私たちは病にかかるかもしれないが、主は恵みを与えられる。貧困に陥るかもしれないが、恵みは必ず与えられる。死は必ず訪れるが、恵みは私たちの最も暗い時においても、光をともす。友よ。月日は過ぎ去り、再び落葉の秋が巡ってきても、「主は恵みを授ける」という不朽の御約束は、なんという幸いであろう。
冒頭の聖句にある「と」という短い接続詞は、現在と未来を結ぶダイヤモンドのびょうのようだ。恵みと栄光は常に伴う。神がその民をめとられたゆえに、何ものもそれを引き離すことはできない。主は、自由に恵みを与えられたたましいに、栄光を与えることを決して拒まれることはない。実に栄光とは、恵みが安息日に晴れ着をつけたものにほかならない。恵みに花が咲き、実が結ばれ、熟し、完成したものが栄光である。私たちがいつ栄光を受けるかだれにもわからない。あるいは、この十月が終わらないうちに、聖なる都に行くかもしれない。ともあれ、私たちは遠からず栄化される。栄光を、天の栄光を、永遠の栄光を、イエスの栄光を、父なる神の栄光を、主は必ず選ばれた民に与えられる。おお、忠実な、神のすばらしい約束よ!