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(こちらを見て手を振っていた女の子)
グレッグは、ニューヨークの病院で医師として数年間あくせく働いて、その間何か人に認められるような成果があっただろうか、相応の進歩があったのだろうかと自分のことを思い返してみて、年齢だけを積み重ねて来たように思えてネガティブな気持ちになっていた。
今一度自分を反省して、将来のことを考えたくなったのである。仕事に邁進するあまりまとまった休暇などとったことがなかったのに、思い切って2週間の休暇を申請した。
もちろん今の仕事を気に入っていたし、やめるつまりなどなかったのである。
2週間をどのように過ごすかというあてもなかった。
とりあえず愛車のポルシェに乗ってニューヨークを抜け出した。
ハイウエーを外して田舎道を走った。途中道を間違えたのか、山道に迷い込んだ。ひたすら林の中を進む感じで、行き交う車の数も減っていた。
車窓から見える景色がきれいだったので、このまま行き続けることに決めた。
途中人家も途絶えがちになって来た。どこかで小休止をしたいと思いながら走っていると、まとまった家々が連なった小さな町に入って来たので、レストランかコーヒーショップでもあればと探していると、いかにもクラシックな構えのレストランらしい「 Diners 」(ダイナーズ:食堂)の看板が目に入った。とりあえず車を止めて中に入っていった。
地元の田舎風なひとたちのグループが談笑しながらビールを飲んでいた。
グレッグの姿を上から下へと見ていたウエイトレスが、グループとは離れた窓際のテーブルに案内した。おそらくこの辺りでは見慣れない都会の人だと感じたのだろう。
メニューの中から適当な食べ物とコーヒーを選んで注文した。最初に持って来たコーヒーを取り敢えず飲んでいると、背に大きなバックパックのような物を背負った、風貌から登山家を思わせる男が入ってグレッグの隣のテーブルに座った。
注文したものがすぐに出てくる雰囲気でないので、時間を持て余していると隣の男が話しかけてきた。
" I can have a meal after a long interval. " (しばらくぶりでまともな食事ができる)と言った。
" Are you a mountaineer ? " (登山家ですか?)
" Actually no! " (いえ、違います)
この人、着ている物は、皺が寄っていて、洗濯してない感じで、顔は日焼けしていて、街を歩いていたらホームレスと間違えられそうだが、話していると、知的で、ところどころに専門用語が出てきたりで、いったい何者だろうと興味を起こさせた。
会話の中で、彼の人となり、身分が何となく明かされていくようで、つい耳を傾けてしまった。
もともとはボストンの会社でコンピュータのエンジニアをしていたようだが、数か月前に会社の人員整理で首になったということだ。
自分としては、この分野で絶対の自信を持っていて、会社は、そのことを認識していると彼は信じていたようだ。彼の能力からして、別の会社に移るのも可能なはずなのだが、会社をクビになったことより、彼の能力が否定されたことで、すっかり自信を失くしてしまっった。
その後ちょっとした鬱の状況が続き、カウンセラーに通ったりもしたが、結果はよくなかった。妻ともうまくいかなくなり、このままでは、家庭崩壊にもなりかねないと思い、思い切って自分を立て直すためにも、しばらく家を出ることにした。
「アパラチアン・トレイル」を踏破しながら、この先どうしたらいいのかを見つめているということだった。
彼のいかにも真摯な態度に、心を動かされて、共感するものを感じてしまった。
グレッグは、失職したわけでない、今の仕事が気に入っているし、職場も十分彼の能力を評価してくれている。何の問題もないが、心の中には、なんとなく彼の態度に心を揺さぶられる自分を認めざるを得なかったのである。