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◆そこで、彼は祈っています。

2016年11月03日 07時36分40秒 | 聖書
(使徒九・一一)
祈りはただちに天上の注意を引く。サウロが祈り始めた瞬間に、主はその祈りに耳を傾けられた。ここに悩みつつも祈るたましいへの慰めがある。悲嘆に沈む者が祈る時に出てくるのは、しばしば嘆息と涙と叫びのみである。しかし、そのうめきは天国のたてごとを妙なる音をもって鳴り響かせ、その涙は神に受け入れられ、天国の涙のつぼに大切に蓄えられている。「どうか私の涙を、あなたの皮袋にたくわえてください。」
おののきのため、もの言うこともできなくなった哀願者の心の中をも、主は深く洞察しておられる。祈る者は涙にかすむ目を上げて神を仰ぎ見るだけかもしれない。しかし、「祈りとは涙を流すこと」ではないか。涙は天国のダイヤモンドであり、嘆息は主の宮廷における音楽の一部であって、「神の栄光の御前に奏でる最も崇高な聖楽」の中に数えられている。
あなたの祈りがたとえいかに弱く、おののき震えるものであっても、無視され顧みられないことはない。ヤコブのはしごは高い。しかし、私たちの祈りは契約の天使によりすがって天に上る。
私たちの神は単に祈りを聞かれるだけでなく、聞くことをお喜びになる。主は「貧しい者の叫びをお忘れにならない」。主は立派な風貌、高尚なことばなどは顧みられない。主は王たちの華美に心を留めず、軍楽の響きにも耳を傾けられない。しかし悲しみおののく心があり、苦痛に震えるくちびるがあり、あるいは深いうめき、後悔の嘆息があるなら、主の心は常にそこに向かって開かれる。
主は私たちの祈りを、ばらの花びらのように、その覚え書きの間にさしはさまれるのである。ひとたびその書物が開かれる時が来れば、その中よりふくいくたる香りが生ずるであろう。
 信仰は、ささげられた祈りの答えを
 天に求めたりはしない
 私たちの大祭司は聖所におられ
 恵みの御座からお答えになる
 

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