「分数」の計算でつまづくと、「分数」の「峰」が超えられない。ここで、日本人は明解に正規型教育のはしごを登れる限界である偏差値50の「分数峰」ができる。不幸にも比例を表す概念としての分数を、細かく分けるという分数として形而下では理解できるが、形而上の比例としては理解できない。この壁が「分数峰」である。1990年、大蔵省が日本経済をバブルとして急速なインフレを恐れ、極端な金融引き締めをした結果、資産デフレの転じたために、国民の総資産の国際比較価値を大幅に低下させた。そこで、新自由主義の自己責任社会が導入され、全員を定年まで機械的に雇用する人材と、市場でスポット採用する人材との両極へのふるい分けをおこなった。これは、経営のようででもあるが、最初の「分水嶺」を超えて以後、高等教育の訓練を受けてきた人材群にいる集団的なイジメとして「非正規枠」の固定化が制度化された。これが諸悪の根源であると決めつけた議論には、それなりに問題がある。なぜなら、東アジアには、「分数峰」を超えた優秀な人材が、日本人の年収よりもはるかに低い水準で働けるので、「正規派」は東アジア労働市場と同期し、それを基準に分別がさらに強まった。これは、経済社会おける基本原理なので、同様の問題は、アメリカをも直撃し、アメリカ白人社会の「分数峰」を超えられない社会層の没落を演じた。ここへきて、インドが見事に農業革命に成功し、英語教育と数学教育の成果がみのり、数学を英語でこなす人材を世界市場に大量に供給するようになり、ついに、日本の国民教育の優位性は崩壊し、日本の先端企業は人材の国際化を通じ、土着日本と決別した。これが中核270社、先頭集団400社の壁である。富山県の教育は、数学と英語とを一体化したシンガポールの姿、インド式数学教育をから学ばないと、先頭集団400社には入れない。一橋、東工大、東京外語、東京電通、早稲田、慶応、上智、大阪大学というのが最先端であるという啓蒙を広めなくてはならない。
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