昆布が美味い

羅臼の昆布漁を見た時にスタートしたblogです。昆布のダシのように、人生の旅にも味付けをしたい。旅を中心に纏めています。

敦賀港を訪ねる

2011-06-28 | 話題
 高速道路の無料化実験が間もなく終わるというので、、若狭路を訪ねました。福井県嶺南地方は入り江の多い海岸線で、魚も新鮮なものがある。その場で焼いて食べることができる。

 




鯛御膳定食です。






海岸線をさらに東へ、敦賀にまで来ました。北海道苫小牧港まで20時間くらいかかるフェリーが出ています。。






むかしのフェリー岸壁は、もっと敦賀の街に近かったのが、かなり北方に新開港している。

新しくできた岸壁は、乗船建屋など立派になっている。昼間のこととて今は誰もいない。




掲示の写真とか船の模型とかが陳列されているだけで、ひっそり感としている。船による輸入商品の地図ですね。海に囲まれる海運国であることがよくわかります。



岸壁から南を見ます。はるか正面の山すそ一帯が、敦賀の街で北の玄関口として栄えました。
 ところで手前の小山が戦国時代、織田信長が浅井・朝倉に挟み撃ちになって、京へ逃げ帰った金が崎城址です。
 また、この山は太平記の時代でも新田義貞勢と足利尊氏勢の決戦場にもなりました。


