昆布が美味い

羅臼の昆布漁を見た時にスタートしたblogです。昆布のダシのように、人生の旅にも味付けをしたい。旅を中心に纏めています。

出雲大社(下)

2013-05-31 | 歴史・文化遺産
拝殿の西方に、巨大な国旗が掲揚されていた。高さ47mです。




本殿の基礎が最近発見され、かつての本殿の柱の遺跡が発見されました。
柱の実物大の模型が展示されています。
 



この太さから見ると、古文書に残る巨大な神殿の設計図の赤い田の字の形は本当でした。
この時の本殿の記載では、高さ48m、階段の長さ109mとあり、それが今はっきりと証明されたのでした。

記紀によると、オオクニヌシがスサノオに国を譲るときに、その条件として巨大な神殿を要求したことが書いてあります。
それがこれだったのです。



古文書に見られる巨大な心柱の9本のうち、中央の柱でありました。その後の発掘で、各柱は土中から出現してきました。





平安時代の子どもの勉強したらしい教科書の記述があります。




巨大宮殿の柱の発掘写真です。物差しが1.2mだそうです。




それは、本殿の前の八足門の下から出土しました。




発掘のCM用の写真からです。大きさが判りますね。



拝殿に隣接する神楽殿です。





大遷宮のポスターです。




訪ねたのは5/25で、大遷宮の日程の中の、奉祝祭があって、神官が揃って本殿に向かったことも頷けます。



出雲大社(上)

2013-05-30 | 歴史・文化遺産
オオクニヌシを頂点とする「国つ神」とアマテラスの系列で天孫降臨を行っていく「天つ神」の
二つの神様の葛藤が神話の時代のロマンを描きます。

神域に入る最初の鳥居です。朝の時間が早くて、人影もまばらですね。
 

参道は少し下り坂の後から平坦な松並木が続きます。拝殿の社の棟が見えてきました。
 

境内の案内の看板がありました。大きすぎるので寸断しました。

一の鳥居は省いています。二の鳥居から奥の銅の鳥居、そして拝殿です。






進むほどに西神苑の所が、天から神が降りてくる「よりまし」の場所になっていて、
今、神官らによって拝礼が行われています。



祝詞を奏上しています。
「カケマクモカシコク、スメラミコトのオオミカミ…カシコミカシコミモマウス」などなど。




そして神官らは本殿に向かいます。



木靴の音が砂利石とでリズミカルな音がする。



そして今日の拝礼の儀式に向かいます。




オオクニヌシノミコトの銅像が建っている。この白ウサギは彼と結婚して何人目かの妻になります。




拝殿の玄関の軒が中央からずれていると言う特徴のある拝殿が見えてきました。




左手の白木の建物が仮本殿です。今では本尊は元に戻ったが、この建物は保存されるそうです。


荒神谷遺跡(多数の銅剣・銅矛)

2013-05-29 | 歴史・文化遺産
揖夜神社から西へ、荒神谷遺跡に向かいます。
山間部の道路工事中に発見された遺跡は、アッと驚く発見でした。


銅剣・銅矛358本が一か所から発見されたのでした。さらに翌年も…。
弥生時代中期以後で、卑弥呼の時代よりも過去の時代だと言う。



展示館には、銅鐸などのこれまで発見された地図があった。荒神谷遺跡は①の場所と出ている。
 


発掘された青銅器の展示がありました。すべて復元複製されたものです。







展示館を出て、発掘現場に向かいます。




里山の裾の斜面にありました。




高所から展望できます。レプリカが当時そのままに置いてあります。




銅剣がこんなに多く埋まっていました。

銅矛と銅鐸が並びます。




正面の平屋の建物が展示館です。
手前には古代ハス(二千年はす)が広い範囲で栽培されています。

これらは、祭祀に使ったと言います。

イザナミが追いかけてきた道(下)

2013-05-28 | 歴史・文化遺産
火の神を生んだイザナミノミコトは、火傷をして黄泉の国に旅立ちます。
あとを慕ってイザナギノミコトは黄泉の国の入口にまでやってきます。
 既に黄泉の国の人となっていたイザナミが、そこで「見たなー」とイザナギを追いかけ、
ここ黄泉比良坂まで逃げてきました。



案内の掲示板です。




ポスターです。最後に大きな岩二つで出入り口を閉ざしました。





この地で映画のロケがあった模様です。JR揖屋駅から、揖屋神社、そして黄泉比良坂が、映画のラストシーンだと言う。





里山を斜面を上がり、道の突き当りに、その場所がありました。




傍の雑草地にはタツナミソウが満開でした。




黄泉比良坂の結界の入口です。30mほどの参道がある。




突き当りの大岩の間隙が、まさに黄泉の国への入口らしい。


神蹟というのは初めて見ました。



醜女に追われてとあるが、イザナミは支配下にある黄泉国の召使にイザナギの後を追わせた。
最後には本人が追いかけてきた。



アザミが美しい坂道である。ここに来る人もぱらぱらとあります。
中でも、札幌ナンバーの車で若い二人も訪ねてきていました。

PS。数百m位の範囲で、よく似た謂れの複数の場所もあるようです。






イザナミが追いかけてくる(上)

