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昆布が美味い

羅臼の昆布漁を見た時にスタートしたblogです。昆布のダシのように、人生の旅にも味付けをしたい。旅を中心に纏めています。

続・有田焼

2008-11-30 | 国内旅行

秋の陶器祭りと言うので、沖縄の「エイサー踊り」のメンバーが商店街を練り歩き賑わいを作る。




 
 一般に伊万里焼といわれる磁器は、伊万里港から出荷された有田焼の事だったと言う。

 有田の土地に焼き物のためには大変良い土が出る。それが作風や文様によって大きく3つに分類されると言う。


 一つは鍋島藩主の秘蔵の窯元だった所の生産で、俗に「色鍋島」と言われている。(鍋島様式)

 一つは、乳白色の素地に写実的な絵があり、色の種類が多い。(柿右衛門様式)

 一つは、朝鮮・李朝時代や、中国・明時代の流れを汲む贅沢で派手な絵が特徴で、豪華絢爛な模様などが見られる。(古伊万里様式)




 ↑の写真の背景の有田館の中で、常設の人形芝居が見られる。

 演し物は土地の伝説「黒髪山の大蛇(おろち)退治」
 村人が黒髪山の大蛇(おろち)が人々を困らせると言うので、九州に流罪となっていた鎮西八郎為朝が娘を囮にして大蛇を呼び寄せ、矢で見事退治したという話。

 登場する人形が陶磁器で出来ている。

左:鎮西八郎為朝で、鍋島様式で出来ている。
右:囮になった万寿姫で、柿右衛門様式。




大蛇と二人の語り手は古伊万里様式であると言う。







終わってから手洗い場に入ってみると、これは立派な有田焼の鏡と洗面器。






陶工による工夫創作がなされている。「銀河釉(ゆう)」を考案し、きらきらと輝きの美しい焼き物が完成している。



その写真。



よく見れば宝のように光るが、無造作に店頭に並んでいる。




とある窯元の経営する店の一つ。明治大正のころの洋館造り。

有田焼

2008-11-29 | 国内旅行
唐津から南へ伊万里焼のふるさとである有田焼の本場に向う。

 この辺り一帯に焼き物の里が集まっているが、伊万里港から出荷するので、通称伊万里焼と呼ばれると言う。


始めはお殿様の秘密の窯元であったが、その後は開放されたと言う大川内山(おおかわうちやま)窯の字が見えてきた。それを横目に見ながら有田焼の本場の町に入る。








有田焼の街に入ってきた。ちょうど「秋の陶器まつり」開催中だった。








左:街中の商店のウインドウには、いかにも立派そうな代物が並んでいる。
右:有田館が観光等の町の展示館のようだ。









商店街の裏山に陶山神社がある。それが石段を上がって線路を越えた向こうである。踏切注意!






踏切を渡って、更に石段を登る。陶山(すえのやま)神社の石鳥居をくぐる。







ちょっと変わった感じのブロンズの燈籠。唐獅子が乗っている。






左:主神は応神天皇(母は神功皇后)脇に鍋島藩主と、陶器の道をこの地に導入した李参平を祀る。
右:陶器の鳥居・狛犬・壷など。




この鳥居は磁器で出来ている。明治21年奉納。





大きな壷と狛犬。




時代を経た石の鳥居はどっしりとしている。



西九州へ

2008-11-28 | 国内旅行
「秋色を求める西九州の旅」と言うテーマは、耳に心地よく入ってくるネーミングである。


 新大阪を8時出発、折りしも向かいのホームから、0系車両のこだまが西へと出て行った。
 引退する儀式は終わったと思うが、今月一杯は走っているという。皆さんカメラを向けて見送っていた。初代新幹線の時代が過ぎ去ろうとしている。






3時間で博多に着く。そこからバスで、西へ唐津に着くと唐津城が見える。

 呼子(よぶこ)の烏賊の活け造りは、唐津市内の店での昼食だった。鄙びた呼子港まで行くと思ったが、さに非ず。今でも港の烏賊の活け造りの味を覚えている。






最近は何処の港でも、造ってくれそうに思う。山陰海岸ではシロイカと言う部類に属するそうな。







お箸で突っつくと、足を動かし、茶色の斑点の大きさが変わる。









こしこしとして、固いぐらいの食感である。美味しい。足と骨と先端が残った。これをてんぷらにする。さっぱりの刺身の次に、こってりのてんぷらである。トータルして、更に美味い。






陶磁器のふるさとに入ってきた。大川内山の窯も知る人ぞ知るであるが、伊万里の文字が読める。更に有田焼きの有田の字も見える。






ところで、貴方の地方では食事に使うお茶碗を、瀬戸物(せともの)、唐津(からつ)など、どちらを使うだろうか。




これは古伊万里だそうである。


熊本城

2008-11-27 | 国内旅行
朝からいい天気に恵まれ、銀杏城は多くの人々で賑わっていた。特に中でも、本丸御殿は巨大な木造の梁が並び、新しい木の香りが気持ちよい。また岩絵の具による室内の襖絵や天井絵は絢爛豪華だった。
今回は億単位の予算をかけた本丸御殿が4月に完成したが、既に入場収入で半分くらいは回収したとバスガイドは話す。

九十九島

2008-11-26 | 国内旅行
佐世保は今でもって、時々原子力空母が訪れたりして物議をかもし出す軍港である。
その裏山で標高約7-800mの弓張山の山頂にあるレストランの展望デッキから九十九島の海域を望む。
そこはまるでエーゲ海のようなレイアウトがされていた。
さて、話を聞けば、九十九島について、各々の島が、岩なのか島なのか悩んだらしい。九十九あるかどうか。2001年に市民ボランティアが数えたところ208島だったそうです。

