昆布が美味い

羅臼の昆布漁を見た時にスタートしたblogです。昆布のダシのように、人生の旅にも味付けをしたい。旅を中心に纏めています。

おのころアイランド1(兼高かおる館)

2010-01-31 | 旅の風物
最近雨も降るが、晴れた日は抜けるような青空が出ます。
 天気に浮かれて淡路島に向いました。

東洋一の吊橋、明石海峡を渡ります。こんなに車が少ない時は珍しい。全長3911m、高さ298m、開通前に、歩行者天国になって、震災義捐金を支払って歩きに行ったものです。




あわじS.Aの観覧車が見えてきました。




 大阪湾沿いの海岸線に「おのころアイランド」(=淡路ワールドパーク)という遊園地がある。

 昭和60年淡路=四国を繋ぐ大鳴門橋開通と併せて、県は「くにうみの祭典(淡路アイランド博)」を開催した。その時の会場が残っていました。25年前ですね。


入口ゲートが楽しい。イタリアの世界遺産アルベロベッロ地方の村の屋根トウルッリと呼ばれる丸い屋根です。舌を噛みそう




施設の中に「兼高かおる」記念館がありました。

1960年(昭和35年)頃から始まったTV番組は「兼高かおる世界の旅」で31年間続いたと言います。

 海外旅行などなかなか行けなかったころ、PANAMの飛行機で世界中を巡り、多くの国を紹介していました。

 芥川隆行との絶妙の対話で、世界を紹介していました。彼女の舌足らずの語り口も印象に残ります。






兼高かおる記念館に入ります。ここには世界中から集めた品物が満杯です。デジタル技術もない頃のこととて、膨大なフィルムになったに違いありません。撮影機材も凄い。










入口の通路にあった陶器の飾り皿、トルコだと言うからカッパドキアの洞窟の中の店のものでしょう。

繊細な図柄と言い、色彩の妙も見事な美しさを見せます。

手書きの味も出ていますね。



ヨーロッパの絵皿も並んでいます。



これは陶器でなく、金属板の彫金ですね。エジプト文字も図柄になっています。地中海を股に掛けた帆船、いいですねえ。



グアヤキル2(エクアドル)18end

2010-01-30 | 海外旅行
エクアドル最後の宿泊となったキトの朝、港町グアヤキルの観光に向います。ここは港町赤道直下の暑さがある。30度以上の気温です。汗たらたら…。

リクイグアナのいる公園があった。10頭は見えます。




傍によると、目線をこちらに向けた。




公園の緑地帯の中で、彼らは寛いでいます。




ベンチを占領した彼は、尻尾の先がありません。




ちょっと触ってみます。





アゴのびらびらの皮膚を引っ張ったり、背中の突起部分を引っ張ったり。







それぞれが散開しており、ほとんど動きません。尻尾を踏まないように歩きます。




カメラの位置を下げて同じ高さにすると、好奇心満々、首をかしげて寄って来ます。




大きな木の根元の方で、リスを見つけました。





上を見上げると、そろーりそろーりと移動します。ミツユビナマケモノでした。草を食べるイグアナ。イグアナたちは夜は樹上で眠ります。

この日の深夜便で、ヒューストン経由で成田でした。

2004年の正月のツアーでした。ここまでご覧頂き有難うございました。

グアヤキル1(エクアドル)17fromAlbum

2010-01-29 | 海外旅行
コトパクシ山のあとはキトのホテルで最後の宿泊をして、翌朝、エクアドルで最も人口の多い港のある街グアヤキルへと飛びます。気温35℃を記録。熱帯である。


グアヤキル空港は、シモン・ボリーバル空港と名付けられ、建国の父への思いを表わしています。

歓迎グアヤキルと出ているのは、空港のゲートです。




ここの街の熱帯性伝染病専門の病院がある。ここに招待された野口英雄は成果を上げ、日本のチームが帰国した後も一人残り、遂にここで自らも感染し亡くなったのです。
彼のペナントが玄関脇の壁に掲示してありました。





グアヤキルでの市内観光というので回ったが、これと言ってなく、ここの木造建築の町並みを観光の目玉にしようと、目下建設中であった。木造の家並みがレトロで、珍しいのかと思う。




バスが高架の道路に来た時、墓地の前を通過した。大きな立派な墓のモニュメントが並びます。葬式の列が道を進む。




見事な教会も建っている。南米の果ての街とは思えない。





海岸通りに面して、建国の父シモン・ボリードルと、ペルーの護国官で、ペルーの独立の父サン・マルチン将軍の二人が、握手している像が立っている。左の鼻筋が通っているのがサン・ボリードルである。

 ところで、シモン・ボリードルはラテンアメリカの独立、即ちスペインの勢力との戦争であった。
 シモン・ボリードルはベネズエラ・ペルー・ボリビア・コロンビア・エクアドルなど、ジャマイカ・ハイチなど、ラテンアメリカ一帯を統一コロンビアとしてまとめていたのを、それぞれ独立させていったのである。
 ボリビアを始め、彼の名前を付けた街の名、広場、建物など、この一帯の国々に残っています。



