昆布が美味い

羅臼の昆布漁を見た時にスタートしたblogです。昆布のダシのように、人生の旅にも味付けをしたい。旅を中心に纏めています。

吉野宮遺跡を散策3

2011-10-31 | 歴史・文化遺産
たぎつ河内

山高み 白木綿花に 落ちたぎつ 滝の河内は 見れども飽かぬかも (巻6-909) 笠 金村(かさのかなむら)
 
山川も 依りて仕ふる 神(かむ)ながら  たぎつ河内に 船出せすかも(巻1-39) 柿本人麻呂

万葉の世界で吉野宮と言えば滝(たぎ)=「たぎつ河内」抜きでは考えられない。



柴橋は、今は立派な鉄橋になっている。周辺の河川敷は現在よりも水が豊富で舟遊びなどもできたらしい。




万葉に出てくる地名が数々残っている。





柴橋の日影が映っているが、上流の水の流れが見えている。





芝橋の上流を見れば、両岸の崖が迫る淵になっている。





川の中に出ている岩礁は、深く切り込みを作り、流れが激しくなる。最近、このあたりの淵に若者が水中に飛び込む遊びが流行っていて、そして1・2年に一度くらいは事故が起こっている。





この橋からの飛び込みも絶えないところから、橋の欄干に金網を張り、欄干の突起は乗り越えられぬようにしている。





岩盤を流れる川の水は滔々と流れる。流れが瀬になって終わる左側の崖に見える家屋から、緑の茂みに、筋状に見える切れ目がある。ここが吉野山から流れてくる「象(きさ)の小川」の出口で、「夢の和田」と呼ばれる場所である。





川に沿って展望台がある。






対岸を見れば、「中岩の松」と呼ばれた松が岩の中から幹を突き出している。




崖の続きにも松がある。もちろん当時の松ではないが、良い風景を作っている。盆栽の原点でしょうね。




夢の和田の淵で、少しは流れが淀んでいる。


吉野宮遺跡を散策2

2011-10-30 | 歴史・文化遺産
飛鳥の宮が成立する以前から、吉野川沿いには文化が進んでいました。吉野宮などと呼ばれます。




上が南の方角になっている概念図です。最も古い文化の集約地点になるかも…。






国道169号線沿いに立っている遺跡を示す碑が建っている。







宮滝遺跡の説明版も、朽ち果てかけですね。種々の土器や石器が出土しています。







吉野町の観光パンフレットにあった解説文から。







こちらの碑は、背後に吉野宮の敷地が見えている。






サッカーコートくらいの範囲で、遺跡調査した跡が史跡に指定されている。






出土品の概要です。






発掘調査の遺構の目印に杭が残っています。




村の集落にすぐ裏手が、遺跡になっている。





鳶は鷹の仲間で、最も気の弱い鳥である。ここで今はカエルや昆虫を啄んである。





古事記や日本書紀の世界ですね。「…大和しうるわし」と謡う時は、ここも大和だったかも…。





吉野町で、谷間に陽が沈むころ、「秋の日は釣瓶落とし」などのフレーズを浮かべながら、大海人皇子が伊勢湾に向かったことに思い巡らせていました。


吉野宮遺跡を散策

2011-10-29 | 歴史・文化遺産
古代、古事記・日本書紀のみならず万葉集にも登場する地方の一つにに吉野宮がある。そこは今も、いにしえの歴史の故郷として数々の遺跡が残っています。

吉野宮遺跡が発見された宮滝を訪ねました。

 吉野宮の候補地として、水神の威霊伝説が残り、祈雨や止雨の祈願の対象になったり、禊の場所であったと考えられる。まだ他にもあるが宮滝も有力な候補地の一つである。

バスは一日に7回通過します。




サクラの吉野は江戸時代なって名を知られたが、宮滝はその北東方向になる。




歴史資料館が宮滝の背後の山に完成し、広い公園になっています。




この見取り図が、上が南の方角で、青根が峰は吉野神宮方面になる。史跡指定地以外は村人が普通に暮らしている。





吉野歴史資料館はスギの焼き板で外装が出来ています。






ちょうど前庭にある万葉歌碑の拓本を取っている人がいた。







博物館に向かう道の入り口には、彫刻家が造った像があった。スギの廃材で合成したものらしい。





深い谷間の村は、勾配が大きく、傾斜地として要注意の標識がある。大字宮滝と言うのが赤錆びています。


下鴨神社の学問所

2011-10-28 | 歴史・文化遺産
 来年は鴨長明が「方丈記」を著して800年になるというのを記念して、世界遺産「下鴨神社」内に「京都学問所」を創設するという。平安時代にあったという研究機関を再設立して、文化を発信していくという。



