昆布が美味い

羅臼の昆布漁を見た時にスタートしたblogです。昆布のダシのように、人生の旅にも味付けをしたい。旅を中心に纏めています。

おやっ?

2013-03-31 | 歴史・文化遺産
自宅からドライブで1時間少しで、こんな風景があります。
ドイツのミュンヘンからほど近く、中世の城郭です。
ノイシュバンシュタイン城です。ドイツ観光では必ず立ち寄る美しい城です。
3年ほど前に出来たそうで、以前に来た時は見かけなかったものです。

実物大で、各部屋ではイベントがありました。

春の夜の公園

2013-03-30 | 話題
春宵一刻値千金とか。夜の桜を訪ねました。

最近、ちょっと気になっていたイカナゴの釘煮とチリメンジャコの両者を買い揃えてきました。
先ずは、原材料がカタクチイワシの「ちりめん」がこれです。大根おろしで醤油をかけたりしますね。






そして、イカナゴの稚魚、通称「新子」です。



チリメンによく似ているが、イカナゴの稚魚です。




これは醤油で炊く通称くぎ煮です。イカナゴの稚魚です。大きくなるのを待ってから食べればいいのに…。





夜の公園はウオーキングのコースです。河津桜は葉が出てきても花はまだ健在ですね。



レンギョウなどは花が咲かないと気付きませんね。




ハクモクレンも長期間頑張っているのもあります。豪華な花ですね。



花は終わりかけのハクモクレンです。花芯がホオノキのように太いですね。




ソメイヨシノ。世間では今が盛りですね。冬に植木屋さんが来て、梅の木の様に枝切りをしていました。




これがなんとジュウガツザクラです。花はやがて散り、10月になるとまた咲きはじめます。




庭の隅で、葉隠れのシュンランが咲いていました。


梅小路公園

2013-03-29 | 話題
六孫王神社がJRに境内を削られたが、そのJR東海道線を挟んで向こう側が梅小路公園になっている。
かつての国鉄の操車場であった。



JRの電化が完了し、合理化も進み、広い操車場は不要になった。
その跡地が梅小路公園になり、多くの市民の憩いの場になった。




今はC62の蒸気機関車が汽笛を鳴らしながら動いていたのだが。どうもこのSLはそれらしくないですね。




東の方向には京都タワーが望まれる。




新幹線も近い。




公園の一角に静かな庭園がある。平安遷都1200年の記念行事として完成したという。





日本庭園でありながら、階段状に並ぶ池の水面は、新しい日本庭園の姿かも。



桜も満開に近かった。



左:シダの新芽が出かけている。右:この桜はまだ蕾です。
 

清和源氏の祖を祀る

2013-03-28 | 歴史・文化遺産
宮中で、人が増えすぎたのかも知れません。
天皇は多くの女性と交わり、その子たちが増えすぎて、地方からの租税の収入だけでは賄いきれなかったのかも知れません。
公卿たちを宮中の外に出す動きがあったかも知れません。

下野した皇子たちには姓名が与えられ、彼は源氏の姓を賜った。
清和天皇の六番目の孫が源の姓を貰い、源経基(つねもと)を名乗り、この地に住まいし、後にはここに祀られている。




神社のパンフによれば、源経基(六孫王)の子、源満仲が住まいし、後に摂津の多田郷に本拠を据えたのでした。





広かった境内が新幹線の開通により、広大な境内の敷地が、現存する僅かな広さになりました。
徳川が源氏の流れであったから、石灯籠など、諸大名が寄進しています。




神社の系図を見ると、満仲の子らが、諸国に散らばって行き、それぞれ河内源氏・奈良の大和源氏などなど全国に広がって行った。
中でも、この系図を見ると頼信の河内源氏系列は、頼義ー義家ー義親ー為義ー義朝…と続き、鎌倉幕府をつくりますね。





さて、六尊王神社の祭神についての記録があります。

台座の牡丹の花が、ここの神社の紋章になっています。




右は、当神社の神輿の蔵の紋章です。
 




サクラは、この時はまだ1分咲きですね。




六孫王の人となりなどについての表記がある。字が小さいですが、なかなか詳しいですよ。





境内にあったこの桜は、一本の木から紅白の花が咲いているようである。(源平?)



