昆布が美味い

羅臼の昆布漁を見た時にスタートしたblogです。昆布のダシのように、人生の旅にも味付けをしたい。旅を中心に纏めています。

宝石いろいろ(フォッサマグナミュージアム)

2013-07-31 | 自然界
糸魚川市のフォッサマグナミュージアムを続けます。
なかなかここは肝の坐った鉱物が集められています。

岩石の模様を額に入れて、観賞用としたものでしょう。砂岩と言っても固い重い岩ですよ。




熱鉱床で噴出物が層状に固まり出来たもの。
かつてはストラトマイドと言えば、生命の発生にかかわると言われていたものです。





よく見かける紫水晶ですね。メノオの芯が見えているのは珍しいですね。





この立方体の鉱石は、天然だと言いますから自然界は不思議ですね。





宝石に眼が眩む人もあるかも知れませんが、加工とかが大変でしょうね。
ルパンとか、クレオパトラが出てきそうな世界ですね。




チリ産の複雑な鉱石が輝いています。





よく金の鉱石と間違いやすいのですが、綺麗ですね。




チャロ石とは初めて聞きました。石は通称「肉石」のようなものでしょうか。




天台宗の寺院で仏法を守ると信じられている孔雀の名がついています。釈迦に由来ですね。
この珍重されるクジャク石はソフトな布の感じがしますね。




よく市販されているメノオはこれですね。置物として土産物などに売っています。


光線の加減もあるでしょうが、綺麗ですね。


アンモナイトいろいろ

2013-07-30 | 自然界
この小さなアンモナイトの集まりは初見です。
子どもの集まりでなくて、進化の初期に現れたということです。



棒状のアンモナイトが進化が進むにつれて、渦を巻いていったそうです。
ところがそれがまた進化していって複雑に巻いていったと言います。
二次元の方向に渦を巻いているものが、三次元の方向に渦を巻き、遂には自由自在に巻き始めたと言います。

これは進化の方向が、単純から複雑へと向かう過程が出てくるという例に取り上げられています。
初めは直線の一次元から平面の二次元へ、さらに立体の三次元へと進んでいきます。





大きな個体ですが、まだ進化の過程としては初期ですね。





宝石になったアンモナイトの化石。
地面に埋まっている間に、からだが宝石の物質に置き換わったものでしょうか。綺麗ですね。






ここの個体は渦を巻きながら、三次元である垂直方向に巻き初めたのでしょうかね。
渦の断面を見ると、、各部屋に分かれており、それぞれが独立した個体だという。



 卵で子孫を増やすというのでないから、小さなアンモナイトは子どもではありません。
ではどうやって増えたか謎ですね。
偶然、種類の違うアンモナイトが集まって化石になったと思われます。これはもうエイリアンです。





右側の個体は化石になってから表面がすり減っていく途中でしょうか。




SDカードを置いてみました。最もポピュラーなアンモナイトですね。
発生から数億年はかかるんでしょうかね。



突然ですが…取りあえず富士山①

2013-07-29 | 話題
富士山が見えない。
どこへ行ってしまったのでしょう。それでも登山の支度をする人たち。



とっ!突然雲が晴れてきた。富士山は雲より高いので、関係ないですね。




山の稜線が輝き始めた



にょっきり出ているのは、照明道具です。




また雲が出てきた。東の空には青空が…。宝永山からの稜線はさらに下って東の丘を引きずっています。




3776mの頂きが見える。




少し下がった所に雪の斑点が見えている。




ズームをかけると人影すら見えるような気がする。雪渓がさらによく見える。

この記録の記述はまた、後日。

ウミユリと三葉虫の化石

2013-07-28 | 自然界
地球に生まれた生命体は、今では想像もつかないような変異を続けてきました。
今もアフリカ東部の深海に生きるシーラカンスもその一つですね。
その化石が発掘されています。肺魚などと言う人も居ますが、手足はすでにひれの形で残っていることはよく知られています。





