この岩だらけの里山は、太郎坊宮阿賀神社を抱いている。大変古い神社である。古いも古い神代の昔から続くと言う。
山の中腹に見えるのは参集殿である。ここまでは車で上がれる。
山の緑の中に見える白い箇所は桜である。
石段が上まで続く。
駐車場の広場からの展望である。連歌師の宗祇法師の歌の碑が建っている。松尾芭蕉に大きく影響を与えた彼はここの生まれと言う。ハナミズキが満開である。
祭神の名は写真にあるように書かれたり、また、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひ・あめのおしほ・みみのみこと)など、古事記と日本書紀でも少し字が異なる。
ここから下の段落は、神話の世界で、古事記とか日本書紀の荒唐無稽な話になるので、読み飛ばしてください。
天照大神(あまてらすおおかみ)がスサノオノミコトと姉・弟で勝負をした時に、スサノオの髪飾りの勾玉を取って、天照大神が噛むと生まれた神である。スサノオが勝ったのだが・・。
ここの祭神の名を辿ってみると大変興味が湧いてくる。
つまり「まさかつあかつ」は勝ち名乗りのような言葉で(まさに勝った・吾が勝った)になる。
「かちはや」は(勝ったことの激しさ厳しさ(=神威が峻烈なこと)の「ひ」は霊のことである。(妥協もしないで厳しく勝った事の大きな意味を持つ心意気という事になる)
「あめのおしほ」は「あめ」は天孫降臨のことで、高天原の直系の意味である。
「おしほ」は(多し穂)でおし垂れた稲穂の事である。(実り多い高天原出身の)となる。
「みみ」は御霊(みみ)のことで尊称である。
つまり、勝負に勝って、喜びに溢れ活き活きと元気な心で充実している、天から高天原に下った子孫で、稲穂を充分に実らせることの出来る神様。こんな状況がそのまま名前になっている。
もう一つ。
古事記によれば、ここの祭神になっている神様は、天照大神と高木神(高御産巣日神=たかみむすひのかみ)の命令で、天界から地上に降りる事(天孫降臨)を命令された神様です。
それが、「地上に降りる準備をしている間に、子が生まれました」と言い始め、今度は、その子のニニギノミコトに地上界に行く命令が下る。
そして楽しい神話が更に発展して行きますが、またの事にします。
この岩山は、神の住む山として崇敬されていた。
この磐座(いわくら)信仰と、山の修験道の人たちが融合して、修験者が住み着いていた。人々は彼らを天狗と称して、天狗信仰が生まれた。
それがこのお宮を作っている。
左:本殿の前にある、二つの岩の裂け目が見えてきた。
中:本殿に向う参道は両側が切り立った岩の壁である。その前に鳥居と大杉と「夫婦杉」の名札がある。
右:反対から見た岩に挟まれた参道。
本堂である。祭神の名前に「勝」の字が多いからか、勝運の神様にもなっている。
本殿のある展望台からの景色である。豊かな近江平野が広がる。
この視界の平野こそが、万葉集の中で額田王(ぬかたのおおきみ)が歌う「蒲生野(がもうの)」である。
山の中腹に見えるのは参集殿である。ここまでは車で上がれる。
山の緑の中に見える白い箇所は桜である。
石段が上まで続く。
駐車場の広場からの展望である。連歌師の宗祇法師の歌の碑が建っている。松尾芭蕉に大きく影響を与えた彼はここの生まれと言う。ハナミズキが満開である。
祭神の名は写真にあるように書かれたり、また、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひ・あめのおしほ・みみのみこと)など、古事記と日本書紀でも少し字が異なる。
ここから下の段落は、神話の世界で、古事記とか日本書紀の荒唐無稽な話になるので、読み飛ばしてください。
天照大神(あまてらすおおかみ)がスサノオノミコトと姉・弟で勝負をした時に、スサノオの髪飾りの勾玉を取って、天照大神が噛むと生まれた神である。スサノオが勝ったのだが・・。
ここの祭神の名を辿ってみると大変興味が湧いてくる。
つまり「まさかつあかつ」は勝ち名乗りのような言葉で(まさに勝った・吾が勝った)になる。
「かちはや」は(勝ったことの激しさ厳しさ(=神威が峻烈なこと)の「ひ」は霊のことである。(妥協もしないで厳しく勝った事の大きな意味を持つ心意気という事になる)
「あめのおしほ」は「あめ」は天孫降臨のことで、高天原の直系の意味である。
「おしほ」は(多し穂)でおし垂れた稲穂の事である。(実り多い高天原出身の)となる。
「みみ」は御霊(みみ)のことで尊称である。
つまり、勝負に勝って、喜びに溢れ活き活きと元気な心で充実している、天から高天原に下った子孫で、稲穂を充分に実らせることの出来る神様。こんな状況がそのまま名前になっている。
もう一つ。
古事記によれば、ここの祭神になっている神様は、天照大神と高木神(高御産巣日神=たかみむすひのかみ)の命令で、天界から地上に降りる事(天孫降臨)を命令された神様です。
それが、「地上に降りる準備をしている間に、子が生まれました」と言い始め、今度は、その子のニニギノミコトに地上界に行く命令が下る。
そして楽しい神話が更に発展して行きますが、またの事にします。
この岩山は、神の住む山として崇敬されていた。
この磐座(いわくら)信仰と、山の修験道の人たちが融合して、修験者が住み着いていた。人々は彼らを天狗と称して、天狗信仰が生まれた。
それがこのお宮を作っている。
左:本殿の前にある、二つの岩の裂け目が見えてきた。
中:本殿に向う参道は両側が切り立った岩の壁である。その前に鳥居と大杉と「夫婦杉」の名札がある。
右:反対から見た岩に挟まれた参道。
本堂である。祭神の名前に「勝」の字が多いからか、勝運の神様にもなっている。
本殿のある展望台からの景色である。豊かな近江平野が広がる。
この視界の平野こそが、万葉集の中で額田王(ぬかたのおおきみ)が歌う「蒲生野(がもうの)」である。