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へブル書7章25節(イザヤ書57章)

2014年10月13日 06時36分29秒 | 聖書

★したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。

■O:今日のコラム
私たちがこの地上にいる目的を、一言で言い表すなら回復をもたらすためです。自分自身を、また隣人を、この地を神のものとして回復すること、それを『救い』と言う事もできます。  
どのようにしたら完全な救いを得る事が出来るのでしょう?どうしたら救いが全うされるのでしょう?それは主に近づく事です。主は、キリストにあって主に近づく者を、完全に救うことが出来ます。ハレルヤ!

(1)自分自身の救い
この時代にあって特に注意すべきは、宗教です。宗教はご利益を求めます。主の道に利益はたくさんあります。しかし、それが目的ではありません。求めるべきものは主です。この方を求める事が信仰の目的です。
キリストこそ私たちの信仰の歩みのゴールでなくてはなりません。そうでないなら異端です。異端は端が異なると書きます。キリストに始まって、キリストに終わるのが信仰の歩みです。もちろんそれてしまう事はあります。しかし、それはむなしさをもたらします。
熱心に礼拝しているから、主を求めているとは言えません。一日に5時間祈っているから主を求めているとは言えません。主に心のフォーカスがあっているかどうかです。私たちは、平穏の中で主の御顔を仰ぎ、苦しみの中で主を求めて歩みましょう!全ての状況、問題や感謝、平穏や困難の中で、主を求め、主に近づいていきましょう!そこにすべてがあります!

(2)自分以外の救い
私たちは、自分以外のものに様々なアプローチをします。それは回復を願うからです。プレゼントしたり、手助けしたり、本当に様々です。しかし、その回復の確信は、そのアプローチしている対象が主に近づくことにあります。伝道も教会に誘う事もそう願っての事でしょう。
その人、その対象が神に近づくようにまず祈りましょう!主は『御国がきますように』と祈りなさい、と命じておられます。その人が主に近づいて、主のものとなることは、その人に御国が来たといえるでしょう。その町に主の義、平和、喜びが満ち溢れることは、そこに御国が来たといえるでしょう。その対象が主に近づくために私たちがまずすることは祈る事です。


■A:考えてみよう
これを見た今、『主は、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります』と4回宣言してください。小さい声でも構いません。


■P:祈り



イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。


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