昆布が美味い

羅臼の昆布漁を見た時にスタートしたblogです。昆布のダシのように、人生の旅にも味付けをしたい。旅を中心に纏めています。

Blogの一年04

2006-12-31 | 呟き
大晦日の夕方ともなると、心なしか世間も静かになった気がします。blogの一年を振り返るのも後半になりました。


山から切り出したモアイが運搬の途中で置き去りにされている風景です。
 イースター島のモアイに出逢ってからほぼ一年が経ってからのアップでした。(5/11-18~6/13blog)


「われわれは何処から来たのか、われわれは何者か、われわれは何処へいくのか」という言葉が絵の左上に書いてある。ゴーギャンの作品です。TV世界遺産の番組のタイトルのトップに出て来ますね。
イースター島への途中で南海の孤島タヒチが中継点になりました。(6/24-7/25blog)


洛北の大原の里を訪ねました。正面の霞む山が比叡山です。三千院は今回は敬遠して寂光院、そして古知谷の紅葉を訪ねました。(9/1-26blog)


奈良山之辺の道沿いの長岳寺を訪ねました。地獄絵の開帳があり、紅葉の寺は浄土の再現だと思ったものでした。(11/30blog)
10/6~12/9辺りのアップは、秋の色を求めてデジカメの大活躍でした。


桜の紅葉です。春の花よりも美しいと古来歌に詠まれています。今年はカエデ以外のもみじにも重点を置きました。


南紀の旅は、今年2回目の一泊旅行でした。travelがgoodのblogとしては何とも寂しいものになりました。(11/14-20blog)
家族旅行で253泊していますから、今年は記録的な一年となりました。


藤原鎌足の談山神社の紅葉です。(12/6-10blog)


和泉の国、池上曽根遺跡の古墳に弥生人を訪ねました。(12/19-22blog)


ノロウイルスの噂の中、相生の牡蠣に行き、採れ採れの牡蠣を土地の人の好意でたっぷりと戴きました。美味かった。(12/23blog)


大阪湾の淀川河口の夕景です。(12/23blog)
 この一年、アップ回数は250回。アップの画像が2305枚でした。


除夜の鐘、古来108の最後の一つは年明けに撞いたそうです。
いい新年をお迎えください。 来年こそは平和な年になりますように・・。

Blogの一年03

2006-12-30 | 呟き
3/31から5/5までの約1ヶ月間は、春の花を訪ねたblogになりました。その間、日帰りでの各地を訪れた記録も入ります。


ショウジョウトキが飛び回る「花鳥園」の中です。今年の春から神戸空港と前後して「花鳥園」が開館しました。文字通り花と鳥の楽園でした。(4/9-14blog)


海を埋め立てて出来た人工島の岸辺にアーモンドの並木が出来ました。
(3/31-4/1blog)


ベランダから見たハナミズキです。(4/30blog)


花の京都に龍安寺を訪ねました。石庭もさることながら、庭一面のの枝垂れ桜が素晴らしい。(4/21-4/22blog)


シロヤマブキは実が花ごとに2-3個の黒い種子が出来ます。(5/2-3blog)


「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだに無きぞ悲しき」(4/29blog)


村を挙げてのシャクナゲ祭りでした。(4/23blog)


薬草薬樹園の温室で咲いていました。壺を背後に持った花でした。(4/25-28blog)


Blogの一年02

2006-12-29 | 呟き
春の早く来る伊豆の旅のアップが終った頃、早春の冷たさが次第に緩んできました。


鞍馬寺から奥の院への途中、木の根道では雪が舞う。義経はここで天狗に出遭った。(3/4-10blog)


六甲山の麓、大阪平野を見渡す立地にある公民館の庭がよく知られた梅林になっている。見事なものです。(3/14-16blog)


和歌山の紀ノ川を遡る。古代からロマンの多い川筋です。世界遺産指定慈尊院の絵馬です。(3/27-30blog)


春の御所公開です。桜は「左近の桜」(4/7blog)


姫路にある「太陽公園」は世界の遺跡が集まっている。この兵馬傭も、かなり精巧に出来ている。その他、文字通り世界を巡っている。(1/24-26blog)


琵琶湖東岸草津付近です。
(3/31~5/5blog)は春の花が満開です。


京都府立植物センターの枝垂れ桜の並木です。里の桜が終った頃に毎年見に行きます。(4/18-21blog)

Blogの一年01

2006-12-28 | 呟き
年の瀬も詰まってきました。人並みに当blogも一年の纏めに入りたいと思います。
 一月早々に飾ったのは、昨年の続きのマダガスカルの旅の後半でした。


マダガスカルはカメレオンの宝庫でした。(1/10~1/22)


