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朱子学から国学へ:中国の近世・近代・ポスト近代

2018年03月24日 | Weblog

朱子学には、功罪の両面がある。功績の第一は、『礼記』のなかから「大学」「中庸」を宣揚したことである。第二は、『詩経』から毛氏の伝を削除したことである。読者が、素直に原「詩」に向き合うことを可能にしたことである。特に、第一の功績により、イエズス会が、儒学のツボを「大学」篇と考え、ラテン語などで西欧の紹介し、市民社会に「自然法」と「市民科学」を定着させる触媒の役目を果たしたことである。中国の近世は、擬似的な「モダニズム」の契機を孕んでいた。この朱子学は、さらに孟子の民本思想、王道徳治論をもって、西欧近代社会における民主主義に根拠を与えたことである。ただ、プロの学者は、朱子学の学徒が、自らの手で「近代」の幕を開けたのは、「中庸」にある「独り慎む」という自我主体の再発見に於いてであるとみなす。真理は、個人の独慎の学問から生まれるという自覚である。孫文、梁啓超、胡適、蔡元倍などの近代知識人は、清朝というカバーから飛び出して、中華民国という新たなカバーをもつ時代を生み出した。そのとき、孟子の民本思想、王道論という大衆迎合の論理が、個人利益の私的自由をもって、近代人のエゴが、人類共生への阻害になると考えた。それが、ポスト・モダンの思想である。

「ポスト近代」は、1920年代から始まる。孫文は、ロシア・マルクス主義が行きづまると考え、当面は、コミンテルンと協調しながら中国的社会主義が生き残れると考えたために、中国の無産階級階級闘争論という「近代」の延長線に長く苦しめられる結果となった。1990年代は、ロシア・マルクス主義が破綻し、孫文の想定した「ポスト近代」の時代となった。このような知的環境を1990年代に可能にしたのは、梁啓超が北京の清華大学に種を播いていた「国学」という中国古典学の再興の道筋である。「国学」は、1960年代まで、擬古主義が全盛で、古典文献は後世の改作だという擬古主義が科学だと思われてきた。しかし、考古学の発展のおかげで、ついに出土した文字資料と、古典の文献との照応が肯定され、その結果、中国的社会主義の思想基盤として、周王朝時代(春秋・戦国を含めた)の古典文献が再評価された。特に、「荀子」が再評価された。今回、習近平政権の独裁体制化が話題にされるが、ベース理論が「荀子」学にあることを知れば、「強国」思想の原理は、そこからきていることがわかる。「荀子」の重要性を最初に提唱したのは、湖南の王先謙であり、それを継承したのが梁啓超である。王先謙の薫陶を受けた湖南人の思想系譜は、中国共産党に深くしみこんでいる。毛沢東が軍事に長けたのも、湖南人の儒学のなせる伝統である。「ポスト近代」とは、個々の自己責任社会の限界を超えるため、個人の自由を保障し、政治参加の権利(官僚になる権利)を全民に開くという時代認識である。中国では、それを社会主義と呼んでいる。孫文と梁啓超、そして王先謙はその先駆者である。

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