富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

複雑で、多元的な思考は、概念図では単純化しすぎる

2020年06月01日 | Weblog

この例題では、冷房機を説明に用いる。まずコストパフォーマンスからの視点がある。次に、機械そのものの性能の問題がある。最後に、代替えの手段はないかも考える。これは、実は、まだ多元思考ではない。まず、解決したい課題はなにか?そのニーズは、関係者のすべてが、どんな解決を期待しているのか?関係する人々の感じ方は、どこまで単純化できるのか?つまり、ヒューマンの位相からスタートしないといけない。例えば、最適の冷房の温度は、何度から感度までというような体感が多様な角度から切り込むと正解から離れる。複雑多元な人々の体感温度には、全員に最適な唯一の値はない。そこで、温度調節は、体感温度の調節であるから個人の服装の多様化でカバーできる。温度に限っていえば、いわゆるOfficeでは、この程度の単純化は、当たり前すぎる。しかし、空調機のメーカーでは、市場ニーズを深く掘り下げた場合、空気と人間の関係は、皮膚の体感温度ではなく、人間の肺臓が炭酸ガスを排出し、酸素を取り込む生理機能に着眼すると、そこには健康・医療・保健の潜在市場がみつかる。それと、外気との関係である。こうなると、電気機器としての空調機は、むしろ地域環境や建物の全体設計の環境技術という、過去は別次元の問題領域と重なりあう。武漢のように外気に汚染原因のある都市、漢口市街のように人間の側に汚染原因があるという視点、外からの汚染の侵入を防ぎ、なおかつ、内部の人間が発する呼気からの汚染は、閉鎖空間では、正常な肺臓の機能の不調をまねく。こうしたことは、概念の言語では単純化できるが、実際には現場での臨床の分析が欠かせない。ところが、日本の大学の工学部では、建築と機械、電子など細分化が進み、それぞれが細分化された部分最適しか教育されていない。結局は、工学の問題ではなく、人間社会科学の頂点にたつ経営科学の次元で総合化を図らなくてはならない。全体最適のためには、部分最適が飛び出してはいけない。それでも、議論は整理すると単純化の弊害は残される。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする