昆布が美味い

羅臼の昆布漁を見た時にスタートしたblogです。昆布のダシのように、人生の旅にも味付けをしたい。旅を中心に纏めています。

アンコールトム(南大門)

2009-02-28 | 海外旅行

夕陽を見た翌日、アンコールトムに向かう。ワットの約4-5倍はある敷地を持ち、広範囲に広がる寺院である。

 AD1177年に隣国のチャンパ(現ヴェトナム)からの侵攻で、クメール国は危機に瀕した。
 英雄ジャヴァルマン7世によって撃退し、1181年の即位後、ワットの北1.5kmにアンコールトム(大きな都市の意)の都城を築いた。アンコールワットの4倍以上の大都市の城だった。


トムの南大門から中にはバスは入れない。主要な建物バイヨン寺院まで2kmの標識。



アンコールトムの南大門に来た。橋を渡って入城するが、その欄干に大変興味が湧いた。
道の左右に見える7匹の蛇の頭、胴体は欄干になっている。






橋の袂の蛇の彫刻が護っている。






この蛇の身体を持ち上げて綱引きをしている。引っ張るのは兵士も仏も強力も力を合わせて引っ張っている。






反対側の欄干になっている蛇もしかり。







ああ!首がなくなっても、王様を護ろうと手を離さない。






環濠のに架かる橋の欄干は、欠落している所もある。





大門に入って約1kmと少し、中だけ走るマイクロバスで、三島由紀夫の作品にも出てくる「雷王のテラス」に向かう。


夕陽(プノン・パケンの丘)

2009-02-27 | 海外旅行

アンコールワットの近くで、パケンの丘の遺跡で見る夕陽がよく知られているようで、日没前の時間に合わせて丘に登る。大勢の人が登るので、登りの山道のきつさも何のその、頂上に立つ。


こんな山上にも、レンガ造りの立派な塔がある。王様の権力か、庶民の信仰の篤さか…。すでに遺跡の上には人が鈴なりである。





ここまで登ってきて、遺跡の石段の急傾斜を前にして、諦める人や元気を蓄える人や、さまざま。
ライオンも夕陽に染まりながら問答をしている。







最上段にあがったとき、赤い夕陽が暑かった日中の光の終わりを告げる。




石塔のシルエットに浮かび上がる太陽。







レンズを横に振ると、皆さん無心に夕陽に見入っている。日想観は誰でもあるようだ。
中央の気球も丸いが、この時間になってもライトアップされたアンコールワットを見る観光客を乗せて動いていた。




南の方角にアンコールワットが浮かび上がる。この風景はそこが須弥山であり、浄土であるかのようだ。





さて、ここの石段の勾配が写真で表現できたのかどうか。






日が落ちると、帰りの麓までの山道は照明がないので真っ暗になる。そこで皆さん先を争って石段を降りる。行きはよいよい、帰りは怖い、腹這いになって降りている。

さらば(アンコールワット遺跡fin)

2009-02-26 | 海外旅行

西門から入ったアンコールワット遺跡であったが、やっと主塔の見える東側に回った。石段の勾配が急であるのと、遺跡保護のために、上に梯子のような階段をつけている。


日本の城の天守閣の階段のように、急な石段になっている。







尖塔の修理のための足場が、遠くから見えていたが、その足元にやってきた。出入り口へと続く急勾配の石段が見えている。






Uターンして、第一回廊の壁の内側。
すでに太陽が西に傾き昼間の賑わいは消えている。






パパイヤ。




ヒメリンゴ。







犬とサル。





最も外の門長屋、入るときの賑わいはなくなって、門だけがひっそりと夕陽に赤く染まっている。




環濠に懸かる堤防の入口。蛇の頭が印象的である。
 いつかアンコールワットを長々とアップしてしまいました。今度の旅の主目的地でした。

中央部(アンコールワット遺跡4)

2009-02-25 | 海外旅行

 第二回廊の正方形を歩くと、その壁面には、隙間なく壁画が描かれている。

 ここの王が、自分の業績や、インドでの釈迦の時代の物語ラーマーヤナなどの叙事詩が表現されていると言う。現地ガイドの説明はよく判らなかったが、それは大部分が戦いの記録であり、王の権力を誇示するものである。

ところが、これらの壁画はなかなかカメラに収まりにくい。





仏様の行幸だろうか、行列の様子を描いたものである。馬や象に乗って、剣や棍棒を肩に担いで露払いであろうか。釈迦らしい仏が象に乗っている。


この列の後ろには、雌雄のクジャクに乗って進む者、人の肩車で進む者、様々。







第二回廊の庭である。何と秩序立った建物であることか。





第一回廊の更に中央の建物の中心に到達した。

左:天蓋の下には神になった王様の像が祀られる。
右:空中に主塔が乗っている部屋の天井には、石造の梁が渡されて、強固な作りになっている。







左:この中心になる部屋の石柱の一本に、墨黒々と漢字の落書きがあり、日本の侍の名前と年号月日が読み取れる。

 アンコールワットの遺跡が西洋人に発見されるよりも前に日本人がここに来ていたことになる。現地ガイドは第一発見者は日本人であると言う。

右:ガルーダの顔?






