昆布が美味い

羅臼の昆布漁を見た時にスタートしたblogです。昆布のダシのように、人生の旅にも味付けをしたい。旅を中心に纏めています。

太郎坊宮

2007-04-30 | 歴史・文化遺産
 この岩だらけの里山は、太郎坊宮阿賀神社を抱いている。大変古い神社である。古いも古い神代の昔から続くと言う。


山の中腹に見えるのは参集殿である。ここまでは車で上がれる。
 山の緑の中に見える白い箇所は桜である。


石段が上まで続く。


駐車場の広場からの展望である。連歌師の宗祇法師の歌の碑が建っている。松尾芭蕉に大きく影響を与えた彼はここの生まれと言う。ハナミズキが満開である。


祭神の名は写真にあるように書かれたり、また、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひ・あめのおしほ・みみのみこと)など、古事記と日本書紀でも少し字が異なる。


 ここから下の段落は、神話の世界で、古事記とか日本書紀の荒唐無稽な話になるので、読み飛ばしてください。

 天照大神(あまてらすおおかみ)がスサノオノミコトと姉・弟で勝負をした時に、スサノオの髪飾りの勾玉を取って、天照大神が噛むと生まれた神である。スサノオが勝ったのだが・・。

 ここの祭神の名を辿ってみると大変興味が湧いてくる。

 つまり「まさかつあかつ」は勝ち名乗りのような言葉で(まさに勝った・吾が勝った)になる。
 「かちはや」は(勝ったことの激しさ厳しさ(=神威が峻烈なこと)の「ひ」は霊のことである。(妥協もしないで厳しく勝った事の大きな意味を持つ心意気という事になる)
 「あめのおしほ」は「あめ」は天孫降臨のことで、高天原の直系の意味である。
 「おしほ」は(多し穂)でおし垂れた稲穂の事である。(実り多い高天原出身の)となる。
 「みみ」は御霊(みみ)のことで尊称である。

 つまり、勝負に勝って、喜びに溢れ活き活きと元気な心で充実している、天から高天原に下った子孫で、稲穂を充分に実らせることの出来る神様。こんな状況がそのまま名前になっている。

もう一つ。
 古事記によれば、ここの祭神になっている神様は、天照大神と高木神(高御産巣日神=たかみむすひのかみ)の命令で、天界から地上に降りる事(天孫降臨)を命令された神様です。
 それが、「地上に降りる準備をしている間に、子が生まれました」と言い始め、今度は、その子のニニギノミコトに地上界に行く命令が下る。

 そして楽しい神話が更に発展して行きますが、またの事にします。


この岩山は、神の住む山として崇敬されていた。

 この磐座(いわくら)信仰と、山の修験道の人たちが融合して、修験者が住み着いていた。人々は彼らを天狗と称して、天狗信仰が生まれた。

 それがこのお宮を作っている。


左:本殿の前にある、二つの岩の裂け目が見えてきた。
中:本殿に向う参道は両側が切り立った岩の壁である。その前に鳥居と大杉と「夫婦杉」の名札がある。
右:反対から見た岩に挟まれた参道。


本堂である。祭神の名前に「勝」の字が多いからか、勝運の神様にもなっている。


本殿のある展望台からの景色である。豊かな近江平野が広がる。
 この視界の平野こそが、万葉集の中で額田王(ぬかたのおおきみ)が歌う「蒲生野(がもうの)」である。


いぬざくら

2007-04-29 | 自然界
車を走らせていると、太郎坊宮が見えてきた。ちょっと立ち寄ったところ、岩だらけであるが、案外と楽しい山で、これはとんだ拾いものだった。


この山の端が岩で盛り上がっている。そこに太郎坊宮と言って人々に親しまれているお宮があった。岩だらけの中腹に神社の建物が建てられ、夜ともなるとライトアップされる。
 それに連なる山の緑を良く見れば、点々と斑に見える花であった。秋の紅葉の綾錦はよく見るが、春の芽吹きによる青葉若葉の斑模様も美しい。


車で山に上がってみると、何と、道の両側はヤマザクラが満開である。
 日照の関係もあるだろうが、桜は伸び伸びと林の最上層まで伸びて太陽を求めており、自然界の中で野性一杯の桜たちであった。


この巨大に成長したヤマザクラは、人の手が入らない侭にここまで大きくなった。


一般の巷の桜からは2週間以上後に満開になっている。


すでに新芽が出ている桜が、同時に花を咲かせるヤマザクラである。


結構、花は数も多く、さ緑の葉は、まだ桜餅に使えそうな柔らかい葉である。


さて、これはイヌザクラである。ブラシのような花の付き方をする。勿論れっきとした桜の仲間である。


山全体にイヌザクラが多い。それも山の賑やかさに大きな役割を負っている。


花をよーく見れば桜だ。オシベが花弁よりも長く、花弁はオシベの影でしっかり5枚の花弁をもって咲いている。



信長館の庭の桜

2007-04-28 | 旅の風物
安土町の風土記の丘第2弾!
 さくらさくらの花の宴は、やがて連休続きの端午の節句にと代わってきた。
 しかしまだ、桜は頑張っています。桜の女王八重桜の登場です。
 更に珍しい桜でお花見をどうぞ。


石造りのアーチがある。スペイン広場とある。この門をくぐると信長館への道になる。、安土城の天主の5・6階部分の原寸大が展示されている。
 これはスペインで開催されたセビリア万国博に出展されたものである。


桜並木が続く。


八重桜は桜の中でも、ゴージャスな花だ。品種名は「関山」である。


これも突然変異か、DNAの変化によって出来たのだろう。この色の帯緑黄色の桜はどうだ。


桜餅・桜貝・桜鯛・桜海老も顔負けする。品種名は「黄緑色ウコン」とある。


これは前出のウコンではない。より一層緑色の花である。


御衣黄(ぎょいこう)桜と言うそうです。萌葱(もえぎ)色は高貴な人の衣類に使われる色。十二単の襟元からこの色が出ていると上品な爽やかさを感じる。


左:手前が信長館で、奥が文芸の郷セミナリオ。
右:右奥は県立安土城考古博物館の丸い屋根。手前の建物は明治時代に出来た小学校の校舎を再現している。当時の学校の校舎には火の見櫓の高台が着いていた。

天下布武の里

2007-04-27 | 旅の風物
日暈(ひがさ)が見えたのは、琵琶湖畔安土城址に程近く、近江風土記の丘である。
 織田信長が「天下布武」の旗印の下、西洋文化も取り入れながら、彼は実力をつけていった。城下町の中にセミナリオ(神学校)さえも建設した。その個性ある建物の丸い屋根は人々を驚かせた。
 信長は、自ら神になる意思があったと世間で言われている。彼は日輪の神になったかもしれない。今日あたかもそれが見えるような、太陽の面影である。


文献によって再現されたセミナリオのドームの屋根に日暈の虹が掛る。




畑一面の花畑の向こうに見える建物は、安土町立の安土城天主閣の上段の実物大のレプリカが納まる「信長の館」(左)と文芸の里セミナリオの建物である。


地上の花畑と鯉幟の取り合わせは楽しいメルヘンである。


美しい花たち。


畦道を隔てて、一面の菜の花である。走っている電車は新快速の敦賀行である。

街路樹

2007-04-26 | 旅の風物
 春も今たけなわ、どちらを向いても花一杯の世の中になった。
 通りがかりに、いつも気になっていた神戸の街路樹で、何の木だろうと思っていたのが花をつけていた。上方ばかり向いて撮ったものばかりである。


街路樹の先端に、赤い花が咲いている。高さ5-6m程の木の梢である。


木のてっぺんの花は、カメラで近くに引き寄せているという感覚がする


5枚の小葉に分かれた大きな葉は、確かにこれはトチノキである。


トチノキで赤いピンクの花が咲くとは、これは外国の種類であろう。ハイカラさんの神戸の街だから、欧州に見られる樹木を植えたに違いない。
 すでに果実が出来かけている。しかしこれでは栃餅は出来ないだろうな。ピンクの花の咲く栃餅は、澱粉が少ないかも知れない。


その気になって樹木を次々と見ていると標識の名札があった。これで念願の思いが吹っ切れた。
 マロニエ(トチノキ科)の並木道は良く見かけるが、赤の花は珍しい。
 ところで、この名札は針金で括っているので、幹が切れ込んでいるようだ。現在ではこんな事はしない。

ぬえ退治

2007-04-25 | 歴史・文化遺産
平安時代末期の源平時代の頃、多田源氏の末裔に源頼政と言う武将がいた。彼が宮中で勤めていたとき、宮中に夜な夜な出没する妖怪の鵺(ぬえ)を退治する命令が頼政に下った。



兵庫県西脇市高松にある長明寺の境内に再現されたブロンズ像である。






頭は猿、胴体は狸、尾は蛇、足は虎、鳴き声は鵺(ぬえ=別名トラツグミ)という鳥の鳴き声に似ている。
 この妖怪が「鵺」と言うのではないが、後世「ヌエ」がこの妖怪の名のようになった。