グアヤキルの独立広場の中央に、記念のモニュメントが立っている。足下にはボリードルの姿が彫像になっている。



おっ!足下にイグアナがいた。

キト6(続コトパクシ山)16fromAlbum

2010-01-28 | 海外旅行
バスは熔岩の砂利道を進み、標高3800m付近という地点まで登って行った。バスから降りて地面に立つと、それほど高所に来ているという気がしない。

足元を見るとそれほど多くはない高山植物が咲いている。

これはルピナスの仲間ですね。マメの仲間は生命力が強いですね。



葉肉の厚みは乾燥に強そうだし、ブルーは紫外線で更に青くなるカナ。




これも花の色に似合わぬ、固い葉で尖っています。




数cmのキノコを見つけました。




バスで少し下って来た時、管理事務所でしょうか、資料室にもなっているようでした。





これはピューマ(アメリカライオン)ですね。子どもかも。





リャマかグアナコかアルパカかビクーニャか、悩ましいところです。ビクーニャなら首の下に長い毛があるという。グアナコを家畜化したのがリャマだと言うし、いずれにしてもラクダの仲間ですね。現地でアルパカのセーターを手に入れましたが暖かいですね、





地図がありました。コトパクシとあります。





等高線による模型図がありました。これだけ天に向って突き出しているとは凄い。エクアドル富士です。

池のそばを通り、斜面を登ってピンクの輪の辺りまで行って、ルピナスを見たようです。海抜4000mあたりでしょうか。




アンデス山脈の成因が図解されていました。

左から太平洋プレートとナスカプレートが、東へ移動します。
反対側から南アメリカプレートが西へ移動するのと出会います。衝突したところが盛り上がってアンデス山脈が出来ました。

そこから東は大西洋プレートとアフリカプレートが東へ移動します。

かくて、南アメリかとアフリカが別れていったのでした。



見えなかったコトパクシ山(5897m)をnetからお借りしました。比高約2000m。

キト5(コトパクシ山)15fromAlbum

2010-01-27 | 海外旅行
コトパクシ国立公園に向います。


国立公園のゲートを通過しました。あいにくの小雨模様です。案内板が見えますが、二つの山の真ん中を進むらしい。






道沿いにロバがいた。






こちらのロバの群れは、ロープが見えることから、放牧されているらしい。遠くに家も見えます。








コトパクシ山(5897m)の広い裾野に入ったか、放牧場かもしれないが、馬が沢山見えます。






馬以外は見当たりませんね。広野が広がります。すでに標高は3000m付近です。









池も見られる。そして白い鳥が点々といます。飛んでいるのもいますね。立ち入り禁止の札も立っています。








雲の切れ目から急斜面の一部が見えます。コトパクシ山はここからの立ち上がりが約3000mといいます。






コトパクシの頂上部の1000mくらいまでは雲で覆われていて残念でした。雪渓の下縁部がちらりと見える。斜面が雪や水の浸食で、深い溝となって谷を作っています。







エクアドル富士とも言われる山のスロープは、急に傾斜が大きくなって、これでは巨大な富士山ですね。


キト4(マーケット)14fromAlbum

2010-01-26 | 海外旅行
ガラパゴスから夕刻帰ってきて、翌日キトのインデイオの村のマーケットを訪ね、午後からは標高5896mのコトパクシ山の国立公園に向います。

 キトに帰ってすぐの夕食は、現地の音楽付きでした。ケーナの縦笛と、サンポーニアと呼ばれる縦笛の親玉は、どこか長閑な音が出ます。「コンドルは行く」もやりましたよ。






インデイオ村のマーケットを訪問です。途中の道端でもすでに露天商?が店を開いていました。細長い枕のようなスイカですね。









正面左中央よりに、時代物の蓄音機を持っている男がいます。売り物らしい。






果物屋さん






豪快な肉屋さん2軒。豚の口が開いています。








バナナは3種類あるそうです。手前と中の小さなモンキーバナナと、向こうのものです。手前の大きいのは我が国にも輸入されているようです。







左端はタロイモです。




花屋さんです。ツアーの女性の皆さんが安い安いと声がしていました。






キト3(ガラパゴス諸島へ)13fromAlbum

2010-01-25 | 海外旅行
時差の関係で、夕方PM5:10成田発で、当日のPM10:10にキトに着いた。

数億年前の噴火口に出向きます。そこは噴火口と言うよりも、やや深い緑の濃い盆地に見え、ユートピアのような郷でした。







丘の上のレストランで昼食でした。こちらの食事を紹介します。エビのてんぷらは衣が厚いですね。
 







ライスが光っていますが、ヤポニカ米で遜色ないですね。中にミートの入ったオムレツ。赤道が国を貫く。
 





キトから一気にガラパゴスへ向います。ところで黒い服の人変な顔と思いませんか。






 別の空港職員も変な顔をしています。まだテロ騒ぎが始まる前のころでした。
この日は街を挙げてのお祭りで、市内各所で紙の大きな人形を飾ったり、仮装をしたり、祭りの最後の日には燃やして、わいわい騒ぐそうです。