三葉虫が地球的規模で生存し、その化石が発掘されていますね。
左:おおきな個体です。   右:多くの三葉虫が集団で化石になっています。




三葉虫の大きさを揃えてデザイン化されたもの。




カブトガニ:岡山に生息が確認され、全国あちらこちらでも発見されたり、食用にされることもあるそうです。
この化石は現在の姿とは少し違う部分があります。


これは初期のカブトガニと言われています。






ところで、化石として代表的なアンモナイトが、進化の過程がよく判るほどに研究されています。
北海道でで発見されたアンモナイトの化石です。




アンモナイトは、頭足類と言われる管のような体が発達していったと言われています。



フォッサマグナミュージアム

2013-07-27 | 自然界
国道8号線を東へ、糸魚川市へ翡翠(ひすい)を見に行きました。巨大な翡翠の原石です。


メインテーマがこれでした。 



展示室のトップに並ぶのはこれでした。宇宙からの便りの隕石ですね。
 




重い隕鉄、手では動かない。
 


鉄鉱石、海底で酸化鉄になったそうで、すでに海には酸素が存在していた。
もともと、最初の頃の地球には酸素はなくて、二酸化炭素ばかりだったと言います。





新潟県出土の霰石、綺麗ですね。



団体さんも、感嘆の声を上げている。



ウミユリの化石。いつも見ている化石はつるつるの断面ばかりを見ています。動物です。




まるで植物のような姿ですね。1m以上はある。




親不知の道end

2013-07-26 | 歴史・文化遺産
文学に見る親不知



日本アルプスを愛し、上高地にも名が残るウオルター・ウエストンが絶賛し、彼の顕彰碑がある。



天下の剣の第二世代の道路で見る海面からの立ち上がりです。



明治時代に完成した北陸道。正面に見える崖の岩盤が工事の最難所であったという。
ハンマーとタガネで切り開いた。




この垂直の岩盤は砥石のように滑らかで、矢のように真っ直ぐと表現される。





海面を覗いてみます。垂直で海面に到達する。



ズームして見ると海底まで岩石がごろごろ。



垂直に切れ込んでいる。海水が綺麗です。



「矢如砥如」の彫刻は開通した時に彫り込んだという。「砥」(=砥石)のようにつるつるを表します。





海岸線の東を見ます。白い横線は防雪トンネルで国道9号線。
張り出している道路は北陸道親不知IC付近。その向こうは漁港の防波堤。





西を見ると、展望台が見える。崖の急峻なところに第二世代の北陸道がある。
この波打ち際の海岸線が道であった。




案内の掲示板。




あらためて見直します。



素潜りで雲丹でも採っているのだろうか。あまり収穫はなさそうでした。


天険親不知の道

2013-07-25 | 歴史・文化遺産
最大の難所です。天険という名が付くところが、自然界への尊敬と畏怖が出ているかと。


親不知 雪は 海から 天へ ふる


国道8号線の「天険トンネル」の東入口から、旧国道の一部が逍遥路になっている。




明治11年明治天皇の御巡幸を契機に、波打ち際の北陸道の付け替えが始まり、
岩盤の中腹を削って第二世代の国道が完成した。

そして昭和41年に「天険トンネル(734m)」が完成した。これが第三世代の国道と言われる。




江戸時代以前は、波打ち際が北陸道であった。大きな波が来ると崖の洞窟に逃げ込み、
波が引くとその隙に、次の洞窟まで走るという国道であった。



左:平家が都落ちの時に都に残った武将平頼盛(よりもり)の奥方の詠んだ歌によるらしい。
右:崖にある洞窟が適当に並んで居ない所もある。少し離れているとそのまま波を被ったり、
  子どもは波にさらわれる。この波打ち際の街道が第一世代と言われる。






土木機械もなかった明治初期、手作業だけで崖の中腹に付ける国道8号線。
工事は熾烈を極めたという。




現在は公園化されて、橋も鉄筋化されている




展望所にある模型で見れば、海岸線の様子がよく判る。番号札は波から逃げ込んだ洞窟を示す。






中腹の崖に付いた道の左端が、この展望所であり、コンクリートの橋はかつては木造であったところ。
なお、左端下の明るい部分は日が射していて光っている。



第四世代の道は、北陸道の高速道路である。ここの崖の中腹の道路は「日本の道100選」に選ばれている。
 
次回は、崖の道百選からの風景です。

国道8号線を親不知へ

2013-07-24 | 歴史・文化遺産
宮崎城址で、以仁王の夢も終わり、道を下って山中の一車線の道を走り、
海岸沿いを走る国道8号線に戻ってきました。
 


並行して走る貨物列車。北陸本線。ツバメがいる?




