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「郷原は徳の賊なり」、お人好しは仁者ではない。(再改定)

2014年05月05日 | Weblog

「論語」 陽貨篇第13章、「子曰く、郷原は徳の賊なり、と」。孔子は、このように簡潔に述べる。

「郷原」とは、善人の意味である。現代中国では、「好好先生」というらしい。誰に対しても、「いいですね」「よろしいですね」と、八方美人のように立ち回るひとである。見かけは、善人なんだが、筋というものを通さない、それがために、仁徳の道理が常にあいまいにされる。それで、「徳」の「賊」と断定してまで、孔子はこうした八方美人を忌み嫌う。

 原は、原の下の「心」を書く「愿」の文字と同義だと、金谷治先生は解説する。「論語集解」では、偽善者と解釈されている。

 さて、なぜ「論語」には、このような攻撃的な言辞があるのだろうか?そもそも、郷や里の共同社会では、仁や徳は、美とされる。子供を躾けるのは、美の人に育てるためである。そこには、当然、モデルとなる立派な人物がおり、自然に、その行いを見習い成長する。

 そのとき、リーダーが筋を通さないで、右の人にも、左の人にも憎まれないように立ち振る舞うと、自ずと人望が集まる。当然、彼を有徳の人のように錯覚する。しかし、鋭い人は、それを「好人」(お人よし)と腹の底では軽蔑する。孔子の場合は、それを腹の中に収めないで、「あの賊め!」と怒りを露わにする。

 孔子は、大多数の「好人」からすれば、決して温厚な人ではない。好き嫌いの激しい人である。ある種の基準、すなわち仁の道筋に貢献するために、道理を究める人を大事にする。孔子は、「いいね!」を乱発しない。仁の道筋を真っ直ぐに探究する人のみを「君子」として敬愛する。

 現代日本でいえば、経済学の基本、経営学の原理をわきまえ、人を「成美」できるひとである。口をひらけば、民主、民主、分かりやすく、・・・という大衆迎合しない人である。 

 良き経営者は、きちんと筋を通す。だから、凡人には嫌われても、「論語」の精神を身に着けておれば、良き後継者には恵まれることになる。あたり障りなくなく、好人物として生きるのが理想だという人も多い。それが、あるべき人間社会への進化には、自然に害を流していることになる。好人物は、仁の人ではない、という人間観察眼に深い意味がある。

 

 

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