座間コミニティー

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◆真実のない愛

2014年03月05日 16時05分59秒 | 聖書

さあ、私たちは朝になるまで、
愛に酔いつぶれ、愛撫し合って楽しみましょう。
夫は家にいません。
遠くへ旅に出ていますから。   (箴言七18―19)

何という絵のような情景描写でしょう。聖書は、現実を知らない学者が書いたものではありません。聖書は、現実を知り、ちまたの実際の出来事を見通しているお方が書いた本です。
この世には耳を傾けるなら、神の声が満ちています。花も鳥も星も、神を語り、私たち一人一人の良心も、神の細き声を語りかけ、聖書は、はっきりと神のみこころを伝えます。
しかしこの世には悪魔の声も満ちています。きょうのことばも、悪魔の甘言・甘いささやきのサンプルです。この悪魔の甘いささやきの中心は、他の何もかも無視して、欲望に酔いしれて楽しめということです。
性欲という欲望は、神が備えてくださった最もうるわしいものの一つです。男と女が引き合い、愛が生まれ、愛が育ちます。男と女が引き合わなかったら、この世はどれほど砂漠のようだったことでしょう。
しかし、神のみこころという枠をはずれて、欲望第一主義に走ってごらんなさい。欲におぼれてごらんなさい。食欲なら、食べすぎて体を壊し、太りすぎて早死にするでしょう。遊びすぎては、貧しくなり不健康になります。性欲の野放しは、家庭を壊し、個人をだめにし、人間関係をめちゃめちゃにします。憎み合い軽蔑し合い傷つけ合う様は、人間の没落がここにあるという感じがします。
性欲という欲望は、神のデザインされた結婚というみこころの枠の中で楽しむべきなのです。聖書は、「結婚がすべての人に尊ばれるようにしなさい。寝床を汚してはいけません。なぜなら、神は不品行な者と姦淫を行なう者とをさばかれるからです」(ヘブル一三4)と、警告しています。

 


「自分のためにたくわえても、

2014年03月05日 16時04分19秒 | 聖書

神の前に富まない者はこのとおりです」(ルカ12:21)

懸命に働き大成功し、財産を築き、安泰に過ごそうとする農夫。
農業に携わり、大豊作をもたらすこの農夫は賢かっただろう。
しかし、神は「愚か者」と言われた。
どこが愚かだったのか。
まず、彼は神を信じない人であり、彼の人生に神は無かった。
収穫物も財産も時間も才能も、すべてが自分のものであった。
そして、莫大な財産を得ても、貧しい人の事をこれっぽっちも考える事がなかった。
徹底して自己中心であった。彼の拠り所は富であり、物であった。
倉庫満杯の財産にもう安心だと言ったが、彼は大きな勘違いをしていた。
物は自分のものだと思っていたが、自分の命は神の手に握られていた。
地に幾ら蓄えても、天への備えをしなければ愚かだ。
いのちは財産にではなく霊にある。神の前に富むとは、神を信じ、神に喜ばれるように富を、時を、命を用いる事だ。
あなたのいのちは、心は、今どこにあるだろう。
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心は今、地のものにあるか、天にあるか。
そして中途半端が一番惨めで虚しく決して満たされない。
心を天に向け、宝は天に積もう。
「宝のあるところに心がある」宝を天に積むなら、心がそこにあるようになる。



◆真実のない愛

2014年03月05日 06時29分08秒 | 聖書

さあ、私たちは朝になるまで、
愛に酔いつぶれ、愛撫し合って楽しみましょう。
夫は家にいません。
遠くへ旅に出ていますから。   (箴言七18―19)

