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昆布が美味い

羅臼の昆布漁を見た時にスタートしたblogです。昆布のダシのように、人生の旅にも味付けをしたい。旅を中心に纏めています。

原子力発電プルサーマル(下)

2011-03-31 | 話題
 そもそも、プルサーマルとは一体何なんだ! 
その答を見つける為に、福井県大飯原発を訪ねました。 
世界一多く原子力発電をして、電力の70%を占めているフランスからMOX燃料を船で輸入しましたね。





これが燃焼棒の外観です。四角柱の中には、細かくした放射性燃料ペレットが入っています。いつも熱を出しているので、貯蔵は四角の柱ごと、水中で保管します。
 





外壁の屋根が丸いセメントの建物は、その中に、鉄の骨材を何重にも設置して巨大な鳥かご状に造ります。中で反応が異常になった時の衝撃に耐えられるように出来ています。
 





高圧の水蒸気が、タービンの羽に当たり回転します。そのまま発電機に直結しています。この羽根の直径が7-8m近くある巨大な物です。人影と比べてください。
 



炉心部の構造です。少し暗いですが、多くの部品が納まっています。この外壁は鋼鉄で厚さ10cm以上の外壁だと聞きました。中で何かあっても、炉心の中の燃料棒が崩れたとしても、放射線が外部に出ることはない。…??それが今は出ているようです。




発電所に入るゲートが見えています。




帰途、舞鶴若狭自動車道を西へ舞鶴方面に向かう時、時雨まじりの雲の狭間より、夕陽が見事な色を見せてくれました。


原子力発電プルサーマル(上)

2011-03-30 | 話題
 地震と津波に加えて、放射線の暴走は、身に震えが来そうなほど、恐ろしい。神戸を襲った震災のフラッシュバックが来そうです。
 
日本の原発が、想定外の津波の為に、機能していないどころか、取り返しが出来ないほどの災害をもたらしています。
 少しでも判ろうと、近くのプルサーマルを見学してきました。
発電は極めて単純だけれども、エネルギー源が難しくて、なかなか判りません。どこまで近づけますか。




色々事情があって、PR館はよく整備されているのですが。左の山の斜面には太陽光発電のパネルが並んでおり、実際に電気を作って送電しています。




ここも、福島原発のように4基設置されています。




加圧水型発電機です。高圧の水蒸気を、羽根車に当ててタービンを回すというだけの発電機です。
 青く塗ってある配管には、原子炉の出す熱を受ける水が流れます。それが緑の配管にある水を沸騰させて、思いっきり圧力の高い蒸気をタービンに吹きつけて回し、電気を造ります。
この蒸気を海水で再び冷やして水に戻して、原子炉のほうに送り。また高圧の水蒸気に変えるという循環です。
 





各部の名称はこうなっています。一番外側の隔壁の壁は、コンクリート1m以上の厚みがあります。





炉心部分です。下のほうに燃料棒があり、上から長い棒の制御棒を、抜き差しして燃料の燃え方を調節します。一番底まで入れると原子炉は停止します。
 




炉心を上から見る。



細い細い蒸気のパイプは長い長いのを束にしている。周囲の水を沸騰させる。



蒸気発生量は毎秒28トンという。圧力は海底1600mの水圧と同じだそうです。聞くだけでも恐ろしい化け物ですね。人類はそれを制御して、文明を作り上げているわけです。


メジロと桜花

2011-03-29 | 話題
 最近、河津桜はかなり全国に広まってきた気がする。伊豆に初めて行った時は、ナノハナとの取り合わせで嬉しくなる風景を作っていました。
 それが、ご近所の新しい公園に7本植えられた。例年、この時期に鑑賞しています。

朝日に匂う山桜とは行きませんが、満開の姿は圧巻です。2011.3/26の撮影です。




毎年ここに来ますが、今年初めてメジロを見つけました。アイラインは天の配剤でしょうか。




実によく動く。数羽が群れになっているようです。




動かなければ、なかなか見つからないだろうに。
 




ややっ!こちらを見ている。目線が合いました。暫くはアイコンタクトが続きました。





次の瞬間「知らないよ」とすまし顔です。




花心に蜜が溜まってきたか、調べているのかも。




どこに居ますか。埋没しています。





さて、ハクモクレンが満開です。



ジュウガツザクラは、昨年の十月から咲き始め、今が盛りと咲いています。半年間咲き続けたものです。「ご苦労さん」と言いたい。真冬よりも大きな花が咲く。


こちらは、赤味が少ないですね。




世話をしている公園の当番の人たちのおかげで、見事に咲いたラッパズイセンです。







左:三回目の春を我が家で迎えるタイツリソウが、大きくなってきました。
右:正月以来、居座っている葉牡丹です。彼らはこれから花を咲かせます。
 

ヒヨドリと桜花

2011-03-28 | 話題
 ともすれば気持ちが沈んでしまいそうで、あちこち出かけてばかりいたので、久しぶりにご近所の公園を訪ねました。そこには春がいました。