神社の東側にある禊(みそぎ)の川、そこに架かる朱塗りの太鼓橋と鳥居。





神社の周囲に広がる糺(ただす)の森は原生林である。この中を流鏑馬(やぶさめ)が走る。





本殿の東側にある直会殿(なおらいでん)。





説明板。






直会殿の西の門、この殿社の庭は紫珠と呼ばれる。






庭にはムラサキシキブの灌木が、庭木として多く植栽されている。





会場は白木造りの棟です。






式典で開会の挨拶をする賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ=下鴨神社))宮司、新木直人氏。






学問所開設記念講演で京都大学名誉教授長尾真氏が、方丈記などに見られる、天災などの記録は貴重なものであるという話があった。


続いて、京都産業大学学部長で、歌人として活躍される永田和宏氏の心打たれる短歌の紹介がありました。







先生の奥様河野裕子さんが、癌に倒れてからも歌を詠み続け、永田和弘氏との心の繋がりが歌として吐露され、最後に息を引き取る時にも歌を発し続けた奥様の歌が紹介されました。先生は、河野裕子氏を現代の与謝野晶子と表現された。

後半の十二首は、一首ずつ2-3回読み直してみてください。彼女の夫に訴える思いが、切々と身に迫ってきます。






葵祭の時に禊をする小川です。



帰ってきた江戸絵画(ギッターコレクション)

2011-10-27 | 話題
 京都文化博物館で、アメリカのニューオーリンズの財団が40年かかって江戸絵画を収集しています。最後の収集は1960年代だったと言います。これが里帰りして107点が展示されました。勿論撮影はできませんが、パンフレットや記念絵葉書から、少し紹介します。

当日の入場券と会場案内です。 「ダルマ図」は伊藤若冲です。
 






時間があれば、読んでみて下さい。





与謝蕪村の「春景山水図」絵葉書でもバックが変ですね。




中原南天棒の「托鉢僧行列図」何ともユーモラスですね。
 







左:俵屋宗達の「鴨に菖蒲図」
右:池大雅の「山水に稲田図」
 






谷文晁の「山水図」






酒井抱一の「朝陽に四季草花図」三幅の掛け軸になっています。






伊藤若冲の「寒山・拾得図」これは面白い。後向きの拾得が箒を横に置いている。




山口素絢の「鴨川納涼図」





与謝蕪村の「夏景山水図」





源の「松に虎図」。この絵はすべて線画で描かれています。虎の毛並は一本ずつ、草も松も一本ずつの毛筆です。



続・秋の野仏

2011-10-26 | 自然界
この峠一帯に四国88か所の石仏が出来ています。まだ世の中が素朴だった時代に、巡礼を続ける人にとっては、心の安らぎを求めて、西国33番の行脚の途中での四国88番めぐりは、気分の持ち直しに役立ったことでしょう。

どういう訳か、ここには十番と九番とが並んでいる。




どういう訳か、ビールの苦みを出す植物のホップのようなのがある。この花と言い、葉の形と言い、蔓性であることと言い、ホップですね。しかし、これと同じような草花を他に見たこともある気もします。




熊でも出そうなブッシュに入っていくと、頭上にアケビの実がなっていた。これは実というよりもアケビの種子ですね。




今年は収穫の時期に来ることが出来なかった。





ややグロテスクですね。





近くによると、近寄りがたい姿ですね。もうこうなると、鳥も寄ってこない。黒くて苦い種子は鳥も敬遠。





ヤマゴボウの実が出来ている。この実に棘が輪のように並んでいるではないか。白いとげが11本あります。





彼もあまり動物に食われる事はないようですね。





これ以上は山に入るのをやめました。マムシがいるかも。猪がいるかも。まさかクマなど…。





里の畑に柿が色づく。」




ヒッツキムシと言っていたオナモミの種子が出来ている。赤いハナタデもバックで引き立ている。





これは本当か?と聞くと。本当だ。という。新聞に載っていたのはここだったかなあ。そう、実が6個もついています。





「とろろ」にすると旨い。ヤマノイモの野生種である。元気が出そうに思う。


野仏の秋

2011-10-25 | 自然界
 野仏にふと昔から土地の人たちに親しまれてきたことを感じるようになりました。そこから出てくるオーラのような、気取りのない里山の自然もいいものですね。


 ここは西国33札所の27番書写山圓教寺から巡礼が歩く道で天橋立の28番成相山成相寺に向かう道中、その休憩所がある「休み処」がある。いつも枝垂桜で、当blogにもアップしていますが、その峠道にある里山です。

