座間コミニティー

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◆熱心になって……。

2016年06月07日 16時09分17秒 | 聖書
(黙示録三・一九)
 
もしあなたがたましいの回心を見、「この世の国は、私たちの主の国になった」という叫びを聞きたいと思うなら、また、冠を救い主の頭に置き、その御座が高められることを願うなら、熱心になれ。神のご支配の下におけるこの世の回心の道は、教会の熱心によるほかないからだ。すべての徳はそれぞれの働きをする。が、熱心が第一である。深慮、知識、忍耐および勇気はそれぞれの役目をもつ。が、熱心が先頭に立たなければならない。あなたの知識は役立つ。あなたの才能を軽く見てはいけない。しかし、重要な役割を果たすのは知識でも才能でもなく、あなたの熱心なのである。
この熱心は、聖霊の実である。熱心は、心の中における聖霊の不断の働きから、その活力を引き出す。もし私たちの内なるいのちが衰えるならば、もし私たちの心臓が神の前にゆっくりと脈を打っているならば、私たちは熱心ということを知らないであろう。しかしもし、私たちの内なるものがすべてたくましく、活発になるならば、私たちは、キリストの王国が来るのを見、みこころが天で行われるように地でも行われるのを見ようとする愛の熱情に燃えないわけにはいかない。
深い感謝の思いが信者の熱心を養う。私たちが掘り出された穴を見るなら、なぜ生涯を神のために費やさなければならないかの十分な理由を見いだす。
そして熱心はまた、永遠の未来を思うことによってかきたてられる。熱心は涙にかすむ目で地獄の炎をながめるので、まどろむことがない。憧憬のまなざしで天の栄光を見つめるので、奮い立たずにはいられない。熱心は、しなければならない仕事が山積みしているのに、時はわずかしかないことを感じている。したがって、そのもっているすべてを主のためにささげる。
熱心はまた、キリストの模範を思い起こすことで、絶えず強められる。キリストは衣をまとうように熱心をまとわれた。義務の車輪は、なんと速く主と共に進んだことだろう。主は道草することを知っておられなかった。私たちは、これと同じ熱情を表すことで、主の弟子であることを証明しようではないか。
 
 
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「このように、あとの者が先になり、

2016年06月07日 16時08分14秒 | 聖書

先の者があとになるものです」(マタイ20:16)

先の者が後になり、後の者が先になるからには、何かの理由があるはずだ。
それは、その働きの単に目に見える結果でなく、「動機や態度」が見られるという事だ。

この世で働く時、その動機まで問われる事は無い。
動機など関係なく、つべこべ言わず、結果さえ出せば良い。
何よりも目に見える結果が重要であり、すべてだ。それがこの世の価値基準だ。

その価値観に慣れていて、目に見える結果だけを問題にしがちだ。
しかし、神の国では違う。神が見られるところは異なる。

主はすべてを捨てて従った弟子達のその動機、働きの動機を見られる。
動機と態度を問題にされている。

最初の者と最後の者は、一日の終わりにその動機が明らかになった。
「一日中辛抱した」辛く苦しい労働であり、主人のために働く事はしんどい、
嫌な事であり、同じ一デナリと判明した時には、不満と怒りが爆発した。

自分達にはもっと貰う権利があるとの立場だ。
実は早朝から糧が保証されて、平安に安心して一日働けたとは何と感謝な事だろう。

夕刻まで糧の無い人々は不安と恐れ、思い煩いで一杯だった。

信仰生活、恵みを忘れると不満タラタラ、神のためにしてやっているとの、恐るべき態度になる。
今一度、御前にへりくだって、喜びと平安と感謝に、恵みの下に帰ろう。
---------------------------
救われた時の喜びが、時と共にうすれ、ただ忙しく奉仕におわれてはいないだろうか。
知識も蓄え、礼拝もしているのに主の御心から離れている気がするなら、もう一度、恵みのもとに立ち返ろう。

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#akahata 参院選 32の一人区で統一実現/共産党の二つの決断・・・5日の赤旗記事

2016年06月07日 07時35分03秒 | 公共・政策

 

【「国民連合政府」の提案】【一人区での思い切った対応】

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#akahata 豊かに発展 4野党共通政策/共産・民進・社民・生活 小池書記局長に聞く・・・5日の赤旗記事

2016年06月07日 07時33分34秒 | 公共・政策

 

◎参院選で、安倍政権に代わる政治を!
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今日の聖人の記念日

2016年06月07日 07時29分19秒 | キリスト教

聖メリアドク司教

6世紀年ごろ

 メリアドクは、イギリスのウェールズの裕福な家に生まれ、育った。自分の財産をすべて貧しい司祭たちに施し、土地は困っている人たちに与えた。彼の評判は高まったが、ますます世間から離れ、隠退したいと思い、自らは徹底した清貧の生活を送った。ヴァンヌの司教に選出された後も、厳しい生活を続けた。