東方を見ると、夕陽に浮かび上がる海岸線の背景には、親不知の断崖が見える。



北陸本線は、海岸線の直近を走る。海は穏やかですね。




夕陽は今沈みつつある。消波ブロックが夕陽に光る。




一夜明けて北陸道の8号線を走る。街道の目安になったであろう大きな松が頑張っている。
ここは市振(いちぶり)の宿である。




文化財になった松は村落の東入口に立っている。




村の中に井戸がある。弘法大師が杖でつついて出来た有難ーい井戸だという。




西に拡がる海岸線。




何やら海草を干していた。波に流されてくるという。海に入って採集するのは漁師以外は禁止だそうです。




白い粒は胞子嚢のようであるが、これを取ってから、鍋で炊くという。



赤いのも一緒にして火を入れて、根気よくかき混ぜると液体になり、それを豆腐のように型に流し込むそうです。



それが冷えると、黒みがかった羊羹のようになり、醤油で食べるという。名は「エゴ」という。
そういえば日本海側では各地で見られますね。





灯台も見える。人影もちらほら。魚釣りもしている。





北陸の宮の話

2013-07-23 | 歴史・文化遺産
地元出身の歌人の詩である。
 秋深き親不知  君と来て佐渡をば 呼べり 
 君遠し 海は鳴れども とどろきて 心打つのみ 
 山の上に 小鳥の 啼かず



目前に拡がる日本海の東の果て、親不知の難所が見える。


拡大します。更に遠くの街は姫川の流れる糸魚川市か。



振り返って西の方角には、富山平野が広がる。



宮崎城址の桜の馬場だろうか、広場の片隅に石垣を築いた高台がある。

北陸の宮の名が出てくる。この城山に御所を造ったという。




縦書きの解説板と同じような文章である。




石垣を上がり、視界の開けたところには東西南北四方の景色の解説がある。
 



高台の下に拡がる馬場の片隅に、八幡宮がある。




社前の広場で見つけたキノコと、古木から生えてきたヒノキの幼木。
 



簡素なお宮であるが、ここに駐屯した侍たちの信仰を集めたのかも。




   脇子八幡宮奥宮の由来
 この宮は大宝二年創祀の所に復旧したもの
 北陸の宮が御神前で元服され
 源義仲が武運長久の祈願をしたところ
と読めますね。



城山公園(北陸の宮関連)

2013-07-22 | 歴史・文化遺産
源氏方が京都平等院の宇治川の合戦で破れて、奈良の南都衆に合流しようと南下して、
光明山の鳥居で討たれた以仁王の第一子は、その後北陸道の朝日町で北陸(ほくろく)の宮と呼ばれた。

富山県と新潟県の県境に近く「現在地」の駐車場から徒歩で城山公園に向かいます。
その墳墓があるという。

笹川の流域の諏訪神社から北陸自然歩道に入り立ち寄ったものである。


城山公園に向かう山道は、サクラも咲こうかという中部北陸自然歩道は、この季節は人影がありません。



北陸自然歩道の三叉路がある。



駐車場から歩いて城山公園、そして宮崎城址はいい道であるが、その先は石段で下って行くことになる。





この標識は「現在地」の地点からの距離である。



広い駐車場である。ここから歩きます。気温はどうしてこんなに快適なんだろうと思いました。



歩道沿いの足元で、松が立ち枯れていたり、赤い菌類を見つけたり。
  



イヌザクラが満開です。



早咲きのイヌザクラかな。可愛い実が出来ている。




左:足元の赤い実は、辛夷(コブシ)の実です。 右は、ユズリハでしょうか。やがて紫色の果実になる。
 



城山公園になった広場、



日本海を望む高台で見晴らしが大変良い。今も能登半島から佐渡島までの空と海の監視を続けています。