頼政は源氏の嫡流、多田源氏の流れであるので、ここ西脇市も多田源氏の領国であったかと思われる。西脇市では毎年「よりまさ祭り」が催される。

 なお、源頼政は話題の多い人で、彼の宇治川での討死の様子などは、当blogの06.5.14にもアップしていますので、御覧下さい。

七堂伽藍

2007-04-24 | 歴史・文化遺産
 永平寺の数ある伽藍の一部を紹介します。


永平寺の山号が境内の入口の大きな石碑に刻まれている。

 禅宗は修行をすることで仏に近付き悟りを開くので、その大部分の禅宗寺院は修業の道場となっており修行中の若い僧が散見される。
 「第一道場」と言うのは、横浜市にある大本山総持寺の道場と区別をするために、第一と呼んだらしい。大本山が二つあるわけだ。
 このことがまた、両寺の争いの火種にもなったと言う。明治以後は和解した。

 石碑には開祖道元禅師の詠んだ歌がある。
  春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり
 判りやすくていい歌ですね。

 自然と一体になって交わる心の動きが出ている気がする。人と自然との調和を素直に受け入れあっている。 


七堂伽藍と言うのは、禅宗では、この案内図の赤の色のついた堂宇が該当する。
 他の宗派では少し違う部分がある。また、お寺によっては七つが揃っていなくてもそう呼ぶ時もある。

 仏殿は本堂。法堂(はっとう)は講堂、庫院は食堂(じきどう)、東司はトイレ、浴室はお風呂(隣室で湯を沸かし、風呂場に湯を送る。サウナ形式)である。


仏殿である。他のお寺では普通本殿と言っている。花桃かなあ、お寺の灰色の中で、見事に色を添えている。


中雀門(ちゅうじゃくもん)は仏殿にいたる門である。山門の次にくぐる門である。彫り物が凄い。


左:法堂に向う階段。ところで、ここの未来の大僧正たちは、回廊も廊下もすべて走っている。
右:法堂前の縁側から左手の回廊を見る。手前の鉄製の水貯めには菊の紋章がついている。防火用水である。


左:境内で最も高所にある法堂を下から仰ぐ。
右:仏殿から下る回廊。ここに桜が咲いていて、ほっとした雰囲気を醸し出す。


山門に掛る扁額は永平寺の由来が書いてある。

 南閻浮提(なんえんぶだい)は、釈迦・仏の住む須弥山(しゅみせん)の南にあって(南にある閻浮提と言う意味)、人の住む事のできる島の事である。この島でのみ、釈迦の教えを聞く事が出来るという。

 日本の国の越前の国、吉田郡志比の庄、傘松峰と言う山は今日より、名前を吉祥山とする。

 多くの仏、多くの如来さまの大きな功徳(くどく)は、多くの目出度い事の中でも最も良い事であって、これ以上は無い。

 諸仏は共に来たりて、ここの寺に入る。これゆえに、この地は最も目出度いところである。 宝治2年(AD1248年)11月1日  花印
 と書いてあるようだ。 

  要するに、良いお寺ですよと言っている。


閻魔様が居られました。

永平寺点景

2007-04-23 | 歴史・文化遺産
 曹洞宗大本山は末寺が全国に3000ほどあるという。
 過去に2・3回は来ているのだが、いつも新しい気持になる。荘厳な雰囲気の中に身を置いて畳に坐っていると、時間の経つのを忘れてしまう。


受付の前の泉水に一葉観音が出来ている。素直な、自然な観世音菩薩が木の葉の上に坐っておられる。それを見つめる蝦蟇が楽しい。
 作者の腕だろうが、見るものに安らぎを感じさせる。

 日本の曹洞宗の開祖道元が、新しい教えを求めて中国に向かった時、船が嵐に遭い、危なかった時に観音を念じた。
 すると、空から木の葉が落ちてきて、船もろとも葉に乗せて危険から救ったという記録があり、それに基づいてこの庭が出来ていると言う。


