昆布が美味い

羅臼の昆布漁を見た時にスタートしたblogです。昆布のダシのように、人生の旅にも味付けをしたい。旅を中心に纏めています。

木簡出土(平城京遷都1300年3)

2010-03-11 | 歴史・文化遺産
  翌年には平成が始まる昭和63年(1988)長屋王の邸宅かも、という遺跡から、長屋王と言う字が書かれた木簡が発見された。

 激動の飛鳥時代にヤマトの国を一つに纏めた天武天皇の嫡孫であった長屋王は、文武ともに優れ、誰の眼から見ても、天皇位を次ぐものと認められていた時代でした。

 しかし、長屋王に反対する勢力であった藤原氏の陰謀で、讒言にあい、屋敷を囲まれて長屋王は自殺をしてしまいます。悲劇の皇子でした。

 かくて藤原氏は、藤原鎌足の孫娘光明子を、聖武天皇の后にすることで、藤原氏は明治まで続く権力の座に着いたのでした。



発見された木簡は、3万5千点に及びます。地下の正倉院といわれる由縁です。

さらに北隣で藤原麻呂の屋敷跡、光明皇后の屋敷などでも木簡が発見されている。
 



 見えている更地は全部が長屋王の邸宅跡です。この遺跡全体にデパートを建てた人がいます。今はショッピングビルが建っています。
写真右上の辺りが大極殿で、朱雀大路が斜め左下に向って伸びています。近鉄奈良線も走っています。





さて、木簡ですが、これが決め手となった札です。アワビを長屋王に進上した荷物についていた札です。
 木簡は、溝の中に捨てられたように多数が落ちており、水中であったために現在まで保存されたと考えらていれます。
 


左:多数の全国からの進上物を見てもわかるように、人望の篤い彼だったことがわかります。
右:ところがこの木簡が発見されるまでの彼の評価は、昔の古文書によるものでした。それには仏を傷つけた報いで死んだ、という書物もありました。しかし、中国から鑑真和上が、我が国に渡って来るきっかけを作った熱心な仏教信仰を持った人であったとも言われています。