さあ、私たちは朝になるまで、
愛に酔いつぶれ、愛撫し合って楽しみましょう。
夫は家にいません。
遠くへ旅に出ていますから。 (箴言七18―19)
何という絵のような情景描写でしょう。聖書は、現実を知らない学者が書いたものではありません。聖書は、現実を知り、ちまたの実際の出来事を見通しているお方が書いた本です。
この世には耳を傾けるなら、神の声が満ちています。花も鳥も星も、神を語り、私たち一人一人の良心も、神の細き声を語りかけ、聖書は、はっきりと神のみこころを伝えます。
しかしこの世には悪魔の声も満ちています。きょうのことばも、悪魔の甘言・甘いささやきのサンプルです。この悪魔の甘いささやきの中心は、他の何もかも無視して、欲望に酔いしれて楽しめということです。
性欲という欲望は、神が備えてくださった最もうるわしいものの一つです。男と女が引き合い、愛が生まれ、愛が育ちます。男と女が引き合わなかったら、この世はどれほど砂漠のようだったことでしょう。
しかし、神のみこころという枠をはずれて、欲望第一主義に走ってごらんなさい。欲におぼれてごらんなさい。食欲なら、食べすぎて体を壊し、太りすぎて早死にするでしょう。遊びすぎては、貧しくなり不健康になります。性欲の野放しは、家庭を壊し、個人をだめにし、人間関係をめちゃめちゃにします。憎み合い軽蔑し合い傷つけ合う様は、人間の没落がここにあるという感じがします。
性欲という欲望は、神のデザインされた結婚というみこころの枠の中で楽しむべきなのです。聖書は、「結婚がすべての人に尊ばれるようにしなさい。寝床を汚してはいけません。なぜなら、神は不品行な者と姦淫を行なう者とをさばかれるからです」(ヘブル一三4)と、警告しています。