山頂にあった城の搦め手が急峻な崖になって海に落ち込んでいますね。この船は石炭を積んで入港したようです。


赤丸がフェリー乗り場です。

神戸市高山植物園④end

2011-06-27 | 自然界
園内で手近に見られた草花たちを見ます。

大きな緑の葉の傘の中で真っ赤な花が咲いていました。

葉の形が八角形になっている。中華料理に出てくる香辛料のハッカクは樒の仲間なので、これではない。
 





不思議な花が不思議な場所につきます。このような花はいかにも毒草に見えます。あえて分類すると毒草に仲間に入ります。漢方では解熱剤だそうです。





どういう訳か、地面に触れる場所で咲いている花。





少し遅い開花だったか、シャクナゲは豪華な花ですね。




コデマリも見事に咲いています。





海岸線に多いハマナス…。





これは久しぶりに出会ったクラマゴケ。コケの仲間ではありません。シダの仲間です。             

高山植物園③

2011-06-26 | 自然界
園内をゆっくりと見て回るうちに、閉園の時間になってきました。

フタリシズカです。花の穂が2本だからというわけでもないのです。3本も1本もあります。



葉のつき方などはトウダイグサの特徴が出ていますが、これで漆の代用をしたのかも。

花の形が「丁」の字に似ているとか。






センダイハギは黄色だけれど、これは紫色です。先代萩か千代萩か悩ましい。




ありそうな名前でありながら、あまり見かけないクサタチバナ。





左:ハナイカダ。花が葉の中央部に咲き、結実する。
右:ウリハダカエデの花です。この木の幹は瓜のような緑の表面です。




オオヤマレンゲは豪華ですね。白い花弁の中央の赤い雄蕊の色が反射しているような…。



ニッコウキスゲも公園内であることを忘れさせてくれます。日光戦場ケ原を思い出す。


高山植物園(ドウダン)②

2011-06-25 | 自然界
真っ赤な花が咲いていた。花と言うよりも赤いガラス玉のようなのが、ぶら下がっています。熊蜂がブンブン。



この赤は水滴のようで見事ですね。




さらに鈴なりです。ドウダンツツジ。




赤いブドウの房のようです。




こちらの鈴なりは、白が混じります。




よく見ると釣鐘状の半分が白いですね。サラサドウダン(ツツジ)です。




逆光に浮かび上がりました。




これはアカヤシオツツジの枝でしょうか、白の大きな花が這い登っています。カザグルマでしょうか。



六甲山高山植物園①

2011-06-24 | 自然界
ここが海抜800-900mほどでありながら、結構それらしい植生が出来ています。木道沿いに、例年クリンソウが人を呼びます。  




白やピンクも混ざっています。



上流からの谷川が流れ、すでに花の盛りを過ぎているが綺麗です。




花が終わった後で、輪になってくっついています。




派手な花ですね。そのぶんこの時期森の中の風景をを生き返らせてくれます。蝶が…。
  





これはアヤメですね。




マムシソウかウラシマソウかテンナンショウか。どれも里芋の仲間です。





これはこれは派手な模様です。



ヒメウラシマソウです。




砥峰高原②

2011-06-23 | 歴史・文化遺産
 秋、ここは一面のススキが原になる。夜、月が出れば、どれほど青く冴えわたるでしょうか。



周囲を囲む森林はかなり遠くになりますね。




 緑の中に埋没しないで、マムシソウが突っ立ている。これをマムシというのは、コブラの影響でしょうか。花を支える柱にあたる茎の部分をご覧ください。その茎の表皮の縞模様を。それこそがマムシの胴体のように縞模様がついています。(コンニャクについては当ブログ2005.10/10に詳しい)

森の中で、突然出会うとぎょ!と言う風に感じます。気味が悪い。これって里芋の仲間ですよ。コンニャクもこんなですね。





木道の上で、トカゲとトンボが、日向ぼっこをしている。
 





映画「ノールウエイの森」のロケ地になったといいます。




明るくて、夢のある山小屋風ですね。この前の階段に座って、草原を体感するのでしょう。





草原の花咲く植生の紹介です。





タニウツギが山小屋の周りの原野に咲いていました。
 




やがて、太陽も薄曇りの中で傾きかけました。





写真が掲示されていました。山焼きの風習です。草原の周囲には土手が出来ており、延焼しないようにできています。



砥峰(とのみね)高原(播磨)①

2011-06-22 | 歴史・文化遺産
 兵庫県姫路市から北へ向かうと、播磨と但馬を結ぶ播但道が走っています。そこには生野峠を通過して但馬に抜ける谷があります。その谷の途中から西へ曲折する道を山に向かうと、砥峰高原に行きつく。
 長谷ダムを横に見て川上の集落を過ぎると、県道39号線が山中でカーブを繰り返すうちに、頂上付近に見事な草原が開けます。




この高原が見える頃、県道はやがて通行止めになります。





山頂付近の高原は、江戸時代からススキの生産地として大切にされてきた場所です。





この景色のためにドライブで訪れる人は跡を絶ちません。最近売店などが出来ました。
 




凹凸のある山の峰は、結構楽しい開けた草原になっています。毎年一面のススキの開花時分には多くの人が訪れます。標高はそれほどないのに空が近く見えます。




木道が続くところなどは、信州の高原地帯を想起しますね。




ススキさえ収穫できればよいというので、草花などは敬遠されるようです。





湧水もあり、カエルなども鳴きます。



この峠を挟む両側の村は、家の屋根の材料として茅葺きの生産地にしているようでした。数年前に来た時にはキジを見かけました。近年は萱の需要も減ったことでしょう。


飛鳥座神社(下)

2011-06-21 | 歴史・文化遺産
 飛鳥の大原の里にも棚田の風景が出来ていました。
田植え寸前の田には水が入っています。バックの森影は前回アップの大伴夫人(鎌足の母)の墳墓と言われる丘です。
 写真の右上で少し奥に、彼女が鎌足を産み落とした産湯の井戸がある神社が小さく見えています。



左:カモが田畑の中で動きません。何か居るのでしょうか。
右:畑の中の烏脅しです。烏は恐れをなして近寄って来ないでしょうね。
 




畑にアヤメが咲いていました。後ろの山をバックにしている建物は「飛鳥坐神社の建物です」




白のアヤメに接近。




これはビョウヤナギでしょうね。満開です。




由緒でいえば1級の古さと格式のある神社ですね。





万葉歌があります。
ここで大君と言うのは天武天皇であり、壬申の乱で近江朝を壊滅させ、飛鳥浄御原(きよみはら)宮を開き天武・持統にかけての繁栄を見たのでした。
 近江朝を討つべく、672年6/24に吉野を立った大海人皇子は、手勢を連れて、伊勢湾を望んだとき、伊勢神宮に拝礼の遣いを派遣しました。
 この時点で、他の豪族とは異なる万世一系の血統を掲げ、「天皇」と言う言葉も使われ始めたといいます。
 
