昆布が美味い

羅臼の昆布漁を見た時にスタートしたblogです。昆布のダシのように、人生の旅にも味付けをしたい。旅を中心に纏めています。

北九州市の夕陽(2/28)

2008-02-29 | 国内旅行
かなり過密な九州のツアーの最後の日の夕方、門司のレトロ散策が終わって、小倉へ向う途中のバスで、真っ赤に沈む夕陽に出遭いました。
 車中からのスナップですが、最近夕陽が西に沈むのが気になり始めました。「日想観」でもあるまいに・・。


関門海峡に面する湾の対岸に、製鋼所があるようです。






ここは年中休むことを知らないで稼動する。産業の基盤ですね。







灼熱の鉄を冷却するのか、右方の建物から真っ白の蒸気がもくもくと上がっています。

阿蘇にも雪が

2008-02-26 | 国内旅行
大阪から僅か2時間半で博多に着くことにびっくりでしたよ。
草千里には雪が残っていてもあまり寒さは感じないほどの気温でした。中岳の噴煙が雪との対比で美しい。
高千穂峡を経て宮崎県のシーガイア泊でした。思えば狭い国になったものです。新聞でふと見た広告のツアーでした。
自分でも、その気紛れ心に呆れています。

綱敷天満宮1(須磨)

2008-02-25 | 旅の風物
TVのニュースで綱敷天満宮のライトアップが紹介されていた。18:00から点灯と言います。
 
 須磨離宮公園から、浜側に数100mの地点です。今は国道2号線とJR山陽本線が通って、海岸線とは隔てられているが、かつては、海沿いの船泊りの浜であったに違いない。

 大宰府に流される途上の菅原道真が、休憩のために上陸した。彼の座る席には急ごしらえの、綱で出来た座布団が用意された。以来、綱敷天満宮と言われています。時々、この名前の天満宮も各地で見かけます。


源平所縁の地であり、須磨離宮のお膝元でもあるところから、神戸に住む多くの人たちの信仰を集めています。





神戸の生んだ詩人「竹中郁」の詩歌の碑です。






ライトアップされた紅梅。赤・ピンク・薄紅などいろいろでした。





白梅も、八重・一重・小粒・花弁の大きなものなど、それぞれ品種名の札がありましたね。






大宰府で詠んだ道真の歌碑がありました。東風(こち)吹かば匂いよこせよ梅の花、・・。






左:道真5歳の時に詠んだ歌の碑の上には、彼の5歳の彫像が立っています。
右:ライトアップに浮かび上がる境内。松の梢まで光が当たっています。



千本釈迦堂(阿亀さん)

2008-02-24 | 歴史・文化遺産
北野天満宮に程近く、千本釈迦堂大報恩寺があります。
7月の陶器市、8月の六道参り、12月には中風除けの大根焚きなどで知られていますね。

 当寺の建築にまつわる話で、大工の棟梁である夫に尽くした阿亀(おかめ)の物語が伝わっています。





 この優美な寝殿造りの本堂(釈迦堂)が国宝です。内陣があり、更に内々陣が設けられ、さらに厨子の中に釈迦が安置されています。
 都の兵乱にも火災に遭うこともなく、京都では最古の建築物です。

現在は、文化財の仏像などは別棟の鉄筋コンクリートの宝物館に安置されています。写真がお嫌いでした。







京都千本今出川通りに近いので、この名で呼ばれています。

宝物館の釈迦十大弟子像・六観音像・釈迦誕生像など圧倒される迫力があります。






境内には「おかめ塚」があり宝筐印塔があり、隣りに彫像が出来ています。彼女の主人は、寺の大工の棟梁でした。お堂を建てる際に命がけの協力をしたと言われています。




 お亀の夫が、お堂に使う四本柱のうち一本を間違って短く切ってしまいました。彼は死をも考えるほどに悩みました。再度の注文は出来ません。

 妻のお亀の発想で、短くなった柱に斗栱(ますぐみ:碁盤のような四角の木材に加工した組み物)を柱の上に乗せて、補充することを提案しました。

 夫は救われ、立派に本堂が出来上がりました。

 しかし、お亀は自分の夫が、妻のアイデイアで救われたと世間で言われることは夫の恥になると考え、自刃して果てました。


 本堂の上棟式当日、お亀の名にちなんだ福面を扇につけて、屋根裏に飾って、妻の冥福とお堂の守りとを祈念する棟梁でした。


以来、人々はおかめの徳を偲び、繁栄を祈ったそうです。









本堂の外陣の廊下には、碁盤の様な形の斗栱(ますぐみ)を膝の上に持ったおかめの像があります。





後世の人々はおかめの徳を慕い、おかめ人形を寺に奉納しています。よーくご覧ください。200体以上が並んでいましたね。





おかめは阿亀福とも言い、お多福も同じです。

北野天満宮界隈(寿司屋さん)

