昆布が美味い

羅臼の昆布漁を見た時にスタートしたblogです。昆布のダシのように、人生の旅にも味付けをしたい。旅を中心に纏めています。

’08BLOGの一年end

2008-12-31 | 呟き

神話の世界「古事記」の中の英雄「ヤマトタケル」の終焉の地が鈴鹿サーキットの近くにある。

能褒野(のぼの)神社。隣りに御陵がある。(8/20アップ)







琵琶湖畔の水生植物園「水の森」のウーパールーパー。(8/28-9/2アップ)





境港は「げげげの鬼太郎」のふるさと。街を挙げて鬼太郎の世界。(9/16-28,10/1-2アップ)





噂に聞くだけだった「サルナシ」の実を六甲山で発見。(9/6アップ)







南紀勝浦に向った。瀞八丁の遊覧船が行く。(10/3-13アップ)





六甲山、神戸高山植物園に紅葉を求めて(11/8-13アップ)






唐津ー佐世保ー長崎ー雲仙ー熊本の旅(11/28-12/08,12/21-26アップ)

ハウステンボスの夜。






島原ー熊本港のフェリー。ユリカモメ







彦根の多賀大社と奥宮の胡宮神社。(12/5-9,12/16-20アップ)






今年も暮れる西の空。(10/16アップ)

龍神ー高野スカイライン。太陽よ!来年も出て来いよ。

 平成20年は今日一日となりました。平成生まれの子どもが二十歳の成人式を迎えるのでしょうね。
 最近、当たり前のことに感動するようになって来ました。
 世間の流れに、異常な事象や不自然な事が多くなってきたので、余計にそうなのかも知れません。
 
 
一年間有難うございました。どうか良いお年を。


DATA
 ○2008年Blogアップ回数:365回
 ○2008年画像アップ枚数:9228枚ー6348枚(昨年までの枚数)=2880枚

’08BLOGの一年03

2008-12-30 | 呟き

6月の下旬になってから、じめじめ梅雨が続く中で、ふとその気になって、大雪山を見ようと出かけた。(6/30-7/20アップ)


田畑の畦道にルピナスが咲き、はるかに大雪山系を遠望する。まだ雪がある。右端が「主峰旭岳」。






ロープウエイから少し登ると、旭岳の足元である。






左:ピーピーとよく鳴くノゴマが登山道のロープに止まる。
右:雪渓の上を走るセグロセキレイ。餌を巣に持ち帰るのだろうか。









キタキツネが道路で寝そべっている。車が近付いても逃げない。









美瑛に向う。なだらかな広大な丘は、一面がルピナスの花で埋まる。








旭川で3連泊の後、札幌に向う。花まつりの大通り公園。







時計台。








8月に、原爆ドームを訪ねる。右は資料館の中の原爆投下の模型。(8/10-17アップ)







電車で1時間の距離にある呉の「やまとミュージアム」を訪ねた。

戦艦大和の誕生から海底に没した現状まで、その他、呉造船所で進水した艦艇の写真など資料がすべて展示してある。

'08BLOGの一年02

2008-12-29 | 呟き
 
 八重山諸島から一ヶ月後、今度は沖縄本島に行く。(3/30-4/5,4/18-26アップ)


美ら(ちゅら)海水族館は大きい。ジンベイザメがこの2尾のほかにもう1尾が泳いでいる。






那覇の街で見た魚屋さん。これはハリセンボンが皮をむかれて赤裸。 








コウノトリの飼育が数十年、田を耕している傍で、餌を啄ばんでいた時代に戻そうと研究された。(5/1アップ)


遂に自然界に放鳥され、そして今年は雛が村中のそれぞれの巣で、合計5-6羽が生まれたと言う。









4月の半ば、春の日差しの中を四国に渡って魚を食べる。鳴門の渦潮が目前であった。

そして、大塚美術館に立寄る。(5/4-6,5/10-13アップ)

 お弁当を持って行かないと、全部は見切れない。

 忠実に陶器で焼かれた世界の名画が実物大で出来上がっている。

ミケランジェロの「最後の審判」の絵は圧倒される。部屋の2階のバルコニーから絵の上半分を見ている。










5月後半越前から、北へ輪島へ向った。(6/17-21アップ)

輪島の朝市の風景である。ここは輪島塗の店の軒先である。朝市は午前中で終わる。






 今年は2回奥日光に出かけた。(6/3-13アップ)

自然散策路の入り口のレストハウスのベンチに足跡が画かれていた。



5月初旬の戦場が原の草原に咲くズミ(バラ科)の花は潅木の林を染め上げる










二回目の7月は、奥日光を通り抜けて、山を越して、ロープウエイに乗って、日光白根山に出かけた。(7/26-8/7アップ)

岩肌に点在する赤色は、コマクサである。




赤・桃・白のコマクサが咲き乱れる。



’08BLOGの一年01

2008-12-28 | 呟き
 
 年の瀬も押し詰まり、今年一年を振り返ってみたいと思います。

 旅を柱にして、掻い摘んでみます。

 =行く年来る年=


琵琶湖の南湖に白鳥が渡ってくると聞いて、数年が経ち、やっと見つけた1月19日でした。コハクチョウで、やや小型である。
遠くは比良山系、琵琶湖大橋が見えます。(1/19アップ)