(赤駒=赤の毛並みの農耕馬)





祭神はそれぞれ由緒のある三柱ですね。






少し建物などの様式が個性的ですね。
 



神社の境内には、数多くの陰陽石が奉納されています。



陰陽石の信仰は縁結びや合格・入学などを願うようです。右の方は、飛鳥の異人の顔をしていますね。
 




境内には、こんな石造物が並んでいて、注連縄で囲まれています。




鎌足産湯の井戸(飛鳥上)

2011-06-20 | 歴史・文化遺産
奈良の三輪そうめんの口当たりを思い出そうと、久し振りに出掛けました。その後、飛鳥の里に出かけ、万葉文化館に行くつもりが、少し里山を歩こうと思ったものでした。


すると、そこに大伴夫人(ぶじん=鎌足の母)の墓があり、後の藤原鎌足の誕生の地にやってきました。



ここ小原の里とも、大原の里とも言います。





 あまりにも遠い昔の話だからか、中大兄皇子と謀って、蘇我氏を滅ぼし、天皇を大君として敬う礎を築いた人の生まれた場所にしては粗末なものです。飛鳥の中でもあまりにも遠い昔の話だからかも。
 境内の参道の向こうに、拝殿があり、その奥に本殿を覆う屋根が見えます。



奥の本殿は社が二つ、覆い屋の中で苔むした姿で祀られています。



小さな丘から、一段と下がったところに、井戸があった。

産湯の井戸です。





万葉集の歌の中で、これらの遺跡は輝きを増します。
 中大兄皇子の弟である大海人皇子と鎌足の娘の藤原夫人(ぶじん)の交わした歌があり、正面に碑が建っています。
(大原のような古い里にはこのような白くて美しい雪は降っていないだろう)(彼女はこちらの神に言いつけて降らせた雪のかけらが、ちょっとそちらに降っただけのことでしょうに)などなど、勝気ですね。





神社の前にあった万葉歌の石碑がある。上の写真の歌を、十分参考にしながら歌碑の刻字をご覧ください。


墨俣城から岐阜城へ③end

2011-06-19 | 歴史・文化遺産
 通称一夜城の築城について、古文書がある。興味のある方は、その経緯をご覧ください。
右のページは築城の苦心が書かれ、左のページ3行目から、藤吉郎の築城についての作戦が書かれています。




その一夜城は揖斐川の洲に建てられる。後方堤防の向こうは揖斐川であり、その支流が並行して杭瀬川などがある。手前は城に向かう橋の欄干です。天然の堀になっている。




揖斐川の流れが見えます。手前の花の咲く樹木はセンダンの木です。




天守閣からの眺めは濃尾平野が一望です。このあたりもすでに、川よりも低い場所に村が開け、洪水対策で村を囲むように堤防があり「輪中わじゅう)」が各所にみられます。





墨俣城が、岐阜城(当時は稲葉城)の斉藤道三を攻める足掛かりでした。

次に岐阜城に向かいます。町中から仰ぎ見る稲葉山城址です。ロープウエイで登ります。




山麓に城の大手門があります。そこには若き信長の野生のような姿の彫像があります。



城山の金華山には訪れる人が多い。




美濃の国を治め、娘の濃姫を信長の妻に嫁入りさせた斉藤道三と、彼の息子の代で占領した尾張の織田信長の二人の城主の名が、幟になっています。ロープウエイ山麓駅です。
右:長良川と長良川球場などが見えている。
 





山上駅から1.2kmの登り坂には、一の木戸・二の木戸がある。
 






ここからいよいよ天守閣に向かいます。




天守閣を見るポイントだそうです。




天守閣内と別棟の資料館も、じっくりと見ると日が暮れそうです。

左:斉藤道三。右:織田信長。
 


天守閣から見下ろす長良川の流れ。橋の袂、左岸の入り江に、赤い長方形の赤いものが並んでいるが鵜飼の屋形船です。