近くにあった座禅草を撮ったものだが、少し写真の色を触っていると、ザゼンソウがいやに明るい紫色になってしまった。

 禅宗では、仏教の真髄は座禅によって直接に体得できると言う教義である。

 インドから達磨太師(だるまたいし)が中国に伝え、AD1223年に道元が宋から伝えたものが曹洞宗である。

 ちなみに、禅宗は他に栄西の伝えた臨済宗(AD1187)、隠元の伝えた黄檗宗(AD1654)などがある。 なお、中国ではまだ他に5~8の禅宗の流派があるらしい。


布袋様はインドの神様と思っていたが、解説を見ると中国唐の時代の禅宗の僧だと言う。予言が的中したと言って尊崇されたと言う。禅宗のお寺の神像である。

 しかも彼はこの世のすべてを済(すく)ってくれる未来の仏様であるところの弥勒(みろく)菩薩の化身だそうな。
 
 何を済うかというと、人々を苦界から涅槃(ねはん)に導いてくれる。そこで、人々を迷いから解放して悟りを開かせてくれると言うのである。


 受付にいた人の「はっぴ」の背中には笹竜胆(ささりんどう)の紋が付いている。永平寺の紋である。
 源氏の笹竜胆とはデザインが違うが、永平寺の紋は竜胆車と呼ばれる。
 りんどうの葉は笹のように細長いそうである。


廊下に貼ってあった写真だが、夕陽が座禅を組んでいる。「だるま夕陽」の意味が判りましたよ。

小さな永平寺

2007-04-22 | 旅の風物
 足羽川の桜を訪ねた時に永平寺に立ち寄った。
 さすが、我が国では臨済宗と並んで、禅宗の片棒を担ぐ曹洞宗総本山は見事な伽藍が並ぶ。


ここからが境内が始まる。


ふと振り返ると、山門の外で詠歌のような合唱が聞える。見ると整列した「未来の大僧正」たちの声である。合掌して元気一杯の声が聞こえる。


長い回廊の階段を上がって、法堂(はっとう)まで来ると、この小さな「未来の大僧正」の皆さんが、大掃除にかかっていた。
 経机を運び、手前の唐獅子もこちらに運んできたものだ。
 右方で集まって話をしているので、聞くともなしに聞くと、道具を運ぶ段取りの相談である。
 リーダーの立場にある「未来の大僧正」もいるが、なかなか皆さんは言う事を聞かない。
 「船頭多くして船山に登る」という言葉が頭を横切る。


話し合いは盛んだが、身体は動いていないなあ。
右:やっと唐獅子が動き、大きな茶碗のような鐘を皆で集まって運び始めた。確かに、この鐘は丸くてつるつるで運び難いだろうな。落として凹みが出来ると大変だ。
 リーダー格の「未来の大僧正」は皆さんに背中を向けて何をしているのだろう。


仏殿に対面する楼門の前で石畳を磨いている。苔がついているのだと思う。
 水温む春とは言え、山の清水は冷たい筈だが・。


ここも石段に付いた苔を落としているようだ。普段の修業から見ると、彼らにとって自分の時間になっているのかも知れない。リラックスした風情に見えた。


お寺を退出する時に、また別の集団が石段を磨いていた。ちょっと尋ねると一年に2回掃除をすると言う。
 青と紫の服はクラスの色かな。上の法堂で仏具を運んでいた「未来の大僧正」は黒い衣であった。


 そういえば今日は4月10日で花祭りである。甘茶が美味しかった。天上天下を指差したお釈迦様はやや肥満かな。
 今日は仏教のお正月であるから清掃活動をしていたらしい。
 よく知っている寺の住職もこの修業を経験していているんだと、改めて尊敬する。

公園の花たち

2007-04-21 | 話題
 2月よりも3月が寒いという季節の不思議さを感じた今年だったが、日も長くなり、初夏の陽射しが照りつけるのもまもなくでしょう。
 始めの2枚を除いて、夜のウオーキングをする近くの公園の花たちをカメラに収めました。


この牡丹は、堺市のお寺の境内のものです。今年は寒牡丹から始まって、牡丹に縁がある。
 このお寺には、何と!徳川家康のものと伝えられる墓があります。住職の話を聞いていると、本当のような気がする。


坐れば牡丹と言いますね。豪華なものだ。


ウオーキングの時、ご近所の庭で見つけたもの。


コデマリが盛りである。冬は単に細い枝だけのつまらない植込みがあると思っていたら、コデマリだった。


冬は完全に枯れ枝だったユリの木が若葉を出している。夜のしじまに緑の影が浮かぶ。
右下に鎌のような月が見えている。

以下の2枚はパンジーの仲間のような気がするが、色が鮮やかで、今の人が好む色の濃さである。園芸品種だろうが、強くて逞しそうな花である。




いろんな寄せ植えが和ませてくれる。


牡丹桜は花の時季が遅い。今盛りである。