正しい者は七たび倒れても、
また起き上がるからだ。
悪者はつまずいて滅びる。 (箴言二四16)
人生には、いろいろのつまずきや挫折があります。受験の失敗・失職・破産・倒産・離婚……など。そして多くの人が、決定的な打撃を受けて立ちあがれなくなってしまいます。私たちのまわりにも、そんな例が起こっているのではないでしょうか。ある若い夫婦が人から誤解を受け、互いにあなたのせいだと言い合っている間に夫婦の間にひびが入り、妻は男をつくり、二人の子どもを置いて逃げてしまいました。残された夫は、投げやりな憎しみと怒りの心しか持つことができないでいます。「七ころび八起き」できる人は、第一に、心までがくじけてしまわない人です。第二に、過去をはっきりと清算できる人です。第三に、どこかに深い理解者・同情者を見つけた人です。
聖書は、「正しい者は七たび倒れても、また起き上がる」と言います。聖書が言う「正しい者」とは、たびたび申し上げているとおり、自分で自分は正しいとしている人ではありません。神を神と認め、神を正しいとしている人という意味なのです。
キリストの中に罪のゆるしを見いだす人は、けがれくずれた過去から立ち直ることができます。キリストの中に、深い愛と理解と同情を見いだすことができる人は、千万人の敵の中でも立ちあがれます。キリストの愛が心に注がれ、キリストの愛によって内なる人が強くされる時、人はへこたれることがありません。パウロは、このように告白しています。「私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません」(Ⅱコリント四8―9)、「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです」(ピリピ四13)。
聖書は、「正しい者は七たび倒れても、また起き上がる」と言います。聖書が言う「正しい者」とは、たびたび申し上げているとおり、自分で自分は正しいとしている人ではありません。神を神と認め、神を正しいとしている人という意味なのです。
キリストの中に罪のゆるしを見いだす人は、けがれくずれた過去から立ち直ることができます。キリストの中に、深い愛と理解と同情を見いだすことができる人は、千万人の敵の中でも立ちあがれます。キリストの愛が心に注がれ、キリストの愛によって内なる人が強くされる時、人はへこたれることがありません。パウロは、このように告白しています。「私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません」(Ⅱコリント四8―9)、「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです」(ピリピ四13)。