第二回廊を外の庭から見る。塔の配置が優美である。




これが主塔で最大のものである。





塔は階層ごとに、光背をもつ仏が外向きに並んでいる。草も生えている。





第三回廊から中庭を通して、外壁の回廊を見る。欄干の蛇がよく判る。



さらに女神たち(アンコールワット遺跡3)

2009-02-24 | 海外旅行

 ヒンドウー教では、女性はある意味で神格化されていたのかもしれない。丸みで表わされる体の線が、豊かである。西洋のギリシャローマ時代のように、神は友達のように身近な存在であったのかも知れません。



外壁の中庭側に描かれている女神たちです。

左:この女神は歯を見せて笑っているように見える。
右:右手に花を持つ。










次はよーく見ると…
 ウエーブのある花のモールを、谷間のところで支え持つのは鳥の化身で、ガルーダのようだ。彼らは浄土の世界を下から持ち上げる役目もする。

 4人の女神は、それぞれが動物の上に乗って踊っているように見える。
右から「牛」「ライオン」「馬」そしてこの尻尾の細くて長いのは何でしょうか。







西に位置する正門の外壁を通過してから、振り返ると逆光の中で気球が浮いていた。







庭の植栽の世話をしていた職人が、休憩で椰子のような実を割って口にしている。
右:ヤシ科のビロウではないかと思われる。庭内にはあちこちに散在している。









樹高十数mのマンゴウの木に実がついている。まだ若い実である。







アンコールワットの第一回廊が一望できる。







ドイツが遺跡の発掘調査に協力したと言う掲示板があり、そこにあった寺院の平面図である。

↑の第一回廊が、外側の四角である。

第二回廊が枠の中ほどで正方形を作る。

第三回廊が、中心の小さな四角形で、そのコーナーにはやや背の低い塔が建っている。

中心に大きなメインの主塔がある。


現在地は左端の小さな十字形の参道で、傍にマンゴウの木などがある。




第二回廊の石柱が並ぶ。見事な建設である。この廊下の内側の通路に、数十mの長さのある有名な壁画がある。

外周壁(アンコールワット遺跡2)

2009-02-23 | 海外旅行

一泊して翌日の午後アンコールワットを訪ねる。午後がいいと言う。

 東西1040m、南北820m、周囲に幅200mの濠を作る。


入り口に向かう堤防になった参道の入り口ではライオンが鎮座している。顔はないが堂々とした体躯である。
遥かに先のとがった塔が見えるが、中庭にある5本の主塔の一部である。






蛇の欄干が途切れ途切れになって傷んでいる。水をたたえる濠は10年前には雑草の生える原野になっていたと言う。








西の正面が入口である。夕陽を背にして観光客が増える。塔門を中に235mの門長屋となっている。
この位置からはアンコールワットの本塔は隠れている。







玄関?入口には、大きな七つの頭を持つコブラが睨んでいる。これらの彫刻はいずれも砂岩である。









入口の頭上の欄間には、彫刻の群像、馬車も見えるが、サルが多くいる。








塔門の中の廊下には、区画されている部屋の壁にはすべて女神が描かれている。








女神はいずれも、肢体をくねらせ、ヴィシュヌ神になった王様に祈りを捧げる。


やや磨耗している。








 これら女神に支えられるように、大きなビシュヌ神が立っている。千手観音の原点であろうか。それぞれの手には花とか仏具とかを持っていたに違いない。

 9世紀の初めクメール国が興り、12世紀に最盛期を迎えたときの王スールヤヴァルマンⅡ世の時の完成であり、遂に王様はヒンドウーの絶対の神ヴィシュヌ神と合体し祀られた。
 右:横には王妃の像があるが顔がない。