ハウステンボス

2008-11-25 | 国内旅行
秋色を訪ねる西九州の旅というツアーを見つけた。
以前ドライブで来た所を避けるような場所も多く、その気になった。
秋色には少し早いが、有田焼の産地付近の紅葉が見事だった。陶磁器の原料の土壌も関係しているかも。
ハウステンボスの電飾は定評がある。写真は光の宮殿の一部分。

平城宮跡資料館

2008-11-24 | 歴史・文化遺産

古都奈良の紅葉を訪ねて、平城京跡資料館を訪れた。国立の資料館は丁寧な説明もあり、鄙びた趣のある奈良を再発見する。
右:囲いの中で平城宮大極殿の再建が進み、2010年の奈良遷都祭を迎える。眼前には広大な平城宮祉が広がる。
 




資料館の展示のパネルである。広い田畑になり、家が建ったが、これだけの条里を発見している。写真は北半分。





古都奈良の平城京の遺構を発掘し、復元などをする研究が始まったのは、そう昔ではなかった。

先人の研究が順を追って纏められている。




江戸時代末期1852年に概略図面が完成している。

しかし、明治32年(1899)まで、遺跡の研究は進められなかった。




明治33年(1900)頃から、人々の奈良の都への調査研究が盛んになり始めた。



発掘調査がよく行われたが、戦後になって一層進んだ。





田になっていたので、次々と発見される木簡などの遺跡は水没し、よく保存されていた。




昭和36年(1961)私鉄の電車車庫建設の動きがあった。しかし、古代遺産保護のために中止になった。




車庫建設は中止になったが、次には、国道24号線バイパスが、遺跡を避けて大きく迂回する事になった。



続・不退寺

2008-11-23 | 歴史・文化遺産

勿論本堂の中は写真が撮れないので、縁側から境内の庭を撮影する。

正面に今通ってきた山門の屋根が見える。季節によってさまざまな花が見られる中庭である。ナンテンの赤が鮮やか。






 ナンテンの後ろに見える白いサザンカが満開である。その花弁には、午前中に降った雨が雫になって残っていた。
瑞々しい、純白の花冠は古寺をよく支えている。






赤のサザンカに華やかさを感じる。「水も滴る…」とか。





和尚の勧めで、本道の裏に廻ると、大きな株の赤のサザンカが鈴なり?である。






ところで、これは五色椿である。和尚の話ではこれから更に色づいてくると言う。






近寄ってみると、確かにこれらは五色椿。








更に見つけた角度からのイロハモミジが素晴らしい。宝珠が見える。





 奈良市内の国道24号線バイパスの工事で、なくなった古墳遺跡から発見されたと言う。
庫裏の庭にあった石棺。縁が鎌を砥ぐ砥石になっていたので丸い曲線が見える。

いつもここでじっとしている猫。


不退寺

2008-11-22 | 歴史・文化遺産

右上の近鉄奈良駅が奈良の観光地の出発点になっている。左が北で京都方面である。

今回の佐保路三観音の古刹に○印をつけてみた。






 不退寺の正式の名前は「不退転法輪寺」と言う。

山門横の標識の碑と本堂正面。素朴な庭である。






 平城天皇の皇子・阿保親王の第5皇子在原業平が、聖観音像を安置して本尊とし、父阿保親王の菩提を弔った。
 そして、仏法を信じる事に不退転の決意を表し「不退転法輪寺」と名付けたという。別名「業平寺」。






 山門を入ると、真っ赤な紅葉が迎えてくれる。正面の建物は多宝塔で重要文化財になっている。業平の画像や所縁の品が収蔵され、5月28日の業平忌に開扉される。







石橋の業平橋に先に、業平の歌碑(ちはやぶる…)や供養塔がある。




 「昔をとこありけり…」で始まる「伊勢物語」125の独立した話で出来ているが、それぞれは大変短い。歌物語であるので、想像力が広がる。

多宝塔の前にも歌碑がある。




「おほかたは つき(月)をもめ(愛)でじ  これぞこの
         つも(積)れば人の  おい(老い)となるもの」


月見の席での一句である。(自分は、大方の人のように月を愛でる事はしない。月が何回も重なるたびに老いの道を進んでいるから)

彼、晩年の句だという。







この紅葉はあと何回見ることが出来るのかと、思いたくないですね。



海龍王寺

2008-11-21 | 歴史・文化遺産
佐保路三観音の内、西から二つ目の海龍王寺を訪ねる。


 第八次遣唐使が帰国する時に、3隻が東シナ海で難破し、残り1隻が帰り着いた。乗っていたのは玄肪と言う高僧であった。

 彼は多くの経本をもって還り、その中の海龍王経を船中で一心に唱えたと言う。竜王は海に住む。
 この功績により、玄肪は僧正に任ぜられ、初代海龍王寺の住持にもなった。

 以来、航海の安全を祈願する寺になった。

※玄肪については、2007.10.15と2008.5.17にアップしている。


光明皇后の御願により、天平3年(731)に堂舎を建てて完成した。 






山門から中門にいたる参道。森の中を進む風情である。集落の中なのに…。




右の棟が本堂、左が西金堂。






本堂の正面、やや小振りか。 色彩も鮮やかな十一面観音が安置せられる。





赤くなったケヤキの紅葉を背景に西金堂。国宝の五重の塔が保管されている。
 




屋内に設置する事を考えて制作したものであろう。この塔を戒壇とし、僧に受戒を行う儀式で使用したと記録がある。








境内点景。右が面白いでしょう。漫画に出てくるニャロメのような…。








佐保路三観音の勢ぞろい(ポスターより)。右から海龍王寺・法華寺・不退寺。