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老いた親の介護、尊敬し逆らわない、手間がかかりも不満を言わない精神

2014年05月06日 | Weblog

 小生、夫婦ともども既に老いた両親が世を去り、論語の里仁篇の第十八章にある言葉から縁がなくなった。けれど、身の回りや、教え子の高年齢組は、老親の介護で神経をすりへらし、仕事にも支障があるようだ。加えて、自身の健康にも乱れが生じる。明らかに老害の被害を受ける。この問題は、孔子とその弟子にとり、悩みの種であったようだ。

 「子の曰く、父母に事(つか)うるに幾(ようや)くに諫(いさ)め、志の従わざるを見ては、又た敬して違(たが)わず、労して怨(うら)みず。」とある。要するに、老親に向かい、道理で説明し、説得するなんて余り意味がない。尊敬の気持ちだけを全面に出し、逆らわないようにする。面倒なことでもしてあげて、恨み言を老親に対しても、身の回りの人にも言わない。

 老父、老母が、天寿を全うすうよう、淡々と接すればよい。その姿は、自分の子供や孫も見ている。自分が余計なことをして、もう道理をうしなった老父、老母に説き伏せたり、自立した生活能力を求めても無意味である。

 介護の負担を減らすのに、介護施設へ丸投げしようとしても、老親は住み慣れた環境からは離れられないのが人情である。とはいえ、現役世代には、社会的な職業がある。

 そこで考えられたのが、ディリ―サービスの介護施設である。富山県の場合、プロの看護士さんたちが、自費と寄附で、養護を要する児童と、認知症の老人とが、昼間はおなじ施設で暮らす実験に取り組み成功した。国の縦割り行政の枠を壁を除き、効果的なディリ―サービスの仕組みを生み出した。これは、老親たちが、幼児期にすでに保育所の園児の生活体験があり、肉親からだけでなく地域社会からの育児を経験しているから、心理的に朝から夕方まで、お迎えのマイクロ・バスが来れば、入浴と昼食、そして仲間との交流を楽しみに出かけるようになる。持病があれば、提携の病院への送り迎えがある。

 そして夕方には、自宅、これは日本一広い居住空間に帰り、そこで夕食し、就寝する。夜を家族と過ごすことで、「敬して逆らわず」「労して怨まない」関係が保たれる。富山県人が、江戸時代から「論語」を長幼の関係に上手く活かしてきた地域文化の土壌のおかげである。浄土真宗と論語とが融合した地域文化、地域があり家がある、家があり地域がある、孔子のいう里仁の文化が無形に存在する富山の地を終生の場と選ぶだけの価値はある。

 

 

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