 メリアドクは、「貧しさは気苦労を取り除き、聖性の母となる」という言葉を生涯、身をもって実践したのだった。彼は、イギリスのコーンウォールと北フランスで尊敬されている。特にコーンウォールでは、彼の偉大な業を伝えた奇跡劇が現在も残っている。またブリタニーのある所には、彼が使ったとされるベルがあり、口の不自由な人や、頭痛で悩む人の上に置くと治る、といわれている。

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◆富とわずらい

2016年06月07日 07時28分14秒 | 聖書

正しい者の家には多くの富がある。
悪者の収穫は煩いをもたらす。    (箴言一五6)
 
財産・大きな屋敷・広大な土地・莫大な預金がかえって人生のわずらいをもたらしている例は、たくさんあります。あなたも、身近にそんな姿を見ておられるかもしれません。私も、一代で何十億の財産を築いた人が自殺をしたのを聞きました。豪華なお屋敷に妻は独りいて、とても寂しそうだったそうです。夫は愛人の別宅にいました。そして、憂いとわずらいとに満ちた人生は、自殺にまで追いつめられてしまったのです。
私たちは金持ちになって、金の不自由などしたくないと思います。しかし、なぜみな財産や金を求めるのですか。それは、金や財産が、安心・安定・満足・平和をもたらすと思うからではないでしょうか。本命は金ではなく、ほんとうの満足・ほんとうの幸せ・ほんとうの平安・ほんとうの喜びなのです。
聖書は、「正しい者の家には」、そんなほんものの富がどっさりあると言います。正しい者・悪者というと、すぐどたばたドラマの善玉・悪玉を考えてしまいます。けれども聖書の言う正しい人は、第一に、神を正しいと認める人。第二に、神の正しさが実現することを心から期待する人なのです。反対に、神を度外視し問題にしないで、自分中心・自分の欲望中心だけで生きる人が悪者です。
自分の罪深さや弱さを深く感じる謙遜な心を持って、神を第一として神にすべてをゆだね、神のゆるし・満たし・慰め・助けを期待しきる時、どうなるでしょうか。キリストは約束されました。
「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます」(マタイ六33)。
 
 
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◆主を愛する者たちよ。

2016年06月07日 07時27分30秒 | 聖書
悪を憎め。(詩篇九七・一〇)
 
悪があなたにどれほどの害を与えてきたかを考えるだけでも、あなたが「悪を憎む」のは当然である。ああ、罪は、なんというわざわいの世界をあなたの心にもち込んだことか。罪は、あなたが救い主の美を見られないように、あなたの目を見えなくし、贖い主の招きを聞けないように、あなたの耳を聞こえなくする。あなたの足を死の道に向けさせ、あなたの心の泉に毒を流し込む。それは、あなたの心を腐らせ、「人の心は何よりも陰険で、それは直らない」と言われるまでにした。神の恵みによるご干渉の前に、悪があなたを勝手にほんろうしたとしたら、いったいあなたはどうなっていたことか。あなたは他の人のように御怒りを受けるべき子であり、多くの人々と共に悪に走っていた。私たちのすべてはそうであった。しかし、パウロは私たちに告げる。「しかし、主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです」と。
私たちが過去を顧み、悪のなした害を思うならば、悪を憎む理由は十分ある。だから、もし全能の神が干渉し、私たちを贖い出さなければ、たましいは当然滅びていたであろう。現在も悪は私たちの強敵であり、常に害を与え、滅びに陥れようとすきをねらっている。だから、主にある友よ。苦しみを望まないなら、「悪を憎め」。もしあなたの行く手にいばらを散らし、死の枕にいらくさを植えることを望むなら、悪を憎まなくてよい。しかし、あなたが幸福な生涯を送り、平和な死を遂げることを望むならば、聖潔の大道を歩み、終わりに至るまで悪を憎め。もし真実に主を愛し、主をあがめようとするなら、「悪を憎め」。
悪を愛するクリスチャンをいやす道は、主イエスとの親しい交わりに入ること以外にない。主と共に住め。そうすれば罪と親しくすることはできない。
 みことばによって私の歩みを整え
 私の心を真実なものとして
 罪に支配させず、主よ
 私の良心を聖く保ってください
 
 
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ネヘミヤ書2章17-20節

2016年06月07日 07時26分08秒 | 聖書


2:17 それから、私は彼らに言った。「あなたがたは、私たちの当面している困難を見ている。エルサレムは廃墟となり、その門は火で焼き払われたままである。さあ、エルサレムの城壁を建て直し、もうこれ以上そしりを受けないようにしよう。」



 ネヘミヤは、町の状況を精査する時には誰も連れて行かず、また人にも知らせないで、調べ上げました。

知らせたら、人々は皆、「再建は不可能です。」と言って、その再建への意欲をそいでしまうに違いないからです。

 彼は調査を終えた時、民の代表者を呼び集めました。

そして町の現実を見たことと、そこで知った事を告げました。

その事を知った上で、「神の御名がそしりを受けないために」、再建しようと彼らに告げました。

また彼らの心を励ますために、かつて、自分の苦しみと願いを、王に告げた時に、主が共にいてくださって、王の心を開いてくれて、願いをすべて聞いてくれたことを話しました。