ヒンドウー寺院が仏教寺院に、

2009-02-22 | 海外旅行
バスは市街地を抜けて、農村風景の中を、とある林のある中に入った。


マンゴーの実のなる木の傍に停車した。






基壇の上に、塔が2基見える。人々が憩い、子どもが基段上の広場で遊びながら箒で掃除などもしている。
左端には新しい建設中の仏教寺院が見える





A.D893年に建設を見たヒンドウー寺院が、仏教徒のタイ族が進出してきて、この塔は仏塔として利用されるようになったと言う。






破壊されることもなかった壁面の彫像は美しくそのまま残っている。
右手に蓮の花を持った姿は聖観世音菩薩の原点である。像の額縁に象がいるよ。





さて、この果実は何でしょうか。あまり食用にはしないそうです。






塔は修復されることも少ないようで、本格的な仏教寺院を、基壇の中に新しく建てたらしい。

左の写真:

正面にいる僧服の少年がこのお寺の住職。

本堂入口左の絵画は沙羅双樹の前で釈迦が悟りを開き、如来様になってお説教をしている。
本堂入口右の絵画は釈迦が、修行中で、7匹の蛇に頭上から睨まれながら、坐禅修行をしている様子。

右の写真:釈迦如来像にペンキで彩色している。







左:昼食のレストランに入る。バイキングの調理場が並んでいる。どれも辛くてね。
右:ココナッツジュースを注文したら、こんなのが来た。ストローが2本!


プリヤ・コー(聖なる牛)遺跡

2009-02-21 | 海外旅行
AD893年に王様が祖先の霊を祀るために建てたと言う。



外壁についていた窓の格子から、その優美な姿が垣間見えた。






大変繊細な塔に見えるのは、総レンガ造りで、きめ細かくできているからと思う。





3つの塔に向き合って、3頭の牛が鎮座している。これも見事なこぶ牛である。インドでは神様の使いである。
建設した王様はどちらかと言えば仏教系の王様であったと言う。右から手を出して石像に触れているのは現地ガイドである。






基壇の最上段にある塔を護るのは、ここでもライオンである。








王様の親族、親の世代など親族を祀る。横の壁の像では男の戦士が彫り込まれている。







正面入り口の欄間の彫刻が素晴らしい。
中央の頭に仏らしいのを乗せている鬼(阿修羅?)の口につながる長い蛇?の上で、馬に乗っていたり、手を振り上げてみたりしている。
最前列では蛇かライオン?に跨って踊っている。





3塔の裏側にも、3塔が建っており、王妃、お母さんたちだという。壁面には顔面を削られているが女神が立っている。傾きかけて突っかい棒をしているいるのもあるが…。

バコン遺跡

2009-02-20 | 海外旅行
バコン遺跡はアンコールワットよりも古い寺院である。


正方形を基盤に、段で積み上げられた石造建造物は、焼きレンガを大量に駆使した仏塔である。




正面からは石で組上げられた通路を進んで、主塔に進むようになっている。






ジャングルから一直線に続く参道を、テラスの上で見守るライオンの像。






主塔の周りを取り囲んで、7基の小さな塔が立っている。ここにもライオンが居ますよ。





主塔の裏正面である。今では子どもが戯れる公園でもある。







主塔の頂上付近は焼きレンガを積み重ねて出来ている。ここにもライオンの守護神が見られる。





そして、生活を護ってくれる女神の像が彫り込まれている。





こちらのテラスにも象の彫像がある。






この象は今にも森に向かって、飛んで行きそうな風情である。

アンコールワット以前バコン遺跡

2009-02-19 | 海外旅行
関空を出て5時間と少し、ベトナムのホーチンミン経由で、1時間後にアンコール遺跡群のあるセリムアップ空港に着く。
 翌日、アンコール遺跡に向かう。



途中、クメール文化の象徴ヒンドウー教の仏塔が見えてきた。








 数多くの中で、ここパコンの遺跡は最初に完成したピラミッド型の寺院である。
中央の塔は仏の住む須弥山(しゅみせん)に喩えられる。周囲を四角の池で囲まれる。











環濠に架かる参道には大蛇の神様(ナーガ)が長がーく横たわっている。









やがて、ヒンドウから出た仏教に征服され、見捨てられた寺院は、その後7-800年の間に、石垣は木の根に割り込まれ、包み込まれ、また根が石を抱き持ち上げていく。







横たわる大蛇、すでに七つの頭を持っている。後世アンコールワットでは参道の欄干になる。











季節は今、冬の乾季を迎え、やがて春を迎えようかという時季である。
左:いい香りのプルメリアの花が、葉よりも先に出て蕾を開いた。
右:遺跡の入り口のそばで遊んでいた子ども。石取りじゃんけんのような?