富山だけが、「日本海逆さ地図」と愛用している。その中心にあるのは、極東ロシアである。ロシア革命が起こり、亡命者が極東を経由し日本列島に移住してきた。日本は、シベリア戦争を行い、赤軍と戦ったが撤退。その後、イルクーツク湖のほとりで、ロシア語のできる中国人、朝鮮人が、日本人を誘い、極東の民族大会を開き、世界革命を極東からも推進することを決めた。それが、北東アジアにおけるコミンテルンの歴史を形成する。『初期コミンテルンと東アジア』(不二出版、2007)を参照。
これに合流する日本人の社会主義運動は、アメリカに起源がある。ロシア革命により、社会主義の総本山がロシア共産党、レーニン派・スターリン派に主導権が移る。この時代のコミンテルン極東局では、世界革命のためには、イギリス、日本を主要な敵として、日本をイギリスと戦わせるため、「反資本主義思想」「社会主義優位」を思想宣伝することを始めた。日本における最初の拠点は、東京帝国大学にあった。特に文学部である。国際共産主義運動は、英語ができないとだめ。そこで、白羽の矢がたったのが、旧制富山高校である。米騒動の前夜には、初期の富山湾岸社会主義運動が形成されていた。
極東の共産主義の理念上の祖国は、ロシアにある。この伝統を受け継ぐのが、北朝鮮労働党、中国共産党東北局、そして富山湾岸社会主義運動である。日本社会党(いまの社民党)には、労農派の系統の親ロシア派がいた。その最大の拠点は、新潟にある。だから、富山湾岸社会主義運動は、実は環日本海論と深く連動している。理論的な拠点は、東大のほか、東北大学の経済学部にあった。
では、誰の知事の時代に「日本海逆さ地図」が富山県で愛好されたのか、ここから先の犯人捜しは、関係者に委ねる。なぜ、ノーマルな日本地図がいけないのでしょうか?「逆さ地図」は、北朝鮮からみて、核ミサイル攻撃に最も便利なマップである。富山県は、なに国にあるのですか?