何という絵のような情景描写でしょう。聖書は、現実を知らない学者が書いたものではありません。聖書は、現実を知り、ちまたの実際の出来事を見通しているお方が書いた本です。
この世には耳を傾けるなら、神の声が満ちています。花も鳥も星も、神を語り、私たち一人一人の良心も、神の細き声を語りかけ、聖書は、はっきりと神のみこころを伝えます。
しかしこの世には悪魔の声も満ちています。きょうのことばも、悪魔の甘言・甘いささやきのサンプルです。この悪魔の甘いささやきの中心は、他の何もかも無視して、欲望に酔いしれて楽しめということです。
性欲という欲望は、神が備えてくださった最もうるわしいものの一つです。男と女が引き合い、愛が生まれ、愛が育ちます。男と女が引き合わなかったら、この世はどれほど砂漠のようだったことでしょう。
しかし、神のみこころという枠をはずれて、欲望第一主義に走ってごらんなさい。欲におぼれてごらんなさい。食欲なら、食べすぎて体を壊し、太りすぎて早死にするでしょう。遊びすぎては、貧しくなり不健康になります。性欲の野放しは、家庭を壊し、個人をだめにし、人間関係をめちゃめちゃにします。憎み合い軽蔑し合い傷つけ合う様は、人間の没落がここにあるという感じがします。
性欲という欲望は、神のデザインされた結婚というみこころの枠の中で楽しむべきなのです。聖書は、「結婚がすべての人に尊ばれるようにしなさい。寝床を汚してはいけません。なぜなら、神は不品行な者と姦淫を行なう者とをさばかれるからです」(ヘブル一三4)と、警告しています。

 


◆ほかの人々のように眠っていないで、

2014年03月05日 06時28分17秒 | 聖書

目をさまして、慎み深くしていましょう。(Ⅰテサロニケ五・六)

クリスチャンの目を覚まさせる方法は種々ある。その中でも、クリスチャンが神の道について語り合うことを強く勧めたい。バニヤンの『天路歴程』の中で、「クリスチャン」と「希望氏」の二人が、天の都へ旅をする途中で互いに語り合うところがある。彼らは「眠気をもよおすことがないように有益な話をしようではないか」と言う。「クリスチャン」は「兄弟よ、それではどこから始めようか」と言う。すると「希望氏」は「神が私たちに始められたところから」と答える。それから「クリスチャン」は次のように歌う。
 聖徒よ。眠気をもよおしたら、ここに来て
 二人の巡礼が語るのを聞け。
 そうだ。どうしても、彼らから学ぶのだ。
 まどろむ目を開くことを。
 聖徒の交わりを正しくもつなら
 目を覚ますだろう。地獄をよそに。
他人と離れてひとりで旅をする信者は、眠気をもよおしやすい。信仰の道づれを求め、それによって、目を覚まし、力づけられ、天への旅路を早く進むようにせよ。また、あなたが神の道について麗しい話をする時は、その話題が必ず主イエスであるように心せよ。信仰の目をもち、絶えず主を見つめ、主によってあなたの心を満たせ。あなたのくちびるをもって主を語れ。
友よ。十字架に近くあれ。そうすれば眠ることはないだろう。あなたの行く先の価値を深く心に刻むように努めよ。もし天国へ旅していることを覚えるなら、途中で眠ることはない。後ろに地獄があり、悪魔が追いかけてきていることを考えれば、道草はできない。殺人者が、逃亡の機会を目前にして、復讐をねらう者とともに居眠りをするだろうか。
主にある友よ。真珠の門が開かれ、天使の歌があなたの参加を待ち、黄金の冠が準備されているのに、あなたは眠っているのか。否、聖い交わりの中に目を覚まし、祈り、誘惑に陥らないようにせよ。

 


第1サムエル記7章15-17節

2014年03月05日 06時26分37秒 | 聖書

7:15 サムエルは、一生の間、イスラエルをさばいた。
7:16 彼は毎年、ベテル、ギルガル、ミツパを巡回し、それらの地でイスラエルをさばき、
7:17 ラマに帰った。そこに自分の家があったからである。


