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経済3原理の日本と中国との比較

2016年08月29日 | Weblog

TMA講師代表:個人研究 経済3原理とは、国家財政を基軸とする「指令型経済原理」、企業活動を主体とする「市場型経済原理」、非営利のコミュニティによる「互恵型経済原理」を指す。この理論は、中村哲夫富山県における地域創成のために創案したオリジナル理論である。

 どの国の歴史でも、この経済3原理の均衡と対立で説明できる。中国の清朝時代は、基軸通貨の銀貨が民間の金融・両替の業界ギルドに委任されていたため、「指令型経済原理」は弱体であった。日本は、徳川幕府が、金・銀・銅の市場原理による国際比較価格の変動の情報を把握しながら、指令型経済原理により貨幣の流通量を増やしながら、貨幣の価値を下げる健全なインフレを実施し、江戸を世界一の都市に育てた。明治維新により銀行券を基軸通貨とする改革に着手し、日清戦争で改革が完了する。この時点で、中国清朝にも朝鮮半島にも、政府の指令型経済原理による中央銀行制度は存在しなかった。それが国家の独立性が失われた内在原因である。中国人はその原因を知り自己改善した。朝鮮儒学は、孔子の思想を「利を遠ざけ義を重んじる」と誤読してきた。その差異が今に及んでいる。

 日清戦争の時期、世界の金の価格が高騰し、銀の価格が3分の1の下落し、清朝は金建ての対外債務負担が3倍に膨らみ、国家指令型経済原理が機能せず財政破綻し、清朝政権は崩壊した。この金銀価格の変動は、西欧の工業製品の価格が高騰し、東アジアにおける自律的な工業生産の可能性を生み出した。そこで、原材料、燃料(石炭)を東アジアで調達する「北東アジア産業ロジスティクス」を立ち上げる大経済変動が起こされた。最初は、マッチ、紡績などの軽工業であった。次に、製鉄を軸とする金属系のインダストリーであった。これを通信でカバーしたのが、日本国産の技術である電信網である。

 この東アジア工業圏のなかで、日本の産業体と政治的、経済的に協調しながら、対抗したのは、鄭観応という思想家であり、上海の金融ギルドである。上海を拠点に、民族産業資本が発達した。彼らが切望したのは、中国市場に絶大な指令型経済原理を運用できる中央政府の創設である。 

 このたび、G20を杭州で開催し、国策通貨基金の基軸通貨として人民元が採用され、上海の金融界に百数十年に及ぶ夢がかなった。しかし、市場型経済原理はその機能を発揮しておらず、まして、互恵型経済原理は機能していない。中国を軍事優先の指令型経済原理のみが突出する国家のままで追い込むことは、日本のように経済3原理が合理的に均衡している国家には、中国の対し50年程度のアドバンテージが見込まれる。中国共産党は地域社会で無償の互恵型経済原理による地域創成を始めたなら、大変な強国となる。日本は、中国とのゲームでは、実はまだサーブ権がある。彼らは、指令型経済原理への一元化は、自己崩壊を招くのだと気づいてはいるが、市場型経済原理の担い手におけるマネジメント力の優劣が、日中の真の国力の差である。

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