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音楽としての「詩経」の効用:「荀子」楽論の意義

2018年03月24日 | Weblog

不勉強なので、いまさらに「荀子」を呼んでいる。『論語』のなかで、孔子は「詩経」を学ぶ意義は、「文」にあると強調しているようにみえる。文字、言葉を覚える「小学」の役割があるからだ。「詩経」を暗礁しなさい、とまで言っている。しかし、音楽としての効用は、現行の「論語」には、ほとんど残されていない。「先進」は、殷王朝(商王朝)の音楽、「後進」は、周王朝の音楽だとわかる。これは、ともども「頌」といわれる賛歌である。「詩経」の末に、周頌、魯頌、商頌として配置されている。この音楽の教育の意義は、魯の隣国の斉の国で学んだ荀子が、きちんとした理論を述べている。音楽の効用として、身体に無形の「道」の存在を会得させる効果があると述べる。ところで、この荀子は、孔子の弟子である曾参、孔子の孫である子思、その弟子である孟子、特に孟子の間違いを徹底批判するとともに、孔子に反対した墨子にも果敢に反論する。面白みは無いが、「論語」と「荀子」とは併読すると、孔子の意図がわかり易い。そもそも、儒学は孔子に始まらない。すでに、斉の国の管仲の残した言動の記録から、斉の国に儒学の原型は誕生している。だから、儒学には、魯の国にある孔子の家の学問となった孔門の儒学と派別に、斉の国に始原する儒学があり、荀子は斉の国の儒の系譜を大事にする。「荀子」では、「孔子」という敬称と、「仲尼」という愛称とが、論の場面で使い分けられている。

このように整理すると、1500年の後に、朱子学において、四書を制定するに、「大学」「中庸」「論語」「孟子」という近世儒学の教科書は、儒学の正統とはいえないのである。特に、「孟子」は後の世において、民本主義という過激な民衆闘争に理論根拠を与え、また、墨子が東アジアにおけるマルクス需要の触媒となったことを考えると、朱子は、一面では、亡国の種をまいていたことになる。それで、清朝の末期に、湖南省に王先謙という大学者が現れて、「荀子」の学を復興させた。習近平を支える理論グループは、湖南省の始まる「荀子学」がベースとなっている。強国が、民生の原動力だと考える儒学である。それは、法治主義と重なり、その法を官僚に守らせる行政監察権が、立法、行政、司法、そして等しく公務員試験に応じる権利、さらに、監察権という形の五権の憲法に落ち着いた。その原型は、孫文が東京でのべた「五権憲法」論にある。聞いていたのは、中国全土から科挙受験適齢期の一万人近いエリートたちである。そして、もう一人のリーダーである梁啓超である。かれは、「荀子」の意義を唱えた王先謙の学派と、湖南省で知り合い、そこから弟の梁啓雄の荀子学を研鑽させた。そのおかげで、今度、王岐山さんが、湖南省の代表として、国家副主席となった。つまり、王先謙にはじまる湖南儒学が、終に天下を制した。このように、中国では、朱子による孟子の王道覇道論、民本思想は、いったん清算されたのである。

 

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