聖霊によって祈るとは、熱烈に祈ることである。冷たい祈りは、願いを聞き入れていただかないように祈るのに等しい。「なまぬるい祈り」とは「なまぬるい火」と言うのと同じで、奇妙である。本来、祈りは灼熱しているものである。
聖霊によって祈るとは、忍耐強く祈ることである。門の閉ざされていることが長ければ長いほど、さらに激しくたたき、天使がちゅうちょすればするほど、祝福を受けないでは決して去らせまいと決心する。神の目に美しいのは、涙を流し、苦悶しつつ、不屈の思いで祈る執拗さである。
聖霊によって祈るとは、謙遜に祈ることを意味する。聖霊は、決して高慢にさせることはないからである。罪を確認させ、悔い砕けた心にして頭を垂れさせるのは、聖霊の職分である。私たちは深い淵から呼ばわらなければならない。さもなければ、決していと高きところにある栄光を見ることはないであろう。
また、これは愛の祈りである。祈りは愛の香りを放ち、愛のしみ込んだものでなければならない。私たちの友である聖徒への愛、キリストへの愛である。
さらにそれは、信仰の祈りでなければならない。信じる者のみが勝利を得る。聖霊は信仰の導き手であり、信仰を強められる方である。それゆえに、私たちは神の御約束を信じて祈る。
おお、聖霊が心の中にいまして、この測りがたい価値をもつすばらしい恵みの結合が、私たちのうちにあって芳香を放つように! 幸いな慰め主よ。あなたのすばらしい力を私たちのうちに働かせ、祈りにおける弱さを助けてください。