八重山諸島の与那国島からは、天気が良ければ台湾が見える。

ここの海中に古代遺跡が眠るとして、アトランテイス大陸とかの話には出てくる。
城郭の跡のように見える。環太平洋文化を語るとき、海洋民族の痕跡という学者もいるほどである。 






与那国馬がいる、やや小型で野生化していると言う。 (1/31-2/10アップ)






最西端の与那国島の次は日本最南端の波照間島で宿泊する。焼き魚の「グルカン」が旨かった。

この後、西表島に戻り、ヤマネコいないかと島を巡り、那覇乗継で帰る。








 約1ヵ月後、2月25-28日に九州のツアーに参加する。

 博多から阿蘇山を経て高千穂、更に宮崎のシーガイヤに泊まる (2/26-3/10アップ)


阿蘇中岳には雪が残っている。




高千穂峡は、実に神秘的に写真に納まる。




 翌朝、延岡を経て、鹿児島、更に南へ池田湖を見てから指宿の砂風呂であった。

 次の日は長崎鼻を観てから、知覧で特攻隊に涙を流し、熊本城を経て、長崎で夜景を見る。

 最後の日は、長崎から門司まで走り、関門海峡の遊覧船、門司のレトロの町並みを散策して、再び博多から新幹線で帰る。
 九州も高速道路が発達して便利になったと思う。けれども、旅行業者のツアーだと、旅情を味わうなど出来ない。
「観た・見た・視た・食べた・温泉に入った」だけになってしまう。




3月25日には名古屋の長島温泉の近く「なばなの里」を訪ねる。(3/29,4/7アップ)

蟹、かに、カニ

2008-12-27 | 話題

 いつも冷凍物ばかり食べているから、越前ガニの本場へカニを食いに行こうと出かけたものである。

 北へ、近畿地方を抜け北陸路に入る。最近の高速道路の割引は複雑で、S.Aで聞きながら土日割引と通勤割引を使った一日だった。

敦賀湾の入口の景色が良い。遠く正面に原子力発電所の煙突と白い建物が見える。







 崖が海面に垂直に落ち込もうかというほど、海岸沿いの集落は幅が狭い。その海岸沿いは、カニかに蟹である。蟹の看板も道頓堀の看板に負けていない。










店では、生簀に蟹が一杯いる。亭主が棒で引っ掛けるので、それを蒸すか刺身にするかを言う。









刺身定食も注文する。甘エビも魚も美味い。








そして、蟹が現れた。採れ採れというのは、味にこれほどの違いがあるのか。







左:この蟹は正面から見るとエイリアンだ。
右:かぶりついている。味通の人は言う。蟹は手を汚しながら、行儀悪く食べるのが一番美味いと。










ところで、この越前海岸は、浸食によって、陸地には奇岩名勝が多い。その代表的な一つが、呼鳥門である。大きな一枚岩の下方が、なくなってトンネルになっている。

以前、国道305号線がその下を通っていたのだから楽しい。







今は呼鳥門公園になっている。越前有情と言う歌碑が建っていて、音楽が鳴る。五木ひろしである。


熊本城本丸御殿

2008-12-26 | 国内旅行

11月下旬に参加したツアーが、途切れ途切れながら、やっと最終回のアップになりました。


 熊本城本丸御殿が、数十億の資金で、再建され、公開されたのが4月20日の事である。前回に訪れたのは、公開の1週間前であった。


平成の築城とまで言われるほど、忠実に再建されたと言う。









見事再建された本丸御殿。唐破風の丸い屋根が見える。








長い廊下と最奥の部屋が、殿様が謁見する部屋である。きんきらきんの絵画は、いずれも由緒のある人の手になり、史実にも忠実に書かれているという。









廊下に菊が展示してあった。一瞬、嵯峨菊と思ったが、これは肥後菊と言う。少し時期が遅いが…。一鉢で観賞するのでなく、全体の集合体で観るという。普通の菊花展でもある観賞方法だけれども。










さて話題の本丸の地下通路。本丸が櫓の石垣に跨っているので、こんなのが出来たとも言われるが、防衛戦術に利用されていたに違いない。







人呼んで「くらがり通路」









照明がなければ、夜は歩けませんね。









通路が交差しているところは、鍵十字になっていて、賊は迷う事だろう。





 入場券の販売で、すでに単純計算で、本丸御殿にかけた費用を軽くオーバーしたと聞いた。県と国で予算を組んだという。


お城からは、庶民の暮らす平和が望めそうだ。


平成新山(雲仙)

2008-12-25 | 国内旅行

翌朝、雲仙岳に上がる。

 春のシーズンには、ツツジで真っ赤に彩られる山は、昨日に温泉場で見られた紅葉も終わり、落葉して樹木は裸である。

この山の頂上にまで上がる。





 ロープウエイから更に斜面を登り、ピークの展望台に上がる。

目前に、平成新山(1486m)が朝霧の中から浮かび上がる。霧の架かる斜面は、溶岩ドームが崩れて駆け下った勾配であろうか。



周知の事であるが、平成2年(1990)から始まった火山活動は、平成3年には、遂に溶岩ドームが現れた。
 そして6月3日に大崩落があり、一挙に43人の犠牲者を出した。