飛び立って判ったのですが、街の都市部が、山の上にありました。それは台地の日当たりのよい場所を占めていました。標高2800mくらいの街でした。赤道直下でも高地は涼しくて、熱帯にはなりませんね。





谷底は幅が広くて耕作地になっていますね。この谷の姿は、浸食が進んだ古い地形ですね。





ガラパゴス空港。乗客はほとんどが観光客ですね。




このウチワサボテンが巨大ですね。杯のような所は花が咲いていたところです。


キト2(エクアドル首都)12fromAlbum

2010-01-24 | 海外旅行
エクアドルは人口1200万人、インディヘナ40%・混血50%・白人10%と言われる。
 キトの街全体が海抜2800mの高原の上にある。従って赤道直下といえども暑さは全く感じられない。


キトの中央にある建国広場には、主要な政府の官公庁が並び、一際目立つのが、このサンフランシスコ教会です。




内部を見るとすべて黄金一色で飾られ、礼拝ホール正面にはキリストの像、下方にはマリアがキリストを抱く像がある。





 この教会の土台になっている基礎にある空間が、売店になっている。

面白い民族様式の人形や民具などが飾られている。国の風土だろうが、SEXの表現が大変オープンですよ。

大きな水瓶です。




これも世界遺産で、カテドラル(ゴールデンチャーチ)は緻密な石造の教会とその内部です。ここで使われた金は70トンに及ぶと言います。





街からそう遠くないところに、赤道モニュメントがあります。緯度0度0分0秒・西経78度27分8秒。赤いラインが赤道で、北半球と南半球に別れて立って遊んでいる人がいました。





赤道のモニュメントの塔の上から東を見れば、赤道が一直線にあると思いましたが…。



キトの街を見下ろす丘の上に、マリアの像が立っています。




丘の上から見ると、遥か彼方まで続く市街地が見えます。見えている範囲はすべて高台になった山の上です。深い谷底には人が住みにくいのはどこも同じですね。

キト(エクアドル首都)11fromAlbum

2010-01-23 | 海外旅行

  成田(PM5:00)からシアトルまで飛び、更にヒューストン乗り継ぎ、エクアドルのキト(翌日の現地時間PM10:00)でした。

 南アメリカの北部にあって、赤道直下の国エクアドルの首都は「キト」と言います。ガラパゴス諸島を国の誇りとして位置づけています。

 南米でありながら、ここにはヨーロッパを凌ぐ歴史遺産があり、世界遺産に指定された町並みです。

キトの市役所の外壁にある人々の群像は、建国の熱に燃える人たちの壁画です。




街中の大きな交差点には建国の勇士の彫像がある。





ごみも落ちていない綺麗な街中を、人たちが歩く。バニラのアイスクリームが売られ、インカの流れを持つ人たち(インディへナ?)も白い袋を担ぎ、また若い二人連れが歩く。





左:この靴磨きの少年が、ずーっと後に着いてきました。可愛い子ですね。笑顔がよかった。
右:街の広場に立つモニュメント。なかなか芸術的な装飾の塔ではある。世界遺産の一つ。






騎馬警官が街の治安を護っている。長閑な風景です。






左:街の裏町を歩きます。新聞売りのおばさん。坂道を駈ける女性。
右:おおっ!ここにもジャカランダが咲いていた。1月のことである。ジャカランダは南米原産です。


リクイグアナ(ガラパゴス10)fromAlbum

2010-01-22 | 海外旅行
目下、オットセイの授乳中です。見ていると、ここまで子どもは乳首を探すのに大変でした。



今回ツアーで回ったのは、東半分でした。
飛行場はサンクリストバル島、エスパニョーラ島ではイグアナとアホウドリ。ダーウイン研究所のあるサンタクルズ島。水泳とグンカンドリなど鳥の楽園だったへノベサ島。





リクイグアナは数が少ない。食料が海中ほど豊かじゃないですね。

尻尾が丸いですね。ウミイグアナは、尻尾が平たくなって、尾びれのようになっています。





ダーウインが「種の起源」の中で取り上げたのが、小鳥「フィンチ」の嘴の形でした。食べ物によって、島によって食料に適した形になっています。太くて短いとか長くて細いとか。







街から自然の原野への道路に架かるアーチ。中央にはチャールズダーウインらしき顔がある。




港の岸壁沿いにアルバトロス(アホウドリ)のモニュメントがある。





港の沖合いには、小型船が数多く停泊している。漁船とか、それぞれの島に渡る観光船とかでしょう。各島に上陸するには、人数制限もあり、費用と許可を取ります。




博物館の中にあった木枠、これはゾウガメを固定して何かするための道具です。カメは生きた食料として、船に積み込まれていました。