことに応えて鑑真和上が来朝したとも言われています。
当「昆布ブログ」で、過去によく似たテーマをアップしています。よければご覧ください。
2008.11/24, と 2010.1/11, です。