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昆布が美味い

羅臼の昆布漁を見た時にスタートしたblogです。昆布のダシのように、人生の旅にも味付けをしたい。旅を中心に纏めています。

南方熊楠の世界(粘菌2)

2009-05-31 | 自然界
かなり身近にいるのだと思いますが、まったく日常生活で気付きません。どこかで見られた方教えてください。


熊楠顕彰館に展示されていた本と、同館でのビデオからのコピーです。








この形はカビの子実体ですね。けれど菌糸があるわけでないし、渋い色合いですね。






左:これも群落?     
右:ダンゴ餅? 




左:昆虫の卵?
右:木の幹の皮の隙間に、ぎっしりと。



これなど湿度の高い樹林で見つかりそうですが。

南方熊楠の世界(粘菌1)

2009-05-30 | 歴史・文化遺産
 
 紀伊田辺市に南方熊楠顕彰館がある。

 明治維新の一年前、紀州田辺市に南方熊楠(みなかたくまぐす)が生まれた。
 
 彼の天才ぶりは、狂気に近いほどの能力を持っていた。脳細胞の働きが常人のそれではなかった。

 その彼が、取り組んだのが、粘菌の研究であった。

 植物は種子植物・胞子植物になるが、胞子植物はシダ類・コケ類・藻類・菌類・バクテリアなどに分かれるが、その菌類の中に、キノコ・カビそして粘菌がここに入る。

 熊楠はこの粘菌の世界に飛び込み、世界的に認められる存在となった。彼はイギリスにも留学し、また一方では十数カ国語に通じていたという。


彼は、粘菌を生まれてはじめて知ったとき、それが生き物であり、成長していくことに感動した。そして粘菌の研究はスタートした。




顕微鏡で見ない限りはホコリにしか見えないでしょう。






胞子を作るキノコのようである。そして、次にはアメーバーのように這い回るのである。





枯葉についた粘菌の子実体の袋が破れている。
右:熊楠、1941年没。彼の天才の脳髄は大阪大学に保管されている。






鯨だーっ

2009-05-29 | 自然界
  鯨が海で泳ぐのが見たい。近くで高知までと思っていたら、白浜の北、内之浦湾に2週間健気に泳いでいるという。
 ちょっと出会ってきました。

深さ7mという小さな湾から出て行かないそうです。赤丸が鯨です。






潜水艦のようなのが見えた。どちらが頭でどちらが尻尾でしょうか。






こちらに向いています。潮を吹きました。マッコウクジラは前方に潮を吹くそうです。







とがって見えるのが腰です。左が頭です。全長15mだそうです。







潮を吹いている方が頭とすると、腰の位置から考えると、これで体長の半分です。






この潮吹きは、スマートじゃあないです。







鼻の穴の周りは怪我をしているようです。







湾の中でぐる廻っている。






見物の人が飽かず眺める。道行く観光バスが遠くに停まって、暫く眺めていたりする。市の職員が3人常駐して観察中である。一時間に何回潮を吹くか数えて、大学の先生に報告をするという。
昨日は、この岸辺近くにまで来ていたという。


鳥取砂丘end(砂像フェスティバル)

2009-05-28 | 話題
 聞けば、兵庫県の西端から、岡山県を通過して、鳥取県につながる国道で、岡山=鳥取の県境から鳥取市に向かう部分に、長いバイパスが出来たと言う。
 これまでなら、3-40分はかかる所が、10分くらいで行けるらしい。丁度、鳥取砂丘で砂の彫刻祭りがあるので、行って見る気になった。


 砂丘の観光地から海岸線を約1.5km東の砂丘の林の中が会場でした。大きな10体の砂像はすべて外人の作家で、小さなものが5体は日本の協会の手になった。

左は因幡の白兎と大国主命。
右はイブが禁断の木の実を、蛇の勧めで手にしている。この時から人類は地上に放り出された。





インドのヒンドウー教の神ガネーシャである。人身の姿で象の顔をしている。シバ神の子とされ、仏教では歓喜天として信仰されている。


  このガネーシャ神は、ヒンドウー教の最高神シヴァ神とパールヴァディー女神の子どもで、最も庶民に親しまれる神である。
 智慧と思慮分別に優れた神で、富や繁栄をもたらし、障害を除去し、幸運をもたらす神であるという。いわば万能の自在神である。
 それがどうして頭が象かというと、パールヴァテイー女神の身体の垢をこねてガネーシャを作ったと言うから面白い。
 パールヴァテイーが入浴をするので、ガネーシャに見張り番を頼んだ。そこへシヴァ神が家に帰ってきて覗くので、ガネーシャは抵抗をしました。怒ったシヴァ神は彼の首を切り落とし、遠くへ投げてしまいました。
 後になって、その子どもが自分の子であることを、パールヴァテイー女神から聞き、首を捜しに西の方へと出かけますが、見つかりません。

