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日本社会における「才女たち」の失権

2017年07月28日 | Weblog

いわゆる政界の「才女たち」が、このところ相継いで、失権している。名前を挙げて議論しない。単なる記号にして論じることができるからだ。「才女」の名声に惚れ込んで、重用したのは。まさしく婦人票、女性票を重視するためである。

この「才女たち」の扱いで、無失点なのは、公明党と共産党である。土台の婦人組織の基盤がしっかりしているからである。性別役割分担に関し、きちんとした理論的な伝統があるからだ。しかし、だからこそ、新規参加者が党内で影響力が発揮できないから、純粋性も保たれる。こういう思想哲学政党は、軸心となる鋼材である。回転軸としては、十年一日の同軸回転ができる。その役割は、左右の両陣営に力学的に必要だ。

他方、政権に届くには、広範な集票力のあるスター級の「才女たち」が求められる。いまのところ、日本で最初の宰相に一番に近いのは、小池百合子さんである。この小池効果が、他の「才女たち」の予選敗退を急速に告げている。

僕は昔、日本社会党の土井たか子さんを紹介されたことがある。大学生の時代だった。誰かの取り持ちで、屋台のおでん屋で飲んだこともある。彼女は、同志社大学の法学部の出身、日本国憲法という科目で、関西学院大学の非常勤講師を「定職」にしていた。僕は、神戸大学で厳格な学風で知られる東洋史学を専攻していたから、土井さんの学識の軽さに対し、私淑する気持ちは全くなかった。僕の「護憲嫌い」と「土井さん嫌い」とは、同義語である。無論、日本社会党に期待されながら、学問研究の面白さに価値を感じ、あの人たちとは袂を分かった。

大学院の教授の経験者として、「才女たち」の限界は、自分の限界に自分で気づくか否か、ここにある、と思われる。賢い才女は、引き際にも敏感である。賢くない才女は、才能の臨界点を知らないので、花火のように燃え尽きる。土井たか子さんは、宰相の道を避け、衆議院議長をもって幕を引いた。多少は、学問ができたからである。修士論文が書けたからである。小池さんは、国策の政客としては、筋金入りの右翼である。土井さんの選挙区からの巣立ちである。あの選挙区には、候補者以上の才女が固まっている。芦屋、西宮、宝塚である。

こうして、才女たちの悪口が書けるのは、75歳という年輪のお陰である。「女子、女子ねエ・・・」Wun・・・・

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