富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

指導者の系譜の見分け方

2017年08月25日 | Weblog

人間は、一人では成長できない。いわゆる学校教育の範疇に属する世界では、師弟関係がある。その外側では、一人で新たな道をゼロから創成できない。たとえば、世界の近代史を研究するには、アダム・スミスを徹底的に読みことだ、と教わった。それは、国民経済という概念が、経済史の世界における近代の原点であるからだ。人権を基点とする法学の思想は、家族を個に解体するもので、いまでも盛んに行なわれている近代論である。だが、他方で、弱者としての個の救済のためには、社会の善意のサポートがいる。それで、法理として個の尊厳を補完する社会善意という理論の対という互恵型経済原理と、制度としての指令型経済原理が伴っている。

この点を抜かりなく考察したのが、アダム・スミスである。これを見事に歪め、日本共産党の市民運動論を導いたのが、水田洋などの市民学としてアダム・スミス論。これは、それなりに指導者の系譜として、今や、名古屋大学経済学部を聖地とする市民主義学派を構成している。日本共産党は、いまや階級政党ではない。弁護士、医師、教師の「3つのシ」の政党である。だから、弁護士の枝野さんは、市民主義法学、市民主義経済学として、それなりに形がつく。

国家学は、戦後は、京都大学法学部の高坂さんを指導者とする系譜が最有力である。前原さんは、その流れを汲む。これらの方は、時に過激な言論で注目を浴びようとして失敗する。国家の戦略利益への奉仕を目指すが、経済学が決定的に弱い。国家戦略は立てられても、国家間の対立を重視し、和解の策が弱い。

アダム・スミスをしっかり読むと、市民主義というのは、アダム・スミスに仮託した論理であると分かる。しかし、スミスが信を置いているのは、製造業の経営者だけである。市民一般ではない。つまり、経団連こそ日本の経済の推進力である。これは、日本国の体制の原理となっている。政治の世界では、宏池会、今の岸田派がそうである。歴史的に評価すると、アダム・スミスを正確に読み込み、GDPを基本とするスミス経済学の古典性も保持されている。簡単に、自由主義には加担しなかった。残念なことに、IT革命により製造業のIT化を思想として活かしきれないので、経団連は低迷している。

富山県では、製造業の経営者という点では、スギノマシーンの杉野さん、北陸コカ・コーラの稲垣さんが双璧である。富山マネジメント・アカデミーでは、伝統的な資産家よりも、この両氏が見えている世界に、次の富山の県民経済の基本形を見ている。その意味で、富山湾岸社会主義の苦渋にも、美しい富山湾クラブの楽天にも、同調しない。

 

 

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 時間制の定型労働と、成果単... | トップ | 日本の素晴らしい国民力は、... »
最新の画像もっと見る