2008-02-23 | 旅の風物
菅原道真が、大宰府で失意のうちに他界(903)して以来、「たたり」と言われる災害が都で起こりました。
 道真の霊を慰めるために北野天満宮が建立されました(947頃)その時の余った材木を利用して、この地に7つの休憩所が建てられました。
 その後、豊臣秀吉が、この地で大茶会を催した時に、遊女屋として茶屋株が公認されました。それが、現在の花街「上七軒」の起こりでした。


北野天満宮の一の鳥居の前の寿司屋の店内には、花街の女性の名前が見えます。祇園・宮川・先斗・上七軒の文字が見えます。
 


餅花が壁にかかっています。餅はあたかも梅の花ですね。食べ物の敷き紙には紅梅の絵が・・。









左:本日の昼食はばら寿司でした。湯呑みには「豊しげ」とあります。この後吸物が付きます。
右:店主と喋っていると彼は貝殻を持ち出してきました。何貝でしょうか。美しい色をしていますね。








次に、店主は棚から皿を出してきました。「古伊万里」だと言う。片方には銘もある。やや小振りであるが値打ち物かも知れません。






 店の奥の高い棚の上には、社がお祀りしてあった。右側は大国主命で左は天照大神だと言います。これは記紀の世界ですね。

 大国主命は大己貴命(おおなむちのみこと)とも言われ。奈良大神大社(みわたいしゃ)の主神である。ここから伊勢に神様は移っていったという原点のお宮ですね。
 店主は卵を15個お供えしているという。これは大神(みわ)大社と同じである。当然、社の前の注連縄のようなものは、蛇をあらわします。

左の社は、伊勢神宮の勧請でしょう。それも外宮の方かも。屋根の千木も鰹木も揃っています。







奈良桜井の大神大社といえば、あの杉玉でよく知られる酒つくりの神様ですね。
この店の棚の上には、頼山陽の漢詩のついた「剣菱」があり、彼が伊丹に遊んだ時に愛飲したと思います。さらに、越後の新発田の銘酒「菊水」が並んでいます。

 ※ 貝殻はとり貝です。当昆布blog '07.06.23にトリ貝をアップしています。

北野と上七軒(花街)

2008-02-22 | 呟き
 三寒四温と言われる季節。四温の来た今日、再び北野天満宮を訪れました。

 
ふっくら、ほっこり白梅が綻んでいました。






紅梅よく開き、白梅にミツバチが訪問します。









折りしも、隣接する花街「上七軒」の半玉さんと、そのおかあさんに見える二人連れ、どこから帰ってきたのでしょう。






花街のお茶屋の軒先と、上七軒歌舞練場の入口。








すだれが並ぶお茶屋の家並み。





この家の軒には、鬼瓦が並んでいます。ここは瓦屋さんでした。

神戸空港テイクオフ

2008-02-21 | 国内旅行
 空港が出来て3年目、今日は神戸空港から西へと飛び立っていただきましょう。

 大阪湾の北の沿岸から、海に突き出たポートアイランド、更にそこから南の海に突き出たのが神戸空港です。
 そこに立つ人にとっては、まるで大阪湾の真ん中にいるような錯覚を覚えます。

前方に明石海峡大橋が見えます。右が須磨一の谷の山塊が海に落ち込んでいます。ひだりの陸地が淡路島です。
 この狭い海峡を「渡る千鳥の鳴く声」が聞こえたり、「須磨の関守」が、海上交通を見張っていました。






派手な国際線は飛びませんが、鄙びた地方空港の風情を見せています。先日のTVのニュースでは、昨年の利用者が300万人で、当初の予定319万人に届かないそうです。






背後の山並みと海に挟まれた細長い土地に栄えた神戸の街は、何処に行っても北側に山が見えます。(もっとも、最近は市域が大きくなり、山の後ろにも住宅地が広がります)







飛び立ってすぐに、神戸の中突堤が見え、少し左に赤いポートタワーが見えます。
右方には埋め立てで作った広大なポートアイランドです。空港は更に南に埋め立てたものです。






都心部から西に須磨の海水浴場が見えます。背後には須磨連山と言われる山々が見えます。
 先日、blogにアップした須磨離宮公園も見えています。
 高速道路が川の上で大きくうねっていますが、その道路が山にかかってトンネルになりますが、その左側の樹木のない長方形で見えています。






この海岸に面した山に一の谷、二の谷などがあります。義経が逆落としをした所とも言われています。海との狭い海岸線が、源平の戦いで、平家の西の木戸があったところです。
 JRが海岸線に沿って走っています。






正面の港が明石蛸で知られる明石港です。背後には明石城址が見えます。明石球場も見えます。全国高校軟式野球の大会があります。

ここから飛行機は播磨灘上空から四国に出ます。