 当時は、シロという所に主の宮が置かれていました。

サムエルは小さい時に母に連れられて、そのシロで主に仕えるために献げられました。

しかしその後、彼自身がイスラエルの裁き司として立たされた時に、彼はラマに自分の生活の場をおいて、そこから町々を巡回してその働きをしました。

ラマというのはシロから東の方に行った町ですが、そこはまた、彼自身が生まれた所でもありました。

その自分の生まれた所を根拠として活動をしたと言っているのです。


 通常、日本では、牧師は教会に住んで働きをしています。

それは牧師が礼拝を守る働きをするのみではなくて、その会堂を守る働きがあるからです。

しかし、会堂という建物を守る働きは、皆が分担して担当するならば、その会堂を広く使うことが出来るようにもなります。

いろいろな考えがあって良いということを知るのです。



出エジプト記4章25節 (同3章)

2014年03月05日 06時24分20秒 | 聖書

★  そのとき、チッポラは火打石を取って、自分の息子の包皮を切り、それをモーセの両足につけ、そして言った。「まことにあなたは私にとって血の花婿です。」

■O:今日のコラム

あるサッカーチームの監督が、期待の星である優秀な選手をキャプテンに任命した次の日、そのキャプテンをクビにしたって話、聞いたことありますか? 私は個人的にないですが…

「え~っ?!監督、なにしてるのーー??(゜Д゜)!」ってなりません?

けど、もし、このキャプテンが、過去に重大な犯罪を起こしていたことが発覚され、警察に逮捕されてしまったら、クビにせざるをえませんよね。

今日の箇所は、このお話に似ていると思います。

モーセは神様から召しを受け、神様から任された働きを始める為に、エジプトに戻っているその道中に突然、神様が彼に会い、彼を殺そうとされます。

監督が優秀な選手をキャプテンにしたように、神様もモーセの80年間の歩みを見て、「よし、この者をわたしの民を導くリーダーにしよう。」と決め、任命しました。

けど、その期待の星を、神様ご自身は殺そうとされた… クビより酷い… この地から絶やしてしまうんですよ!

「え~っ?!神様、なにしてるのーー?? (゜Д゜)!」ってなりません??

なぜ、神様は彼を殺そうとされたのでしょうか?

モーセが自分の息子に割礼を授けていなかったことが、発覚したからです。

創世記17章に、割礼の意義を主がアブラハムに語られていますが、割礼とは神様の民となるという神様との永遠の契約を結ぶことです。なので、割礼を受けていないとは、契約を破るということであり、神様の民から断ち切られてしまいます。

そして、男性は生まれて8日目に割礼を受けなければならないのですが、モーセの息子はそれをしていなかったのです。なぜしなかったか、ここでは書かれていないので分かりませんが、これが、神様の前で罪となっていたのです。

そこで神様はモーセに手を下そうとしたのです。なぜなら、神様は聖なる方で、どんなことによっても、ご自分の名が汚されることを嫌うからです。

幸いなことに、モーセの妻、チッポラがそれに気がつき、自分の息子に割礼を授け、モーセは死を免れましたが、もし、ここで割礼が行われなかったら、どんなに期待の星であったモーセも殺されていたと私は思います。そして、神様は他の人を探してイスラエルを救い出したと思います。

そのくらい、神様はご自分の契約を重んじられる方、そして、罪を嫌うお方です。主に信頼され、どんなに大きな召しを与えられていても、聖なる方とは聖なる歩みをしていかなければなりません。

■A:考えてみよう

皆さんは、モーセのように、神様から大きな召しを受けていないと思っているかもしれませんが、召しの大きさは神様に関係ありません。全ての人が、主が選ばれ召しておられる存在です。エペソ人への手紙1章4節にこのように書かれています。

「…神は私たちを世界の基の置かれる前から彼(イエス様)にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。」

主が召しよりも重視しておられるのがこれ!

日々、イエス様の血潮によって聖められ、主と共に聖い生活を歩んでいきましょう。

■P:祈り

主よ、どうか私の心を試し、私のうちに傷のついた道がないか探ってください。あなたが聖なるように、私も聖でありたいです。

イエス様の血潮を今日も受けます。イエス様、あなたのなさったことを覚え、心から感謝します。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。