 保存のよい石仏は村道沿いにあります。




周りの畑は猪・鹿除けの金網が背景になって、青空が綺麗だったのですが…。




アキノキリンソウかオオアワダチソウか、真っ黄色でちかちかするほど満開です。




畑の中の柿が色づいています。




柿の色が秋の演出をしています。



落葉した柿の木に透かして野良仕事の車が止まっています。



妙法 大日如来とでも彫られているようです。この辺り、春になると雉が見られます。以前はハヤブサの調教が見られました。


梵燈(妙心寺東林院)

2011-10-24 | 旅の風物
京都の夜は久しぶりでした。春は庭園の沙羅の花の観賞で多くの人が訪れます。

この時間、当然全山の山門が閉まっています。




妙心寺の塔頭の一つ、東光院に梵燈を訪ねます。








「あかりに親しむ会」の梵燈。通路の石畳にある水盤もほんのりと。







座敷に上がると、ここも禅宗の古刹である。○△□がきっちりとある。禅問答の論議が盛んな臨済宗妙心寺である。○△□の庭は祇園建仁寺にもある(2007.5/9アップ)

今宵の明かりに描かれている文字の意味の解説です。





当夜、配られた解説書です。






生と死の間にあって、今を生きる事の大切さを表現して「事大」と読める。






進む足元を照らすように、石仏も蝋燭の光に浮かび上がります。





遠くの石塔もかすかに見え、庭に点在するともしびは、闇夜に人の進む道を暗示しています。






こうして見ると、何やら、ざわざわとした賑わいがありますね。決して浄土も寂しくはないようです。





明かり二つ。三角の燭台と円筒形の燭台と。


京都錦市場

2011-10-23 | 旅の風物
 久し振りに京都錦市場を歩きました。ここはそれぞれ季節感があって楽しい所です。
 尚、ここでは特におすすめの店をアップしたのではありません。一つの風景としてアップしています。味をとやかく言うほどの修業は積んでおりませんので…。

 漬物の樽、昆布大根ぬかの札が出ている。美味いかも…。漬物のお寿司の盛り合わせを落ちついたテーブルで食したことがある。それは疲れが取れる味がした。
 この大きな樽の底から全部に漬物が詰まっている、などとは考えられませんね。





年末でもないのに、結構な人手の錦市場。






ちまちまとした淡水魚が並んでいる。ふるさとは琵琶湖の魚でしょうね。「いさざ」って…。






こちらの漬物屋さんは、お土産用によいかも。「おらが漬」とか「美人なす」とか。






「なまずの蒲焼」「鰉(ひがい)」 そして試食はダメと出ている。






これは面白い。「たこたまご」ウズラの卵が入っているという。蛸を食べない外人向けかも。





「たこたまご」で、こちらは透明な紙で包んである。





今年はまったけが不作だと聞いたが…。







日本茶に合う干菓子がならぶ。「秋ごよみ」などよい感じですね。






ぜんざい・あんみつ・ぶぶ漬け、などなど、糖分が身体に回らないように、ほどほどの分量であるのが、古人の気遣いでしょうか。立派な武士も茶席で味わったに違いない。



火の国パタゴニア10(パイネの山々)

2011-10-22 | 海外旅行
 いよいよパイネ国立公園(大阪府くらいの面積)の中心にやってきました。1枚目は前回からの再掲になりますが山並みをここで紹介します。

左端は二つの峰があり、その中央に氷河があります。パイネグランデ(標高3050m)
谷があって再び標高を上げて、先の尖っているのが、パイネの角(2060m)
更に右に小さなピークがあって、その後ろで指のように突っ立ている2本がパイネの塔(2850m)と言われ全部で3本あります。
更に右にニエト山(2670m)でインデイアンの顔が上向きに寝ているように見えるので、インデイアンヘッドと呼ばれる。








これは絵葉書です。さすがプロの写真家はよいアングルを選びます。






これも絵葉書です。ペオエ湖の中央にホステリアペオエというレストランがある。ここで北向きの最も日当たりのよい窓際に座って昼食です。




ここに立つのが今回の旅の大きな目的であった。






パイネの山をバックに花もきれいですね。





何回見ても美しい。





これは絵葉書です。強い風を受けて樹木は旗形木になっています。このアングルはさすが現地のプロですね。




パイネを満喫。






パイネを出て少し行ったところに巨大な滝がある。このあたりからパイネ登山が始まる。ここから見るとパイネはまた異なる。