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「主は与え、主は取られる。

2015年07月07日 17時02分55秒 | 聖書

主の御名はほむべきかな。」(ヨブ1:21)

サタンはヨブを攻撃した。しかし、それは、神の許容範囲内であった。
神がサタンに命じられた。
「持ち物は許可する。しかし、身体は許さない」
次には「身体までは良い。しかし、命には触れるな」
神の定めた限界内でしかサタンも働けない。
サタンがどう攻撃して来ようと、最終的権限を握っておられるのは神だ。
つまり目の前に起こる一つ一つの事が神から来ている。
偶然や不運ではない。
人があなたを批判し、敵対しているかも知れない。
目に見える状況に反応すると相手への憎しみ、敵対心が湧き上がる。
不満と反発心で一杯になる。しかし、それなら的はずれだ。
人しか見えていない。その背後におられるのは神だ。
そうであれば対応が違ってくるはずだ。
サタンは私達に攻撃して来る。
しかし、主権者であられる神は、サタンすら私達の益のために、成長のために利用される。
すべての最終的主権は神にある。
だからヨブは主が与え、取られたと告白した。
それを認める事、受け入れる事が信仰だ。
ヨブは、それらに神の主権を認め、ひれ伏し、礼拝した。
主を賛美し、御名を崇めた。
どんな状況でも主の御名を崇めて行く事、これは感情でなく、信仰だ。
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感情はすべてを持って反対を向いていても、痛みの中で、神に信仰を向けて行く時、不思議な御霊の領域がある。
厳しい状況のまっただ中で心に主の全き平安を経験する。


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