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孔子は弟子の過ちにどのように対処したのか?(改定増補)

2014年05月07日 | Weblog

 八佾編の第21章に、弟子の宰我が、哀公から土地神の御神体となる神木につき質問をうけ、誤った回答をした。夏王朝では松、殷王朝では柏、周王朝では栗だと答えた。この回答には、誤りはない。問題は、栗、クリの木、音はリツにかこつけて、民衆を戦慄させるためである、と余計な私見を加えた。

 これを聞いた孔子は、憤然としながらも、「成事は説(と)かず、遂事は諫(いさ)めず、既往は咎(とが)めず」と語った、と伝えられている。

 悪く言えば、済んだことは仕方がないと、ただ「反省」をもとめるだけにとどめ、温情主義で対処したといえる。なぜ、そのように対処したのか。それは、孔子と宰我との関係が、職分の職階の上下の関係ではないからである。

 そこにあるのは、学習集団における指導者と弟子の関係である。宰我の知識、つまり夏王朝では松、殷王朝では柏、周王朝では栗というのは、孔子から学んだ礼制の知識である。その時、孔子は、周王朝がなぜ栗の木を選んだのかを十分に説明していなかった。栗は、音はリツ、戦慄の「慄」と同じ音である、と解説していた。ところが、弟子の方は、それを周王朝が栗の木を選んだ理由として誤解し、頭に染み込ませていた。

 弟子のミス、若い世代の学習者のミス、それは案外に指導者の指導の目配りの不足から、思いがけない形で発現する。ほぼ一昔、若いころ、君も将来、教授会で人事の選考をするとき、採用する方だけでなく、その指導者の学風を確かめなさい、といわれたことがある。

 宰我は、誤った解説をしたことを哀公にすぐに詫びた、と想定する。そして、その罪の原因の一端が、指導者である孔子にある。孔子は自己の内省を踏まえながら、弟子には優しく、同時に厳しく対処したと思われる。これには、弟子の誤りは師匠に起因するかも知れないという孔子の深い内省がその基本にある。

 部下のミスは、部下のミス。上司には関係がない。まして、経営の最高責任者には関係がない。これが、戦後の教育の体系である。孔子は弟子に対し、周王朝の経営理念が「仁」にあると教育したはずなのに、一人の著名な弟子が周王の政治理念は、民衆を戦慄させるためという正反対の説明をした最悪の状況に直面している。

 孔子の「説かず、諫めず、咎めず」は、弟子の過ちは、まず指導者の自らの責任と考え、内省の哲学を組織全体に行きわたらせる、それが最高指導者の重大な責務であるというメッセージが込められている。「説かず、諫めず、咎めず」の対処は、温情主義と揶揄されるだろうが、実は、弟子に対し深く、真の内省を求めたことになる。その成長を摘み取るのが、叱責、処罰、見せしめの厳罰主義である。内省は深ければ、同じ誤りは再発しない。

 企業のなかでは、最高経営者を指導者とする人格的な師弟関係が機能すれば、そこから次世代の最高指導者が生まれる。

 


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