白い椿ですね。源氏の白旗でしょうか。



高架の線路で敷地を削った新幹線700が走る。音は静かですね。


祇園の黄昏

2013-03-26 | 旅の風物
サスペンスドラマに出てくる祇園の花街です。
この時間は祇園の朝のようなもので、観光客ばかりが目立ちます。色町はまだ眠っています。




街並みの保存地区が赤のラインで囲まれています。




その中を流れる白川は、水鳥が遊びます。アオサギとカモの親子が見えます。






白川の流れに沿ってお茶屋さんが軒を連ねます。今宵も花を見ながら酒宴が催される事でしょう。





観光客の着物姿は近年流行してきました。人力車に乗って祇園見物ですね。
この日は西洋人の観光客の和服姿も目立ちました。





ここらあたりの店で、京料理を前にして桜を愛でるのもいいかと…。




濃淡の二種類の桜が、綺麗ですね。




折りしも「十三夜」ほどの月が、輝き始めました。


春のドライブ散歩

2013-03-24 | 話題
たとえ、それにPM2.5が混ざっていようとも、気温の上昇ぶりを見ると、春たけなわのシーズンに入りました。
柳の新芽が柔らかな さみどり色を発色しています。



夕刻街燈に浮かび上がりました。




いつもの公園では、ジュウガツザクラとハクモクレンとユキヤナギが満開で、今年の早かった春の訪れを感じます。




このハトとはもうお馴染みです。向こうは気づかないでしょうが。


車で、今日は西へ向かいました。

最近よく見かける赤い馬酔木(あせび)が満開ですね。




シュモクレンでしょうか。



逆光に浮かび上がる兵庫大仏です。太平洋戦争で金属回収で供出され、再び再建された大仏です。
仏師西村公朝氏の設計です。
大河ドラマの昨年は、訪れる人は絶えることがなかった。ガイド付きでした。

戦前の大仏の写真がどこかにあるので探しましたよ。
明治の初め、兵庫の素封家が私財を投げ打ってできたものです。
当時奈良と鎌倉と兵庫で三大仏と言われていた。





神戸から更に西へ、明石大橋の見える垂水漁港でイカナゴを求めました。
 



垂水漁港にほど近く、いつもの寿司屋を訪ねましたとさ。三十数年前と変わっていませんね。



鵜の瀬(お水送り行事)

2013-03-23 | 歴史・文化遺産
3/13に始まる東大寺二月堂のお水取りの行事に合わせて、
3/2日に若狭の国から御香水(ごこうずい)を送る行事が行われます。
そうなった理由を良弁和尚に語ってもらいましょう。

魚釣りをしていて、東大寺の行事に参列するのが遅れたと言います。



3/2日の夜中に松明行列が神宮寺の井戸からここまで並びます。




資料館にあった写真です。身を潔斎した白装束の僧が、川に御香水を流しています。



ジオラマが出来ています。不気味なまでに、真っ白で俗気を祓います。

列の後方では、このことを神に伝えるべく、ほら貝を吹き知らせます。




川の流れがカーブをしている所が水中洞窟があると言われている所です。





川を渡って「鵜の瀬」の標識板です。古来から若狭の国は御食(みけ)の国と呼ばれる。





昔の鯖街道に面して、古い時代の「神明鳥居」がある。





鳥居をくぐって川の岸辺に近寄ると、対岸に香水を川に流し込む時に使う岩石が見える。




直ぐ左側に、水中洞窟があると言われる淵がある。
鵜が潜って行って二月堂の井戸に10日後に出現したそうです。





食(け)の国若狭は箸の生産もある。マイ箸などの体験できるところもある。
以下の話面白いと思いませんか。



若狭神宮寺(お水送りの寺)

2013-03-22 | 歴史・文化遺産
若狭彦神社から川を遡って1-2㎞、国宝を持つ神宮寺の北門(仁王門)に着いた。
ここを抜けて本堂までは2-300mのよく整備された参道を行きます。



和銅七年(714)神仏両道の寺としての創建と言う。




若狭神宮寺の入口の門である。




明治の廃仏毀釈の波がここにも押し寄せ、巨大な伽藍配置は衰退し、
この本堂をメインとする建物など数棟を残す。




十一面観音と薬師如来が鎮座する。

左:香水を奈良二月堂まで送る鵜の瀬の明神の名もある。 若狭彦と姫の名も見える。
右:境内には茶室も用意されている。和尚の客への心遣いか。
 



本堂の前の庭の端には護摩の井桁が見えます。3月2日のお水送りの行事の賑わいが目に浮かびます。





護摩の井桁の背後に、小屋掛けをした井戸があった。



左の竹の簀がある所が源泉である。ここの水こそは、東大寺の二月堂のお水取りに使う湧き水である。
  



東大寺のお水取りの行事と似た「だったん」などの行事表が見える。3/2のお水送りの行事である。