少し位置を変えると、大小さまざまな岩石が散らばる険しい山塊が手に取るように見える。手前の樹木の赤い実が救いである。






ロープウエイの駅の周囲には、この赤い実をつけたマユミの木が多い。まるで花が咲いたようである。







皮が弾けて、真っ赤な実がなっている。この実は鳥が食べるのかも知れない。






 灼熱の溶岩ドームが崩れて、土石流が水無川の谷を走り、海に流れ出たところに資料館がある。その中の展示写真で驚きの写真を眼にする。

 学校の運動会の写真である。背後の谷を巨大な土石流が流れている。しかし、運動会は平然と行われているようである。

3-4年前に訪れたが、この学校の校舎は被害にあって廃墟になり、破壊されたまま資料館となって残っていた。現在も残されていると思う。





 島原からのフェリーには、熊本港に着くまでユリカモメが付いてきた。かっぱエビセンを咥えている。
背後は雲仙岳。(雲仙岳という山はなくて集合体の名であるようだ)

夕御飯

2008-12-24 | 国内旅行

 夕食は今時珍しい、昔は当たり前の、部屋でじっくりと座って摂る。

 口に入ってしまえば、何だったか空に飛んで行ってしまうので、カメラに収めたもの。


これが先物、前菜、吸物、造りまで出ている。もし時間があれば、品物を↓の献立表と照らし合わせてください。


「おしどり夫婦膳」とはよく言ったものだ。写真の手前の料理が、献立表の下の段である。

頃合を見計らって鉢物が入れ替わる。若い仲居さんは一人で3部屋を担当していると言う。






そして部屋の床の間を見れば、優雅に小菊が活けてあり、今夜は不必要な有田焼の灰皿が並んでいる。






壁には掛け軸でなく、星野富広さんの額が架かっている。日光裏街道沿いの彼の美術館を訪ねたことがあるが、撮影禁止だった。すべて筆を口に咥えて書いたもの。
右は廊下のロビーのもの。





隣の部屋に就寝の布団が敷いてあり、枕の上に置いてあったメッセージ。泣かせるねー。



雲仙は温泉(うんぜん)温泉だった。

2008-12-23 | 国内旅行

ここにも行基が出てくる。

 =行基について=

 彼は民衆に慕われ、彼を慕って付いてくる多くの人を動員して、灌漑用水を初め、土木事業を各地で行っている。

 彼は戒壇を受けずに、無許可で多くの僧を誕生させたので、中央政府から訴追を受けることになる。
 
 しかし、大衆を動員できることや、大衆に心の安定を与える修行僧である事が認められ、遂には東大寺の大仏殿建立の棟梁に任命された。更に、僧籍の最高位を得た。

 そして、彼は神仏になり、人々は行基菩薩として崇めた。






部屋の窓から見る、温泉湧出地獄地帯。





ちょっと墨絵の世界か。






ぶくぶくやっている。硫化水素の匂いがする。






後宮春樹と氏家真知子ロケ地。銭湯の女湯が空になったドラマ「君の名は」忘却とは…。真知子巻。





現代っ子にはわからない世界を、横に見て歩くのは女性ばかり。





温泉が噴出するど真ん中を、道路が走っている。

雲仙温泉旅館

2008-12-22 | 国内旅行

 佐世保を後にして、雲仙に向う。高速道路の関係もあるのか諫早干拓ダムの堰堤を走る。

干拓のシャッターが、劇的に閉鎖されたニュースを見たものの、環境への配慮が足りなかったとか、いろいろと話題のあった堰堤である。






 島原半島の海岸線から、雲仙岳のドライブウエイを経由して、雲仙温泉の旅館に入る。

 特別室があり、最上階を社長が案内する。それは美空ひばりが泊まった部屋だそうで、旅館としてもかなりの自慢である。

 また、天皇陛下、皇太子殿下も宿泊され、当旅館の主人が案内を務めたと言う。

 部屋は現在かなり改装されて、その時の面影はないが、陛下がこの位置で…とか、皇后様がそこのテーブルの横で…とか、陛下と皇后様との会話はごく自然であったなどと語る。







 特別室の前の廊下のロビーには、美空ひばりの林檎追分のイメージの人形がある。

左:壁には眼を開けたマスクがあり、美空ひばりの顔である。
右:彼女自筆の書がある。「大きな花、小さな花、愛の花、恋の花、夢の花、幸せの花」





  石板の展示もある。ここに出てくる文言は、彼女の後の歌にも共通する。
 上手下手はともかく、耐えてきた人生だったか。

 「生まれし時に この道知らずとも この道を歩み 幾年月ぞ 今日涙して  明日また笑おうぞ」  美空ひばり

その時に使用した茶器が並ぶ。





十代と十三代、その他歴代の柿右衛門が並ぶ。




写真に出てくる説明役は、この旅館の当主と言う。