蕾がこぼれそうになっている。ソメイヨシノよりも大きな花の咲く桜の仲間です。



ここの公園も、生れて5年になる。河津桜が満開を一日過ぎたという時期である。




ここ1・2年急に増えてきたヒヨドリが桜の花の中を飛び回っている。蜜か虫かが目的だろう。



桜にヒヨドリは、それほど似合いませんが、よく見れば、ブチになった毛並みとかはよく出来ている。全体として精悍なムードを持っている。



 ソメイヨシノの満開時には、スズメが蜜を吸う為に、花の根元を食い千切り、花弁どころか花そのものを落としてしまう。スズメの嘴では、花の中の蜜には届かないので、直接に花の株を食い千切るようだ。

ヒヨドリは花を落としません。




円らな瞳です。




桜にヒヨドリは、様になっているのでしょうか。花に埋もれるヒヨドリ君。



隣りのコブシの木に止まっている。長い嘴は突っつかれると痛いことでしょう。


化石の出る里(北の庄last)

2011-03-27 | 国内旅行
福井県の山中には、恐竜の化石が出る。いつかまた、県内の恐竜博物館を訪ねます。

 ここの足羽山山頂に自然博物館が出来ており、福井県の自然についての調査研究の集約をしている。
 丁度今、シーラカンスの特集で展示がされていた。

世界最大級のシーラカンスの骨格標本が展示されていた。




北陸初公開の展示だという。右:正面から見たもの。大きな口ですね。





進化の系統図で言うと、四足動物の次にランクされる生物ですね。肉鰭類は始めて聞きました。




グランドコモド島沖で捕獲されたもの。2.7mで25kgと言います。






海の底で頭を下にして、じっとしていてあまり動かないそうです。だから生き延びた。この写真はモデルです。





生々しい化石です。





粘土質の土中で、干物状になった化石です。




ブラジルの山中から大量の魚の化石です。勿論シーラカンスもいます。白い煎餅のような形ですね。





左:最初に発見された時の驚きが書いてあります。
右:1952年に次の発見が世界を驚かせました。
 




南アフリカ沖で最初の発見。

コモロ諸島で発見された写真。




 現在、シーラカンスはインドネシアシーラカンスとアフリカ地方のシーラカンスの二種が発見されている。
大陸移動によって進化が異なり、現在の住み分けになったと言う。棲息地域は赤い色がついています。






継体天皇(北の庄5)

2011-03-26 | 国内旅行
 福井市街を見渡す市民の憩いの公園になっている足羽山に上ります。
この赤丸印の部分だけだったけれど、頂上には古墳があった。
 




眺望を見てみると、眼下に足羽川が上流からうねり、JRの鉄橋がかかり一望できる。
鉄橋の手前の川の堤防には、今は枝だけになっている桜並木が見えます。

展望の案内板を見ると、北陸自動車道が見え、遠くには白山の雪の峰が見えます。
 



古代の物と思われる古墳がある。盛り土でないことが照明されています。




古墳の足元には、池がある。





頂上の古墳の天辺に、継体天皇像が建立されていた。




彼は応神天皇の五代の孫だと言う。6世紀前半の天皇で、記紀では第26代の天皇です。在位25年82歳?で薨ぜられたという。母は福井の豪族の娘という。




ふくよかな、決断力のありそうな容貌ですね。


名月や 北国日和 定なき  芭蕉

芭蕉の句碑が立っていた。奥の細道紀行で、敦賀で詠んだという。ここで彼は名月が見えなかったと思われる。




「自然史博物館」の表示がある。赤い鉄骨の塔は電波塔です。


北の庄城址4

2011-03-25 | 国内旅行
  3/21春分の日、3連休の最終日、混雑すると敬遠して、近場でうろうろしていたが、もう3日目ともなると、やっぱり、どこかに行こうと思い立つ。北陸地方の天候はどうだと調べると、福井の上空の雲が東に移動しているではないか。
では行こう!