 そこで、シヴァは、最初に出会った象の首を斬って持ち帰り、ガネーシャに付けた言います。
 




左:右の牙が折れていますが、シヴァ神に斧を投げられた時に、片方だけで受け止めたときに折れました。両方の牙で受け止めると、父の意思に逆らうことになるという考えだったそうです。
右:頭上の男女2人の神は、シヴァ神とパールヴァテイー女神でしょう。








オーストラリアのアボリジニーを象徴するタワーである。上部にカモノハシがいる。下のほうにはカンガルーがいる。






会場の正面にあるテーマ砂像は「世界の童話」を表わす3つの作品。




カボチャの馬車に乗ったシンデレラ。
上のほうでは、グリム童話のラプンチェルが塔の窓から髪の毛を垂らして王子を迎えています。






小人国のガリバー。
上の方はジャックと豆の木。




左:「さまよえるオランダ人」という名の像。のろわれた船長は、娘ゼンダの死をもってする愛に救われます。
右:ドンキホーテ







左:裸の王様    右:白雪姫








左:マッチ売りの少女(炎の中のおばあさんと少女が抱き合っている)
右:アリとキリギリス






ポスターより。この中でblogに何個がアップされたでしょう?




PS:砂像の製作工程です。

鳥取砂丘3(花たち)

2009-05-27 | 自然界
砂丘の砂地に生える植物といっても、砂丘を人に優しい姿にするための植栽も多々ありますね。

 本来そこにある植物と、人の植栽になったものとが、それぞれ、しっかり定着しているようです。

ハマダイコン2つ。色が変わってくるようです。






すでに、種子がついています。生命力が強いようです。






驚きのトラノオモドキ?ですね。空中でのた打ち回っているような感じがします。






これはクロバナエンジュ、通称イタチハギ。マメ科です。北米・メキシコ産だそうで、砂漠の環境でも適合して育つようで、おそらく砂丘対策として輸入されたものでしょう。





江戸時代からある、砂丘の植林はクロマツです。雌花が先端につき、2年後にはマツカサとなることでしょう。





ニンドウ。

 砂丘の厳しい環境で、冬でも葉がしおれることのない忍冬といわれます。スイカズラとも言われ、解熱・利尿などの漢方薬になる。
初めは白くて、やがて黄色になる。






トベラ。海岸地方に育つ。砂丘の厳しい環境に育つので、世話の届きにくい公園とか、垣根とかに植えられている。花はいい匂いがする。




シャリンバイ(車輪梅)海岸性の潅木で、白い梅のような花をつけ、いい香りがする。バラ科。




ハマヒルガオ。大きさは数cmですが、群生して咲くと壮観です。(08.5/25ハマヒルガオをアップしています)



鳥取砂丘2(ジオパーク)

2009-05-26 | 自然界
何と先日行った丹後半島の「経が岬」から始まるジオパークの対象になる海岸線があった。


鳥取大の砂丘研究室の掲示板からの図版である。




ラムサール条約というのがあるが、それの自然環境保全版という感じである。
日本ジオパークの対象区域は、どれも文明の汚染が少ない地域が入っている。








この制度が適用され始めたのが昨年で、まだ1年が過ぎていないようである。山陰海岸の複雑多様な海岸線は、昔から風光明媚な地形として、人々に関心がもたれている。気軽に人が近づけないような場所が多く含まれている。





山陰海岸国立公園が、すっぽりと入る海岸線付近。長さ直線で130kmくらいか。





日本列島形成前からの花崗岩の露頭もあるようだし、海食洞・海食崖・砂浜、入江などなど、奇岩奇勝目当ての観光船も2ヶ所で就航している。







変成岩の侵食や、陸地の端が海中に呑み込まれようとしている岬などなど。左の写真で中央下部の白くなっているのは、電灯の反射。


鳥取砂丘

2009-05-25 | 自然界

昔から、春の霞は風情を楽しんで生活の中に生きていましたが、最近のひどさは霞を愛でるという物じゃあなくなっている。

 高速道路の使いやすさで、鳥取砂丘まで午後からのドライブだった。鳥取大学の砂丘研究所の展示があった。


砂地だけが、黄砂の原因ではないそうである。






黄土高原だけで、ないようである。数字のデータはマイクログラムμgは1万分の1グラムのことである。それが1立方mの中に含まれる、黄砂の分量である。






確かにこの現象は増えている。






黄砂でも、すべてが悪者と言う訳ではないとも書いてある。





黄砂の正体である。

伏見5(御香宮神社)

