こんにちは。
お盆明けの日曜日です。
今日もええ天気。
昨晩は扇風機だけ(クーラーなし)で寝ましたが、寝れましたよ。
暑い暑いと言いながら、ちょっとだけ爽やかに思うのはあたしだけですか?
さて、お盆中の出来事を書き留めておきませう。
13日から15日の間は、生き仏のじいちゃんばあちゃんが主人公でした。
あちらからの迎えも送りもありませぬ。
迎えなくてもいるし送らなくてもいます。
それはきっと、とても不思議でありがたいと思われます。
(故人は迎えないと来れないのかな?送らないと行けないのかな?とふと思いました・・・彼らに意思はあるんだろうか?)
そんな中、姉たちも来てくれて、

あれこれと動いてくれました。
(奥・ばあちゃんが何やら手元の細かいものの整理を姉に頼んでいます。手前・じいちゃんがあたしの撮った旅行の画像をパソで観ています・・・二人共、そのまま安らかに逝ってもおかしくないと思うPでした・・・いつまでもお元気で・・・)
動けない二人の代参で、お墓参りもしてきました。
平和公園へ母方の先祖のお参り。
そして、水子のお参り。
親にもあたしにも、水子がいるんだよ。
お母ちゃんには、辛い思いをさせました。
・・・どうぞ、安らかにいてね。
8月は終戦記念日も相まって、死んだ人を弔う時ですね。
それは、死を考える良い機会だと思います。
死ぬ意味は、実はよくわからん・・・
この頃のことに、散歩をしている任坊山で、セミがコロコロと死んでいる。
あぁ・・・お前、いずれのあたしじゃん・・・と思っています。
意味があってもなくても死ぬのがあたしの定めですので、死そのものには意味がないような気がしています。
ただね、そんな儚い命とわかっているから、せめて今生の命はほとばしらせたいと思う。
それも・・・、なんでかなぁ・・・?
それも、意味はよくわからんですね。
55歳になる今まで、実はそんなことを考えてきたですよ。
そして、ひとつだけわかったことがある!
しょれは・・・
どうやら人間として生まれたことは、すごいらしい!
・・・どやね?・・・すごくない?
命の意味を考えることができる人間として生まれたあたしって、すごいじゃん!
・・・ということだけは気がついた。
死ぬことに意味はないかもしれんけど、生きるあたしの命の意味は考えられる。
命の活かし方は、あたしが采配できる。
だったら、活かしたろうやないか!
それが目下の結論ですの。
あたしがどう生きるか?
という命題には、条件があるんだね。
そんなあたしには、こんな世間が用意されていますというご縁という条件。
大きく言えば、それはたまたま戦時中かもしれません。
小さく言えば、ひどいお客様に巡り合って、損をしたかもしれません。
でもね、あたしはこんな言葉を聞いたことがある。
「そんなあなたにちょうどいい」
今のあたしに、会うべくして会ったご縁なのかもしれません。
それもまた、活かすかどうかはあたしの采配。
・・・
活かしてやろうやないかい!
うまくいくかはわからんよ。
思い通りにはならんでも仕方がないのよ。
そうではなくて、死ぬときに悔いがなければええのさ。
死んでコロンところがっているセミは、見事思いのままに鳴き尽くしたかな?
それであれと願っています。
・・・
お盆の雑感ですた。
お盆明けの日曜日です。
今日もええ天気。
昨晩は扇風機だけ(クーラーなし)で寝ましたが、寝れましたよ。
暑い暑いと言いながら、ちょっとだけ爽やかに思うのはあたしだけですか?
さて、お盆中の出来事を書き留めておきませう。
13日から15日の間は、生き仏のじいちゃんばあちゃんが主人公でした。
あちらからの迎えも送りもありませぬ。
迎えなくてもいるし送らなくてもいます。
それはきっと、とても不思議でありがたいと思われます。
(故人は迎えないと来れないのかな?送らないと行けないのかな?とふと思いました・・・彼らに意思はあるんだろうか?)
そんな中、姉たちも来てくれて、

あれこれと動いてくれました。
(奥・ばあちゃんが何やら手元の細かいものの整理を姉に頼んでいます。手前・じいちゃんがあたしの撮った旅行の画像をパソで観ています・・・二人共、そのまま安らかに逝ってもおかしくないと思うPでした・・・いつまでもお元気で・・・)
動けない二人の代参で、お墓参りもしてきました。
平和公園へ母方の先祖のお参り。
そして、水子のお参り。
親にもあたしにも、水子がいるんだよ。
お母ちゃんには、辛い思いをさせました。
・・・どうぞ、安らかにいてね。
8月は終戦記念日も相まって、死んだ人を弔う時ですね。
それは、死を考える良い機会だと思います。
死ぬ意味は、実はよくわからん・・・
この頃のことに、散歩をしている任坊山で、セミがコロコロと死んでいる。
あぁ・・・お前、いずれのあたしじゃん・・・と思っています。
意味があってもなくても死ぬのがあたしの定めですので、死そのものには意味がないような気がしています。
ただね、そんな儚い命とわかっているから、せめて今生の命はほとばしらせたいと思う。
それも・・・、なんでかなぁ・・・?
それも、意味はよくわからんですね。
55歳になる今まで、実はそんなことを考えてきたですよ。
そして、ひとつだけわかったことがある!
しょれは・・・
どうやら人間として生まれたことは、すごいらしい!
・・・どやね?・・・すごくない?
命の意味を考えることができる人間として生まれたあたしって、すごいじゃん!
・・・ということだけは気がついた。
死ぬことに意味はないかもしれんけど、生きるあたしの命の意味は考えられる。
命の活かし方は、あたしが采配できる。
だったら、活かしたろうやないか!
それが目下の結論ですの。
あたしがどう生きるか?
という命題には、条件があるんだね。
そんなあたしには、こんな世間が用意されていますというご縁という条件。
大きく言えば、それはたまたま戦時中かもしれません。
小さく言えば、ひどいお客様に巡り合って、損をしたかもしれません。
でもね、あたしはこんな言葉を聞いたことがある。
「そんなあなたにちょうどいい」
今のあたしに、会うべくして会ったご縁なのかもしれません。
それもまた、活かすかどうかはあたしの采配。
・・・
活かしてやろうやないかい!
うまくいくかはわからんよ。
思い通りにはならんでも仕方がないのよ。
そうではなくて、死ぬときに悔いがなければええのさ。
死んでコロンところがっているセミは、見事思いのままに鳴き尽くしたかな?
それであれと願っています。
・・・
お盆の雑感ですた。