2013-05-27 | 歴史・文化遺産
美保の関燈台で昼食をして、島根半島を戻って、中海の大根島を通過して、
揖夜神社に向かいました。



揖夜神社は古事記に出てくる神々の祀られている所です。




境内の入口にある燈籠とか狛犬とかは、古い形式のようです。怖い顔のカメですね。
この燈籠には文化三年だったかの名があり、派手な装飾が付いています。




初めは「いふやのやしろ」と言われていたと言う。出雲風土記に記載のあることが判ります。




改めて、揖夜神社の由緒です。祭神には古事記の原点にもなる神様たちが並んでいます。

祭神は
「見たなー」と言って追いかけてくるイザナミ。
オオナムチノミコト(奈良の大神神社)はオオクニヌシノミコトの別名。
スクナヒコナノミコトはオオナムチの国造りを手伝います。
コトシロヌシはオオクニヌシノミコトの息子で、父の決断の時には知恵を貸します。



コマイヌもかなり風化が進んでいます。





神門(=山門)の巨大なしめ飾りと、奥の方にちらっと見える注連縄のある建物は拝殿です。
 



八咫の鏡も、光っています。



拝殿から階段を上がって本殿の中に収まっています。もう一柱の神様は三穂津姫(ミホツヒメ)
 



本殿の玉垣にまつわるようにエゴノキが満開です。



こちらでエゴノキと言っても、こんなに大きな花はあまり見かけません。良い時季に出会いました。



美保の関燈臺

2013-05-26 | 歴史・文化遺産
美保神社から、地蔵崎の先端までの坂を上がると、燈台に出会います。
晴れているとはいえ煙霧の為か、隠岐の島影は見えません。
赤い屋根がビュッフェのある棟です。

遭難が相次ぐので、石の地蔵様を海岸線に奉納していたので、今では「地蔵崎」と言われます。




事代主命(コトシロヌシノミコト)が魚釣りをして遊んだと言う「沖の御前島」も見えます。



もう燈台守も必要でなくなったが、ここにちょっと洒落たビュッフェがある。




「美保関燈臺」の表札がある。

今では、世界燈台100選の一つになっているそうです。




「喜びも悲しみも幾年月」佐田啓二・高峰秀子だったか映画がありましたね。
ここは映画には出てきませんが、現在の無人の燈台では味がないですね。




ビュッフェの欄間にある海上はるかの島影の写真です。今日は見えません。




展望台。



隠岐の島に向かう水中翼船が見える。背後に事代主命が魚釣りをした沖の御前島が見えます。



左:燈台の屋根にハトがいる。右:駐車場に向かう下りの山の道、テンナンショウが実を付けていた。
 




戻り道の海岸線沿いに楽しい風景があった。まるで伊勢の二見が浦です。遠くの大山が美しい。

ここの夫婦岩は、男女岩と書くようです。


出雲の国美保の関

2013-05-25 | 歴史・文化遺産
出雲の国は大国主命の国つ神の治める国でした。
境港から東へ、美保関があり、美保神社があります。


島根半島の海岸線から南に、浮かぶ伯耆大山がありました。



途中の道路の歓迎の案内板にあった二人の神様です。その石板の裏側には早舟の絵が刻まれています。

左:事代主(ことしろぬし)の神(えびすさん)と美保津姫(みほつひめ)の命(みこと)
右:オオクニヌシの使いで、出雲から美保関まで、事代主命を迎えに、早舟で向かった。その神事に因みます。
 


美保関は、岬の先端です。




美保神社の鳥居が見えてきました。



拝殿の後ろに本殿が左右の二棟になっています。





舟を傾けることにより、戦いをしないで、国を譲る事を示唆しました。

早舟に乗って進んだ模様が、今も神事として、実施されています。




ガガイモと少彦名が美保関で登場します。




神社の建て替えは、ほぼ完成になっています。




正面の神門に懸る注連縄は出雲と同じで巨大ですね。




大きな拝殿です。大社のようにはずれていませんね。

変体仮名ですが、由緒が描いてあります。判読して楽しんでみてください。





色々なエピソードがあります。





事代主の命が鯛を釣る恵比寿になったと言う。





鄙びた古い店が今も軒を連ねます。「青石畳通り」と言います。



出雲へ向かう[蒜山(ひるぜん)]

2013-05-24 | 自然界
梅雨の近い晴れ間を縫って、神話の国出雲に向かいます。
遷宮祭も終り、少しは混雑も緩和されたかと出かけました。

初日は足掛かりに岡山県蒜山(ひるぜん)高原に泊まります。

標高1100-1200mmほどの蒜山三座(奥から下蒜山・中蒜山・上蒜山)が並ぶ高原地帯。




蒜山牧場が広がる。今回はジャージー牛の放牧には出会わなかった。



酪農大学も併設されている。




牧草地の中にヒバリを発見。

ピーツク・パーツク鳴いているのが、着地した。草を食んでいるようだ。





頭上遙かに咲いていた。



トチの花でした。むくむくと盛り上がって咲きます。



20m位の樹高でもてっぺんに咲くが、それほどには栃の実が房のようになって実ったのを見たことがない。




日に数回は来る市営バスは山の色にマッチしている。林間バスとでも言おうか。





北側からの姿が見える大山(ほうきだいせん)=伯耆富士。   右方に烏の山(からすのせん)が見える。



米子自動車道を北に走る。
西側から望む大山(1729m)は、まさに伯耆富士ですね。烏の山は標高がこんなに低いとはね。



古代出雲に魅せられて

2013-05-22 | 旅の風物

先日あった出雲大社の遷宮祭、千数百年前からの伝統を今に受け継ぐ行事が催されました。三本の柱が集められて一本柱に使われていた遺跡が発見されたりするなど、まだまだロマンを掻き立てる事柄が眠っているかと思うと、胸が躍る思いです。
それらを肌で感じたいと、ドライブがてらに出雲までやってきました。初日は蒜山泊まりでした。駐車場のトチの木には、満開の花が咲いていました。ここの牛はジャージ種で、全国でもそれほど多くない。牛乳は美味い。