クリスマスローズが咲いていました。日帰り温泉の帰りでした。その他は日常茶飯事を取り上げるだけで、特にテーマもありませんでした。


2月になって、ちょうど1年前の旅の伊豆半島をとり上げました。2月に満開になる河津桜を訪ねた記録で、想い出に浸りながらのアップでした。(2/17~3/2)


何しろ、これが2月の桜だから驚きでした。


次に伊豆の南端を巡って西海岸を北上。松崎漁港で見えた富士が気に入りました。


更に、修善寺を経て東海岸の城が崎の吊橋。よくサスペンスドラマに出て来ましたね。この後、伊豆大島の椿でした。

バオバブ

2006-12-27 | 話題
大阪「咲くやこの花館」を覗きました。すると、ガイドの女の子が写真を一葉呉れました。バオバブの花でした。
 サンテクジュべりが悪魔の木と名付けたバオバブの花を、いささか興奮気味に話してくれました。
 その日の閉館間際だったのか、ガイドさんが3人集まってきて、熱心に語ってくれました。
 「初めて・・」「大きな・・」「綺麗な・・」などと熱心に語ってくれました。その写真を紹介します。


ファニーバオバブと記名をしてある。不恰好な木の姿からは想像がつかない美しい花でした。


本当にマダガスカルのバオバブの木はこれです。国が伐採を禁じていますが、この木でも200年以上は立っています。
 この「咲くやこの花館」も2-300年も経てばこうなると思うとそれまで生きていたいと思います。 EXPO90花と緑の博覧会が1990年だから、まだ先のことでしょう。


これが現地の野生のバオバブの花です。地面に落ちて、形が崩れていないものをと探して拾ったものでした。真っ赤な苞は色があせています。


旅はどこまで

2006-12-26 | 呟き
  何かと言うと過去を振り返りたがる昨今です。MyTravelの足跡です。
 ドライブが三度の飯よりも好きでストレス発散に絶好でした。最近は走る早さが平均で10km/hは落ちてきました。
 そして7-8年前から旅の行程をカレンダーの地図の上に赤でラインを引き始めました。
 その後、車でない旅で、ジパングを遣ったり、ツアーに参加したりして、それもプロットするようになりました。


光が反射して、北海道が半分光り輝き過ぎました。


全部がツアーの旅で、バスで下車観光をしたのが入ります。レンタカーの個人ツアーが1回入っています。
 これには独身時代に仲間と走った北海道旅行は入っていません。フェリーのない頃で、宇都宮からは高速道路のない時代でした。学生時代に北海道周遊券を学割で4000円で購入した時の行程も入っていません。


東北から中部地方まで、ここでもツアーでの旅をしたり、ドライブしたりになります。
 しかし、道路の発達が早くて5時間かかったものが今では2時間で行ける、とか新しい道路が増えているからイメージが変るかも知れません。
 この地図で気付いたのが、東北の太平洋岸には踏み入れた事がないことでした。


四国の亀の産卵の地方とか、真珠湾攻撃の訓練をした海域、自然が最も多く残っているといわれる宇和海はこれからになります。

巫女さん(from Album)

2006-12-25 | 歴史・文化遺産
 神さまに仕える巫女(みこ)さんの頭上に花が咲きます。普通は髪飾りと言うのでしょうか。
 巫女の場合は古くからの装束ですから、この花飾りを「心葉(こころば)」と言います。平安時代には金銀で作った造花を儀式の時に着けたものです。それが簡素化されたものを飾るようになったと思われます。
 3人の巫女さんの写真を集めました。それぞれ初々しい巫女さんがレンズの前に現れます。


奈良の大神(おおみわ)神社です。銀を少しあしらって出来ています。造花はアジサイでしょうか。着衣の模様もアジサイのようなマタタビのような。
 

はにかみ屋の巫女さんは顔が上げられない。大阪住吉大社です。常盤の松に太陽と月があり、やや細身の白い鶴が左右にいて「松に鶴」である。太陽になる鏡の中に境内が写っています。さらに双葉のような白いのは何を表しているのでしょうか。


この健康そうな巫女さんは何かスポーツでも出来そうです。京都城南宮です。
 頭上には菊の花でしょう。
 冠の横の笄(こうがい)から下がっている緑の糸は、日蔭の葛(ひかげのかづら)と呼ばれる飾り物です。新嘗祭(にいなめさい)などの大祭の時に用いられ、青とか白とかの組み糸で作られるものです。 元はシダの仲間のヒカゲノカヅラを着けたそうです。
 着物には松と鶴でしょう。

