坂道のゴールになった寺は周囲の森の中に溶け込んでしまっている。
ここ阿弥陀寺は、慶弔14年(1609)に尾張生まれの弾誓(たんぜい)上人が開基した念仏道場である。彼は9歳で出家して以来、諸国行脚の後、佐渡島で奥義を窮め、最後に、この古地谷の奥の岩穴に念仏三昧に過ごしたといいます。
赤い葉の楓をメインに、その他さまざまな色の葉を持つ木々が、林間の陽差しの中に浮かび上がります。
猫の額ほどの境内の庭には、船石が浮かぶ枯山水がある。左上の赤い花をつける百日紅、向いの谷をバックにして数輪のシュウメイ菊が開いている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/ea/520ce8ea17885710a875189b8f7cf98e.jpg)
左:拝観入口の玄関は唐破風の曲線を見せる。
右:弾誓(たんぜい)上人の岩窟と、隣の宝物殿入口。
渡り廊下の先に入母屋造りの棟がある。岩窟に眠る御本尊弾誓上人を拝する拝殿である。右隣に当寺の宝物殿が見えている。
弾誓(たんぜい)上人は自らが仏になる即身仏となられました。慶弔18年(1613)の事だったそうです。彼は1年かけて修行中の僧らに岩に洞窟を彫らせました。石棺の下に掘った石龕(せきがん)の中に生きながら入り「ミイラ仏」になりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/9d/2ddfb0e9974109e132c28f31d5764015.jpg)
左:岩窟への入口の通路
右:明治15年にこの石棺が収められました。その時に「ミイラ仏」も下の石龕からお出しして、現在はこの鍵のかかった扉の中に、姿そのままに安置されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/2b/b8fca29931b79f6585a7a517a59cb0f9.jpg)
宝物殿には、皇室と縁故があり、数々の寄進された織物や御真筆の手紙が多く保存されている。雑多に放置されていたのが、近年宝物殿に整理陳列されることになった。
写真は有栖川宮(ありすがわのみや)家御紋章御振袖(ふりそで)壱枚
中でも「有栖川宮」は、母君の宮とともに、当寺で宗門(浄土宗)の奥義五重相伝を伝授されている。
有栖川宮の御歌二首
「五重の法を悦びて」
みちびきし法の教えの仰がれて 心ひとつに願うあさゆう
「法話をききて」
一筋にまことの教え説く法の 妙なる道を今日こそは聴け
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/22/4b9946737ce0f880cc4ee67b217529d1.jpg)
左:御手炙り(てあぶり)銀網付 有栖川の宮御寄付(手炙りの火鉢)
右:金銀懸硯(すずり) 有栖川の宮御寄付(重箱弁当のような蒔絵の硯)
弾誓(たんぜい)上人は、自ら「ミイラ仏」になる前に、人としての理想像の姿を刻み、これに自らの頭髪を植え込み御本尊とした。本堂に安置し「阿弥陀寺」と名付けた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/a2/554213b2cbee88901855445f536a3a85.jpg)
左:御本尊が居られる厨子。
中:高く手を合わせる御本尊。
右:蓮の模様に乗る鏡の背後に安置されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/70/718e0cceea529b2ef9bff8064502016c.jpg)
左:御本尊の右の耳の下あたりに上人の頭髪が残っている。見えるでしょうか。
右:国指定重要文化財の阿弥陀如来坐像。
ここ阿弥陀寺は、慶弔14年(1609)に尾張生まれの弾誓(たんぜい)上人が開基した念仏道場である。彼は9歳で出家して以来、諸国行脚の後、佐渡島で奥義を窮め、最後に、この古地谷の奥の岩穴に念仏三昧に過ごしたといいます。
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左:拝観入口の玄関は唐破風の曲線を見せる。
右:弾誓(たんぜい)上人の岩窟と、隣の宝物殿入口。
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弾誓(たんぜい)上人は自らが仏になる即身仏となられました。慶弔18年(1613)の事だったそうです。彼は1年かけて修行中の僧らに岩に洞窟を彫らせました。石棺の下に掘った石龕(せきがん)の中に生きながら入り「ミイラ仏」になりました。
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左:岩窟への入口の通路
右:明治15年にこの石棺が収められました。その時に「ミイラ仏」も下の石龕からお出しして、現在はこの鍵のかかった扉の中に、姿そのままに安置されています。
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宝物殿には、皇室と縁故があり、数々の寄進された織物や御真筆の手紙が多く保存されている。雑多に放置されていたのが、近年宝物殿に整理陳列されることになった。
写真は有栖川宮(ありすがわのみや)家御紋章御振袖(ふりそで)壱枚
中でも「有栖川宮」は、母君の宮とともに、当寺で宗門(浄土宗)の奥義五重相伝を伝授されている。
有栖川宮の御歌二首
「五重の法を悦びて」
みちびきし法の教えの仰がれて 心ひとつに願うあさゆう
「法話をききて」
一筋にまことの教え説く法の 妙なる道を今日こそは聴け
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/02/eb211e932aceae24412e05aacd95b1a7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/22/4b9946737ce0f880cc4ee67b217529d1.jpg)
左:御手炙り(てあぶり)銀網付 有栖川の宮御寄付(手炙りの火鉢)
右:金銀懸硯(すずり) 有栖川の宮御寄付(重箱弁当のような蒔絵の硯)
弾誓(たんぜい)上人は、自ら「ミイラ仏」になる前に、人としての理想像の姿を刻み、これに自らの頭髪を植え込み御本尊とした。本堂に安置し「阿弥陀寺」と名付けた。
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左:御本尊が居られる厨子。
中:高く手を合わせる御本尊。
右:蓮の模様に乗る鏡の背後に安置されている。
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左:御本尊の右の耳の下あたりに上人の頭髪が残っている。見えるでしょうか。
右:国指定重要文化財の阿弥陀如来坐像。