まず、勝利よりも、チームワークが優先されている。チームワークは、勝利のための部分最適なのに、それが全体最適に置き換えられている。それは、教育的な配慮である。学生スポーツとしては、教育配慮を最優先することは妥当である。けれども、それでは人生の目標の指導としては、負けに飼いならされることになる。勝利者の栄光は、スポーツの全体最適を評価する唯一の目標である。
サッカーでは、富山第一高校が全国優勝を手にしたことがある。原因は、指導者の力量ではあるが、使用する試合ボールが、基本、幼児から同じボールである。4歳から始めると、16歳では、12年の競技経験がある。さらに、プロ球団の育成チームのリーグへ、普通高校のチームが参加できることである。野球は、長くプロとアマの交流が厳しく制限されてきた。教育優先の思想の名残が、富山人の心性にとりついている。これは、指導者の年功序列の権威主義が保守できるからだ。他府県から優秀なコーチを招いても、教師たちからなる富山県高校野球連盟の役員たちの役員投票権という株式相互持合いの構造は変化しない。
次に弱い理由は、小学4年から硬球を使用するリトル・リーグが存在しないことだ。すべて、先に軟式の野球に体をなじませているので、高校1年生で初めて硬式の球を扱う。すでに、硬式球で6年の体験差がついている。富山の高校3年の夏、硬式球の経験は、わずか2年と3か月である。この経験値は、小学生並みである。硬式球への恐怖心が、投げる、打つ、補球する、全ての動作に不馴れ感が目立つ。軟式と硬式では、走塁も違う。球に当たれば、死ぬ、という恐怖を克服できていない。捕球も体から取りにいかない。バッティングも、体の軸心がぐらぐら、金属バットに回され、バットの振りに波動がある。これは、硬式に求められる体感と体幹が、まるで出来ていない。死と隣り合わせの恐怖心を克服するには時間がかかる。脳がなれる時間がいる。結局、学力も、競技も、不完全燃焼におわる。
学問もチームワークを要するが、僕の場合、コミンテルン史観、毛沢東史観との「死闘」を個人として戦い抜いた。真理は、しばしが常識や、多数派の思い込みの逆のところにある。死と隣り合わせ、そこまで人生の勝敗の場を絞り込んでいないと、不戦敗を予定調和する心性になじむ。それでは、自他ともに認められる達成は得られない。貿易に使用される通貨の形態変化、交換比の変動から、16世紀から現代までの世界経済史は説明できるし、今後も、その視点から歴史の先読みができる。さらに、顧客への商品・サービスの専業性と先駆性という市場行動がステージの変化をもたらす。コミンテルン史観、毛沢東史観では、予言は、武力でしか証明できない。敵対勢力である彼らが、武装する集団であるから、僕は命がけの学問をしてきた。勝つためには、血の叫びがいる。仲良く、ぬるま湯につかる精神こそ、敗者の哲学である。