北陸道の木の本ICを過ぎると、雪だらけであった。





 木の本から北陸に入るのが北国街道で、柴田勝家・佐久間盛政らが往還した街道です。それにほぼ沿って北陸自動車道が走っている。
 この雪では、北国勢は雪のある時期は、南に出てこられませんね。





敦賀を過ぎ、北陸トンネルを過ぎ、見えてきたのは今庄トンネルである。






 福井市は人口27万の都市に入ってきました。ここが過去に、大震災、大火災に見舞われたが、今や日本一住みたい町のトップになった福井です。


福井城址はそのまま現在の福井県庁です。




福井市の俯瞰モデルがあった。一面の住宅街の中に、丘がでんと居座っています。





この丘に上がることにしました。足羽川を渡ったところで、路面電車に出会った。福井電鉄、以前ここを通った時は、デザインのいい新型の電車でした。以前と言うのは2007.4/13のブログにアップしています。




江戸時代の町割の推定図があった。左下の足羽(あすわ)神社のある丘に登ります。





北の庄城址3

2011-03-24 | 国内旅行
 柴田神社のある城址の公園の一角に、資料館があった。
 なんと公園の入口に見られた「越前北の庄城址」の文字に平山郁夫の名が見える。

資料館には彼と福井の関係の系図があった。平山郁夫さんの祖は柴田勝家の孫であることがわかる。彼の生れたのは瀬戸内海、愛媛県大三島である。




柴田神社の水彩画がある。彼は福井の産業である繊維関係の染色のデザインを作っていたという。






左:資料館の窓ガラスに、外から見えるように「お江」の写真が張ってあった。
右:数奇な運命を辿った北の庄城の時代背景の年表です。




お市の方と三姉妹達の姻戚関係です。孫には天皇もおられます。






柴田勝家の花押のある書類です。その花押(かおう・かきはん、とも)複雑なサインですね。秀吉のサインのバーコード(花押)などはますます判りませんが…。現代の芸能人のそれもそうですね。

書類は彼が北の庄を治める時になって、土地の商人の橘屋三郎左衛門宛ての書類です。楽市の座を認めるが、軽物(絹織物)の座、唐人(薬)の座は勝家の許可がいるとでもいう意味でしょうか。






ルイス=フロイスが、本国ポルトガルに送った書簡だそうです。ここに九層の天守があり、壮大な美しい城の様子などが書いてあるという。


北の庄城址2

2011-03-23 | 国内旅行
柴田勝家が織田信長の筆頭家老として、この越前「北の庄」を自分の城として経営します。
 そして城下町を作り上げ、見事な采配で北の庄城下を完成していました。信長と親交のあったルイス=フロイスも、ここを訪ねて、九層の天守閣の聳える城の記録を、本国ポルトガルに報告していた。

 柴田勝家が亡んだ後、家康の子結城秀康の手で、福井城が、北の庄城の上に再建され、その後移動して、現在の福井県庁のある城址になっている。




城下を貫く足羽(あすわ)川に懸る九十九橋は、石材と木材の混合した橋で、明治になっても使われていました。その遺構がモデルになって、公園に再現されています。



水を治めるは天下を治めるとか。なかなか規模の大きな橋です。





発掘によって出現した七重の天守閣の基礎部分が出来ています。中央に勝家像があります。




柴田勝家の画像です。勇猛さでは、信長家中トップであった。


お市の方です。高野山所蔵、重文。




北の庄城の堀が発掘されました。




天守閣の土台が再現されています。みぎに並ぶ柱は柴田神社の拝殿の円柱です。





柴田勝家の紋所は「二つ雁金」です。






柴田神社の本殿と右は三姉妹神社です。皆さん神様になってしまいます。


北ノ庄城(柴田勝家)

2011-03-22 | 国内旅行
 NHK大河ドラマ、先日は柴田勝家の最期とお市の方とその娘ら3人の、涙のシーンがありました。福井市にドラマの舞台を訪ねてきました。

北ノ庄城の城主「柴田勝家」の像がありました。ドラマの中の勝家にそっくりな勝家でした。像は昨年完成し、像がドラマに見習って出来たとしか思えませんね。



長い長い槍を持って、今は商店街の一角で発掘された北ノ庄城の位置に鎮座します。




3人の娘です。どれかが茶々で、どれかが初で、どれかが江与です。身長で決めましょうか。




信長の妹、お市の方の清楚な姿です。