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「詩経」にみる「邑」の事例

2018年02月10日 | Weblog

BigData処理は、ありがたい。「毛註詩経」の逐字索引のおかげで、1文字ごとの検索ができる。これにより、「詩経」の詩の本文には、「邑」という文字は4か所に使われていることが分かる。ここからが、素朴な意味での「頭脳」の役目である。普通名詞と固有名詞とに分類すると、普通名詞が3例、固有名詞が1例となる。問題は、「邑」という普通名詞が、別の語とどのような統辞関係にあるか?である。すると、「作る」という動詞の目的語として「邑」の事例がみられる。「作邑於(地名)」という統辞が導かれる。そして、地名プラス邑の統辞となり、固有名詞としての邑も用例につながる。「作邑於(地名)」の統辞は、言語学の解析では、動作主の主語が省かれている。それは、政治制度における「周王」の「宗法性」の封建という行為により、〈「地名)に邑を作らしむ〉という統辞が基本形であるといえる。これは周代の青銅器の銘文を分析しても、同様なことがいえる。

松井嘉徳「周代国制の研究」汲古書院は、青銅器の銘文から、周時代を「邑制国家」とか、「都市国家」という形而上の名辞を用いてきた学界に主流に対し異論をとなえ、官職の制度による国家だと主張した。これは、周王朝が大秦帝国・大漢帝国という後世の国家の形態の違いを表すために、後の「郡県制」の対し「邑制」と提示し、後の大領土国家である「古代帝国」に対し、周王朝をギリシャとの類似性から「都市国家」論が提示されたという背景を無視した議論をしている。ただし、松井さんは、官僚制の制度機構が国家であるというのは、中国を論じる最も基本となる官僚制国家論である。それは、現代まで通底する理論となる。だから、周代を「都市国家」論で説明しても、「邑制国家」論で説明しても、歴史の短いスパンでは妥当であり、松井さんは自説をそれらに対置する反対論として主張するべきではなかった。現代史をきちんと学べば、松井さんはマックス・ウェーバーの「家産官僚国家」論の起源を論証したことになる。責任は、博士論文の指導をした教授の視野の狭さが、中国の関する社会科学研究における大実証の意義を決定的に薄めているところにある。また、松井さんも古代史バカである。習近平政権をいかに分析するか、この現代史の感性から、松井さんの研究の郷淮さを惜しむ。「邑」は、王から「家産」として分権され、「邑」の内部にも官僚制度が再生産されるのである。

 

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