スプリングエイト

2006-12-24 | 話題
相生市で牡蠣を味わった後、北へ走って新興の街の播磨科学公園都市に向った。
 兵庫県にこんなに広い手付かずの山野があったのかと驚いた。学校が、病院が、大学が、スーパーが、アスレテイック広場が出来ていた。
 その一画にSpring-8という名の放射光の研究所が完成している。


Spring-8は、放射光の操作によって、原子レベルの解析が出来る。世界でもトップクラスの設備である。
 山陽自動車道から分岐して播磨道を1区間で10分とはかからない。バスだと1時間に2本出ている。


直径が500mになる円形の放射光加速装置が、一つの山を一周する。眼に見えない素粒子がこの円形チューブの中を、光の速さで回るのだ。ざっと計算すると30万km÷1.5km=20万回、一秒間に20万回この輪の中を回る。


電子を打ち出す電子銃の装置から、直進の加速装置をとおり、シンクロトロンという小型の円形の加速装置に入る。ここでエネルギーが与えられ、かなりの速さになったところで、大きな「蓄積リング」に入るのである。
 
 その円形の蓄積リングを取り囲んで、研究施設が並んでおり、リングから飛び出してくる放射光を利用する事が出来る。

 長尺ビームラインがあるが、上の写真では上部中央から斜め左上に延びるラインである。取り出した放射光を遠くで活用する為に約1km離れている。

 人間の知恵は凄い物です。眼に見えないものの実験装置がこんなに巨大であるとは。



訳が解り難いですが、この放射光があらゆる場面で人類に役に立ちます。癌の治療とか和歌山の砒素の鑑定に威力を発揮した事は有名ですね。


宇宙線を感じ取るたびに、光で筋道を教えてくれる装置で、黄色の電光が光っています。手を差し伸べても宇宙線は貫通していきます。安全です。
 地球に降り注ぐ放射能の宇宙線は1平方センチあたり、1分間に一つ、空から落ちてきます。これの巨大な物がノーベル賞を貰ったカミオカンデです。


宇宙線を調べる装置の昔の物です。ウイルソンの霧箱と同じ原理です。宇宙線が通った跡に白い筋が現れています。通過した後に白い足跡が動くので、必ずしも直線とは限らないようです。黄色の点は上の電光が反射しているものです。


この頑丈な装置の中のパイプを、電子が駆け抜けていきます。


ここが出来るまでの加速装置の実物です。パイプも細く、10mほどの直径で可愛い物でした。


現在の装置で解析したある蛋白質の分子構造です。ここの研究から癌細胞になるのを防ぎ、癌を攻撃するものも作られています。
 例えば、今は「ウミウシ」の持つ蛋白質が有効であると我が国の学者チームが発見し、実用化されています。癌は治るのです!


世界の放射光施設です。第3世代と言われる施設です。


正門から入って正面に見える中央管理棟です。その向こうの山裾に加速装置がある。

ノロウィルスをぶっ飛ばせ

2006-12-23 | 旅の風物
 今朝突然に牡蠣が食べたくなりました。昼御飯はこれにしようと言うので、赤穂の東の相生市に向いました。
 以前に「相生(あいおい)の牡蠣」が美味いと聞いていた事もあって、ネットで調べると相生湾の先端のほうの牡蠣が美味いと書いてありました。相生市までは約1時間半でした。


今回は相生湾の西の岬の「壺根」に向いました。
 今春、湾の東側の先端にある「万葉の岬」を訪ねて、山部赤人の世界に浸ったところです。(2006年3月12日blog)
 相生市はかつては石川島播磨造船所が盛況を示していたが、船を造らなくなって人口が激変し寂しくなりました。現在は街の活性化に力を入れているところだそうです。


左:先般一躍世間で話題になったど根性大根です。それが今や神様になってしまっていた。赤の鳥居には「ど根性大根」合格祈願と書いてあります。
 街の舗装道路から芽を出し大きな大根に成長していました。それを誰かが折ってしまっても、残った大根を粘り強く育て、今では、とうとうその大根のDNAを引き継いで次世代に移っているというしろものです。
右:かなり以前から開催されているペーロン祭りの船が展示してありました。2-30人乗りの手漕ぎ船で、銅鑼や太鼓を叩きながら、相生湾の中を競争します。全国から多くのチームが参加して、街中が祭りに湧きます。
 おそらく造船会社の関係もあって、長崎のペーロン祭りが、相生市にも定着したと思われます。ペーロンと言うのは南中国の船で舳先が長く尖っている手漕ぎ船を言うそうです。


左:ここは道の駅です。近年建物を中国風にして中華レストランになりました。
右:レストランの建物の一隅にペーロン船の格納庫がありました。


道案内の看板が出ています。遠くに霞む山は相生湾の東側の万葉の岬です。


「どこか牡蠣を食べさせてくれる所はないですか」と道行く女の人に尋ねますと、「焼き牡蠣とか、ポン酢で生牡蠣とかなら、うちでどうぞ」と言ってくれました。家はと見れば、牡蠣の直売所でありました。
 トラックについているベルトコンベアーは、牡蠣の殻を取る作業所に繋がっていて、そこから殻だけがトラックの荷台に運び込まれる仕掛けです。


左:店先の表にある牡蠣の溜まり場。
右:殻を剥いている作業場。


作業を覗いてみると大きな牡蠣の身である。10cmは越すでしょう。
 殻が大きいからと言っても大きな身が入っているとは限りません。大きな川が海に流れ込んでいる播磨灘だから、植物プランクトンを沢山食べるので、相生の牡蠣は身が大きくなるということでした。(養殖の牡蠣筏は'06.3.11のblog)


先ほどの奥さんが、ストーブの上に幾つも並べてくれます。途中で裏返しにする時間が、うまく焼けるかどうかのコツのようです。わざわざ、このためにゆずポン酢を近所で買ってきたようでした。
 一人で10個以上は食べただろうか、生牡蠣が次に出てきました。「海水で洗っただけだがポン酢で美味しい」と言います。殻を剥いていた主人が、「この大きさでは生牡蠣には向いていないかも知れない」と言いますが、なかなか美味い。
 10個ほど食べたあとで、更に焼き牡蠣を少し食べたところで、「もっと生牡蠣をどうぞ」とまた10個ほど出てきました。
 鱈腹と言うが、文字通り腹いっぱいに牡蠣が満ち溢れました。当分牡蠣はいらないと思うほど腹一杯になりました。
 こんな体験は初めてです。まさに堪能するほどの牡蠣を食べたのでした。ノロウイルスなんか吹き飛んでしまうほどの体験でした。


この牡蠣は養殖であるので、貝の一端が細くなっているところが、タネをつけた帆立貝の殻にくっ付いて育つのだそうです。


焼き牡蠣と生牡蠣が並んでいます。奥さんが作った貝柱の佃煮も出てきました。美味い。
 「電話で聞いておれば、今度は牡蠣飯も味噌汁も用意をしておきます」と奥さん。主人が横から「味噌汁は美味いですよ」と奥さんの腕を褒めていました。
 お金は取ってくれないので、直売の牡蠣を少し買って帰りました。
牡蠣食って幸せなひと時でした。

卑弥呼の里

2006-12-22 | 歴史・文化遺産
 日本列島が大陸と繋がっている時代に、北方から来た人と南方のほうから来た人とが混ざり合って日本民族が出来たといわれています。それぞれ多くの証拠となる事象がわかっていますね。


左:ここに弥生人という分類をする方法があります。
右:弥生犬を復元したモデルです。


左:古い時代から並べて縄文人・弥生人・古墳人の頭骨の写真です。怖がらないで下さい。よく見ると頭の大きさがやや違うか。身長を比べてみても縄文人はやや小柄と言えましょう。
右:これは顔の模様のついた弥生土器です。弥生と言うのは明治17年に東京の本郷弥生町の貝塚で発見された素焼きの土器からこの名前が付きました。


吉野ヶ里をはじめ各地で発掘されているデータをもとに、そのモデルが出来上がっています。名付けて「卑弥呼の里」のジオラマで、当時の生活が良くわかります。


協働生活のために集まって暮らす単位をムラと呼ばれます。ムラの中央には卑弥呼など神の言葉を聞く人が暮す宮殿があります。
 四方に物見櫓が建っています。田で稲作をする頃から土地の所有権の争いが生まれました。濠を廻らし、柵で囲い、武器を用意していました。


宮殿を拡大して見れば、細長い赤い板の盾を持った人が作る道を、白の服を来た客の訪問を受けているところです。旗を持って整然と並んで宮殿に進んでいます。それを跪いて迎える人も2-3人います。


中央の柵の外側に、一般の人の暮らしが散見できます。ここも柵に囲まれ、物見櫓があり、濠で囲まれて、防御対策をしています。


物見櫓が一際高く、敵が攻めてくるのをいち早く発見し、敵の動きを見るためのものです。


戦いが起りました。吉野ヶ里では頭に戦いで受けた傷がそのままで葬られています。


左:文字のない人たちは、こんな絵で戦いを表現をしたのでしょう。
右:当館で卑弥呼の絵葉書を購入しました。ムラのリーダーとしての風格が出ていますね。絵のバックには、古代遺跡からの発掘物が描かれていて、一つひとつを見るとよく描かれています。栄永大二郎の作品です。