神が共にいてくださったことを告げたのです。

現実よりも、「神の御力により頼もう」と、言ったのです。

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詩篇40篇8節、40篇6-8節 (39篇)

2016年06月07日 07時23分58秒 | 聖書


★わが神。私はみこころを行うことを喜びとします。
あなたのおしえは私の心のうちにあります。

★あなたは、いけにえや穀物のささげ物をお喜びにはなりませんでした。あなたは私の耳を開いてくださいました。あなたは、全焼のいけにえも、罪のためのいけにえも、お求めになりませんでした。そのとき私は申しました。「今、私はここに来ております。巻き物の書に私のことが書いてあります。わが神。私はみこころを行うことを喜びとします。あなたのおしえは私の心のうちにあります。」

■O:今日のコラム
ダビデのこの詩篇も、イエス様を表しています。
この箇所は、ヘブル書10章5-7節で引用されて、イエス様に対する父なる神様の御心がなんだったのか、イエス様がその御心にどう答えられたのかの解説となっています。

父が御子に関して持っていた御心、それは十字架の計画でした。
律法に従ってささげられるいろいろなもの(動物の血や肉のいけにえ、穀物の捧げもの)の代わりに、御子の身体を十字架で犠牲にすることでした。
律法では救うことができなかった私たちを救うために、完全な救いの道を用意すること。これが御父の心であり、御子イエスは、この父の御心を行うことを喜びとして、そのご計画を遂行するために、地上に来てくださったのです。

あるメッセンジャーの方が、イエス・キリストを十字架に架けた張本人は、ユダヤ人でも、ローマ人でも、私たちでもなく、(ある意味でそれらは真理ですが)、父なる神御自身だった、と言っていましたが、それは本当です。

イザヤ53章6節
 「私たちはみな、羊のようにさまよい、
 おのおの、自分かってな道に向かって行った。
 しかし、 主 は、私たちのすべての咎を
 彼に負わせた。」

イザヤ53章10-11節
 「しかし、彼を砕いて、痛めることは
  主 のみこころであった。
 もし彼が、自分のいのちを
 罪過のためのいけにえとするなら、
 彼は末長く、子孫を見ることができ、
  主 のみこころは彼によって成し遂げられる。
 彼は、自分のいのちの
 激しい苦しみのあとを見て、満足する。
 わたしの正しいしもべは、
 その知識によって多くの人を義とし、
 彼らの咎を彼がになう。」

これは、父なる神様が、それほどに、私たちを愛しておられる、という事以外の何ものでもありません。御父が究極の愛で愛している御子イエス様、その御子に苦しみを通らせても、取り戻したいほど、御父は私たちのことを愛してくださっているのです。

イエス様は、十字架の計画に喜んで従って、ご自分に対する御父の御心を遂行しました。

では私たちに対する主の御心はなんでしょう?
私たちも、自分に死んで、自分の十字架を負って、イエス様について来なさい、と招かれています。

できるでしょうか?難しすぎるでしょうか?

勇気を持ち、希望を持ちましょう!
「それは人にはできない…しかし、神にはどんなことでもできる」と主御自身が言われました。
主は、また、「イエス様とともに負うくびきは負いやすく、イエス様とともに負う荷は軽い」とも約束してくださいました。

今日、主の招きに応え、御父の御心を行うために、十字架を負って、主について行きましょう。
イエス様の愛にとどまり、御言葉にとどまり、御霊に導かれる時、十字架の道は、喜びと平安の道です。

■A:考えてみよう
今日、自分に死んで、主のために生きる、御心を行う、とは、私にとって、具体的にどういうことだろう。
私は重い荷を負って、難しいくびきを負って、疲れていないだろうか?
私は主のくびきを負い、主の荷を負っているだろうか?

■P:祈り
愛する天のお父さん。
あなたが愛してやまないイエス様を十字架に架けてくださるほど、私のことを愛してくださって本当にありがとうございます。
主イエス様。
天のお父さんの十字架の計画に、喜んで、完全に従ってくださって、本当にありがとうございます。
御父を愛し、私たちを愛して、そうしてくださって、本当にありがとうございます。
とこしえに感謝します。あなたを礼拝します。
聖霊様、十字架の事実を悟らせてくださり、お父さんの愛、イエス様の愛を悟らせてくださって本当にありがとうございます。
全能の、憐れみ深い、良き神様。
あなたの愛に応え、あなたの愛に信頼して、私も自分の十字架を負って主についていきます。
主が重いほうを背負ってくださり、主が難しい方を負ってくださっていることを感謝します。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン

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6月6日(月)のつぶやき

2016年06月07日 01時41分34秒 | キリスト教
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