2009-05-24 | 歴史・文化遺産

歴史の香りを色濃く残す伏見の町である。



赤で丸をつけた場所が、アップしているところです。





↑の地図の右上にあるのが御香宮(ごこうのみや)神社である。

 境内には伏見の酒を作る湧き水があり、名水100選になっている。

 伏見の町の地下水脈は、各所で湧き出し。そこに酒造業が発達した。酒所の伏見である。





左:拝殿に向かって左手の湧き水は誰もが汲んでいく。
右:もともとは本殿の右隣りにある井戸であったという。








左:昔、使われたラベルである。当時、超モダンだったに違いない。
右:この壜は、曰くつきの古さを持つ月桂冠の一升瓶。







 伏見桃山の戦いは、ここが戦場になった。一つは鳥羽方面、更に伏見の戦いは大きな戦いであった。
 御香宮神社が尊王派の、長州・土佐・薩摩の陣となった。
 一方、幕府軍は新撰組も含めて、伏見奉行所に陣を構えた。

 戦いを決めたのは、大砲であったという。神社から、奉行所を砲撃したことが決定的であった。

このパネルは、城南宮の西、国道1号線を越えたところの戦跡に立っているものである。 

敗れた幕府軍は、大阪の港から軍艦に乗って、江戸へと向かったのであった。

伏見4(坂本龍馬)

2009-05-23 | 歴史・文化遺産
坂本龍馬は、暗殺集団の襲撃をいち早く2階の龍馬に知らせた「お龍」と結婚をする。

 2人は新婚旅行に、お龍のふるさと、霧島神宮を訪れたと資料にある。同神社の見晴台には、絵看板で紹介されている。

文面以下の通り



 寺田屋の襲撃を逃れた坂本龍馬はその2年後、京都の近江屋で暗殺される。中岡慎太郎とともに、そのブロンズ像があり、2人の墓所がある。
 

 明治の政変で命を落とした人の大部分が、葬られている東山霊仙護国神社に、龍馬は眠っている。





墓所の立て札。

伏見3(寺田屋)

2009-05-22 | 歴史・文化遺産
伏見の船宿、寺田屋は江戸時代末期、幕藩体制が尊王派の武士によって揺さぶりがかけられた。

 この薩摩藩定宿の船宿が2回歴史の舞台で脚光を浴びる。

 1回目は寺田屋事件といわれる。文久2年(1862)4/23のことである。新暦の5/28だったという。

 過激な尊皇派の薩摩藩士が、京都所司代酒井忠義邸を襲撃するために、寺田屋に集結した。
 それを見た薩摩藩主島津久光は、過激さゆえに彼らを粛清したのである。これが俗に言う寺田屋事件である。薩摩藩同士の戦いで尊皇派の一派は挫折した。

 2回目は
 慶応2年(1866)明治維新の2年前である。土佐藩郷士坂本龍馬は薩摩と長州の同盟に奔走し、この年の1/22に同盟が結ばれた。その夜、ここ寺田屋に宿泊していた。

 1/23の未明AM3:00に、伏見奉行の捕り方が、龍馬の暗殺を狙い、寺田屋を襲撃した事件である。
 龍馬はぐっすりと寝込んでいた。その時丁度、階下で入浴中であった龍馬の未来の妻「お龍」は、気配を察し、裸のまま階段を駆け上がり、急を知らせた。

 一瞬の間に戦いの準備が出来た龍馬は、ピストル5発で対抗し、更に獅子奮迅の活躍であった。それにひるんだ敵の隙を見て裏口から逃げ出した。

 その際、左手の指を負傷し、それ以来動かなくなったという。

 龍馬は、この後、大政奉還に尽力したが、寺田屋事件のあった翌年、京都の近江屋で中岡慎太郎とともに、幕府見廻り組に殺害される。享年32歳。
 


旅籠「寺田屋」の隣の土地を、土地の地主が京都府に寄付し、庭が完成した。





お登勢は寺田屋の女将で何くれとなく龍馬の相談相手であったという。

なお、現在も旅籠として旅館業を商っている。




左:槍を構える長州藩の三吉慎蔵とともに、短銃で戦っている絵画。
右:本物かどうかははっきりしないが、それらしい短銃が、龍馬のいつも使う部屋に展示されている。







左:2階の座敷の間取り、奥の肖像画のある部屋に泊まっていたという。
右:外の道路から直ぐに豪川が流れる。





お龍(りょう)の入っていた風呂と、急を知らせて駆け上がった階段。





お土産の中でも、このような文の色紙などがあり、尊王の志士の心意気が感じられ味がある。

柱に刀傷などがあるが、鳥羽伏見の戦いで寺田屋の建物は一度焼失している。